74話:光と、水と、緑の世界
「……セレリウスくん」
「できるだろっ! はやくやれよ!」
「でも……」
「僕は見てきた! あんたから習った! だから、わかる! できる!」
「だけど、私はまだ——」
「今やんなきゃだめだ! 逃げるなよ! 教師だろ! かっこいいところ見せろよ!」
「…………」
「今あんたがやんなきゃ、だれがやるんだ! はっきり言うところが僕のいいところなんだろっ! じゃあ、言ってやる! あんたはできる!
——ターニャ先生なら、できるっ!」
そうだ。ターニャ師だ。
今まで不鮮明だった担任の顔がはっきりとする。
セレリウスのなかで、靄がかっていたものがはっきりするのと、ターニャ師の顔に決意のようなものが浮かんだのは同時だった。
ターニャ師が、棒杖をかまえる。
琥珀色のファル石のはめこまれた杖をかかげ、大地の魔術を寿ぐ。
唱える。
大地に語りかける。
呪文を紡ぎあげる。
半馬身ほどの長さもある月ヤナギの杖から、橙の雫が落ちる。雫が、ぽたんっ、と水面に落ちるように大地に染み込む。
ごごごっ、という地鳴りの音。
まるで壁が、天井が、床が、生き物のように蠢く。
蠢き、粘土のようになり、入口を包むように、守るように壁を作り上げる。
導師の残った空間から隔てるように、巨大な壁が穴の入口を塞いでいった。
間もなくして、地鳴りは鳴り止む。
完全に、隔てられると、ターニャ師も、他の全員も壁沿いに、へなへなと座り込んだ。力が抜けたのだろう。
だが、セレリウスはまだ力を抜いていられなかった。
——声が、まだ聞こえる。警鐘を、セレリウスに発している。
あの落石。崩落。その影響がまだあるのだと、声が言っていた。
ここもまだ、危険なのだ。
(……今度は僕の番だ)
セレリウスは、振り子を握り込む。そうすると、鮮明に声たちが聞こえてくる。警告の声を一方的に伝えてくる。
振り払って黙れ静かにしろと一喝したくなる気持ちを懸命に抑え込む。
今はちがう。そうじゃない。彼らに、応えるべきだ。危険を報せてくれている彼らに、セレリウスが応えるべき時なのだ。
強く握り込む。ぎゅっと握ると、手の平から滲むものがある。滲んだものがセレリウスの手の平につながる〈導脈〉に、溶け込んだ。融和するようにして、馴染んでいく。馴染んだものが、魔力の流れに乗って、虹の瞳に到達すると、セレリウスはそれを見た。
——光と、水と、緑の世界。
廃坑のなかのはずなのに、折り重なるように、輝くまばゆい吐息のような世界。
まるで、澄んだ水のなかを浮揚しているようだった。
ごぼごぼっ、という気泡の音。
泡が、セレリウスの体をすり抜けていく。
光の帯が、足裏から〈導脈〉を伝って、両手から抜け出ていく。
緑が、あいだを揺れる。横の流れに乗っていく。
そして、かそけき精霊たち。翅あるいは羽、魚あるいは鳥、人あるいは獣、姿定まらぬ者たち。
彼らが、囁いていた。
セレリウスに危険を囁く。
危ない危ない。
ファル石が共鳴している。
鉱脈水が来る。崩れる。流される。
逃げて逃げて。
彼らは、囁いて姿形を変えてかき消えていく。
——美しい。
セレリウスは、呑まれていた。呑まれながら、なにを成すべきか思い出す。
彼らに、命じなければいけない。
否、理解して伝えなければいけない。
「助けてくれ」
だれを。なにを。
教えたよ。あとは逃げればいいよ。
「僕だけなら逃げれる。でも、みんなを助けてほしい」
なんでなんで。
虹を持つのは、セレリウスだけ。
こいつら、セルをばかにしてきた。
「そうだ。ばかにされてきた。でも、僕も、ばかにしてきた。おあいこだ」
おあいこでも許せないよ。
虹は特別だよ。
エレンシアの友だちの証拠。
「ああ。わかる。僕も腹が立つ。これまで諦めて、断ってきた。でも、ちがう。ここで助けないのは、ちがうんだ」
なにがちがうの。
どうちがうの。
「僕は、みんなを助けたい」
なんでなんで。
どうしてどうして。
「こうやって、語り合わなきゃいけなかったんだ」
語り合う?
語り合う、大事。
「そうだ。でも、できてない。今までしてこなかった。自分から拒否してきた。できないまま、ここで見捨てたら、僕は後悔する。だから、助けてほしいんだ」
そしたら、セレリウスは喜ぶ?
セル、うれしい?
元気になる?
「なる。まちがいなく。だから——、お願いだ」
……わかったよ。
しょうがないなあ。
致し方ない致し方ない。
セルの口癖。
致し方ない致し方ない。
「……感謝する」
——どれほどの時間が経過したのかわからない。
セレリウスがその世界に入り込み、対話をしているあいだは、もしかしたらまたたきほどの時間だったかもしれない。
重なり合いがほどけるように廃坑の暗い世界が戻ってくる。
だが、そこに陽が射すように、光の帯が、すうっと壁を突き抜けるようにして、廊下を作る。
精霊魔術の力が行使され、外の世界への路を、直通の路を示す。
こちらに進めば安全だ、と精霊たちが示すように。
セレリウスはそれを認めると、振り仰いだ。
「——おい、二十番!」
「え、俺?」
呆気に取られて足を留めていた二十番の男に、セレリウスは告げる。
「出口に出るまで、班長は僕だ! いいな?」
「え、あ、え?」
「死にたくなければ、はいと言え!」
「あ、え、はい!」
よし、とセレリウスは全員に号令をかけた。
「——僕のあとにつづけ! 有無は言わせない! ここは危険だ! 逃げるぞ!」
セレリウスが顎女を背負って、光の帯に乗って前を走りはじめると、わけのわからぬまま全員が続いた。最後尾にターニャ師がつづく。
精霊たちの声が、セレリウスを褒める。
よくやったよくやった。
かっこいいかっこいい。
この路、すごいでしょすごいでしょ。
褒めて褒めて、と精霊たちが言ってくる。
「……ああ、ほんとに、すごい」
これが精霊魔術なのだ。
セレリウスは理解する。
精霊と交流をするということなのだ。
握り込んだ振り子を少し緩めれば、振り先は、光の出口を指し示すように揺れていた。




