73話:精霊の警告
「——屈んでくれ」
歩いていると、しっと指を立てて、先頭を歩く二十番がしゃがんだ。一番と、十三番が応じてしゃがむ。セレリウスも一拍遅れて、その場に屈んだ。
足元がじめついている。地ネズミやムカデの死骸が転がる。ところどころ、補うようにして張られている梁は、脇を支える柱とともに、木材が腐って、あまり意味をなしていない。剥き出しになっているごつごつとした岩の壁は、二十番が覗き込む場所で途切れていた。うす寒いなかで黴臭さが鼻をさす。
「他の班が戦ってる」
途切れた先は、開けた場所になっているらしい。
戦闘音が反響している。セレリウスも下を覗き込めば、戦っている班のなかに顎女がいた。顎女は同い年だが、ちがう学環の班にいるのだ。
「見つけたものを取り合ってる?」
「わからない」
「{探索}を使って……」
そんなやり取りが聞こえるなか、セレリウスの耳にはべつの声が届く。
——《……ナイ》
(なんだ……?)
耳を、研ぎ澄ます。
——《危、ナイ、危険》
——《逃ゲる、逃げル》
警告の声が届く。
(精霊の声か……?)
なにを言っている。危険とは、なんだ。
無意識に、振り子を握る。
ぶくぶくっという泡のような音がした。湿った土から泡が出てきて、足裏から体を突き抜けていく。
——《逃ゲて、逃げテ》
鮮明に聞こえた瞬間、坑道から下の空間につんざくような悲鳴が響き渡った。
同時に轟音。
地の揺れ。
「なに……っ?」
十三番の女が言う。
一番の女が、二十番の男の袖を掴む。
セレリウスは三人の隙間を縫うようにして、柱を掴んで下を覗き込んだ。揺れがつづく。
天井の一部が落ちたのか土煙が舞っていた。煙が晴れていくなかで、{灯火}の明かりに、二班八名が倒れているのがわかる。
ヴァックス家の嫡子である顎女も倒れていた。
「——助けるぞ!」
同じように覗いて指示をした二十番の声に、一瞬セレリウスは足が止まった。
声がまだ、セレリウスには聞こえる。まだ危険と警告をしている。
セレリウス自身の判断もまた、助けるのではなく、この場から退避しろと言っている。常なる判断なら、ここでひとり離脱するところだ。
——だが。
ちらっと、二十番の男と視線が交錯した。
「……セレリウスも、行くぞ」
名指しで、指示を受ける。
(覚えていたのか)
『僕は名指しで指示を受けなかった。僕だって、きちんと言われたらやった』
自分の発言。春の第一回対抗戦。
その時の発言を受けて、二十番が発したのだとわかった。
——セレリウスに伝わるように。
ぎりっ、と八重歯を噛む。
(僕は……)
今は、自分が行動を変えるべき時だ。
「わかった」
セレリウスはこくりと肯いた。
二十番が、ほっと息を吐く。一番と、十三番が驚いた顔でセレリウスを見た。
その横を抜けると、セレリウスは〈導脈〉の魔力を走らせて、風の魔法をつぶやく。坑道から空間までは二階ほどの高さがあったが、着地を風が緩和する。
あとにつづいてきた二十番が、
「大丈夫かっ!」
と声をかけて回った。
セレリウスも倒れている同輩の肩や頬を叩きながら、背に焦りを感じる。
(まだ声が、聞こえる)
さきほどのようなはっきりとした声ではない。だが、セレリウスの周囲に泡があるような音がつづき、危険を知らせる声がいくつも聞こえる。
まだ、崩落はつづくのだろうか。
なら、はやく退散しなければ。
「——みんな、大丈夫ーっ?」
セレリウスたちが下りてきた坑道よりさらに高い位置から、担任の声が響いた。
「怪我人いるーっ?」
担任の声に、二十番が答える。ふたりのやり取りがつづく。
——《危ナ……い、逃げル、逃ゲて》
——《……セル、セ……リウス、聞コエる》
——《聞こエル、セレ、リウス、逃げて》
——《ま、じょ、魔女の……使イ》
——《来ル、くるル、くる……》
(魔女の使い?)
なんだ、と思っているうちに、担任が降りてきた。背後に、導師の姿も見かける。大地ノ日の実習だからと、付いてきたのだと聞いていた。
ふたりの姿を見ると、セレリウスの焦りが一部安心に変わる。天井の崩落でしょうか、とやり取りをするふたりに、だがすぐに慌てて口火を切った。
「タヤ師、導師」
呼ばれて、ふたりがセレリウスを見る。
言わねば、と思った。この声の警告を言わねば。
「精霊が」
「精霊?」
導師が訝しむ。
「精霊が、危ないと——」
言っています、という声は、地響きに掻き消された。
やはり天井。
ぱらぱら、と砂礫の落ちる音がしたかと思えば、次の瞬間に巨大な岩が落下してきた。
悲鳴をあげるより先に落ちてきたものに、全員が潰される瞬間、薄紫の光が展開される。{防護}の術式。大きい。雪の華を模した見たことのない陣が、十四人の頭上を守った。
——導師の魔導。
岩が防がれる。
呆気に取られるよりも前に、導師が叫んだ。
「ターニャ師!」
「はい……っ」
「皆さんを……!」
なにを命じられたのか、教師をはじめ全員が理解した。ターニャに急き立てられるように、陣より下から抜け出る。岩の下から這い出るように。倒れていたものたちも背負われて、叩かれて這々の体でそこから出る。
全員が出るのを認めて、導師が表情をゆるめる。
セレリウスもほっと力をゆるようとした瞬間、また声が届く。
——《逃げテ》
短い、声。
刹那、セレリウスの背後で、呻く声が聞こえた。
口から泡を吹き、顎女が、自分の首を絞める。
「あぐあ……っ」
白目を剥く。なにが起きているのかわからず全員が制止した。
針のようなものが跳んでくるのが数秒遅かったら、顎女はおそらく自分で自分を殺していた。体が傾ぐ。倒れる。
導師の方向から跳んできた鋭利な針は、闇に煌めく糸のようなものを断っていた。
「——逃げてください!」
導師が叫ぶ。
「ターニャ師! 壁を! そこの穴から入って、壁を築いてください! あなたならできます!」
{防護}の陣を展開し叫びながら、導師はどこかを睨みつけていた。
「——はやく!」
「……はいっ!」
導師に発破をかけられて、硬直していた担任が動いた。
すぐ横の、五馬身はある穴にセレリウスたちに入るように促す。
セレリウスは倒れた顎女を背負って、急ぎ穴へと入っていく。
担任もまた入り込む。入り込んで、すぐ撃柝のような導師の声が言った。
「はやく、壁を!」
担任の背に、セレリウスは逡巡を見た。戸惑い。抵抗。不安。
そういったもの。
セレリウスの耳の奥まで響く声は、そんな間はないと言っている。急げ。逃げろ。そう言って、セレリウスをこの場から遠ざけようとしている。
うるさくて、いらいらして、セレリウスはやけくその発散もあって、担任に怒鳴りつけた。
「——できるだろっ!」




