68話:擬態
紫水の煌めく粒子は、気づけば、深い森と泉、岩場から落ちる滝の見える空間にあった。
ターニャとセレリウスは、驚嘆をあらわにシェイラを見る。三人で{転移}をしてみせたシェイラに、魔導師の力を垣間見ていた。
「ここだと静かにお話ができそうですから。幸い、授業時間が変更になって二時間つづきの授業だと思いますし、貴族の真似をして戸外の談話でも楽しみましょう?」
シェイラは言って、右手に〈脈〉の力を集める。そのまま手の平を草が生えたい放題になっている空間に向けた。目を閉じる。
——草より下。
ミミズや地ネズミの眠る土よりさらに奥。
悠久より積み重なる大地の層と、脈打つ鼓動を感じる。
その鼓動に魔力を乗せるようにして、大地の層を小さくみっつ突き上げる。
ごごごごごっ、という音。
地震。
わずかな範囲であっても、地下から呼び寄せるとどうしても揺れてしまう。
間もなくして、草間からひょっこりとみっつの花崗岩が飛び出せば、ターニャとセレリウスは絶句していた。
「いびつで座りにくいので、椅子の形にしますね」
シェイラがひらっと手を一度振るだけで、岩がぱらぱらと崩れて、軽い背もたれのある椅子の形になる。
ターニャとセレリウスは、なにも言えなかった。
「ちょっとした、大地の魔術です!」
「全然ちょっとしてません……」
シェイラが笑顔で言えば、ターニャがまたもやげっそりしたように言う。
自身の魔術師としての力と比べているのかもしれなかった。
ターニャ師も修行を積めばできることなのに、とシェイラは思ったが、話題から脱線してしまうので言うのは控えておく。
セレリウスは、シェイラの魔導を目にして気分が変わったのか、さきほどまでの怒りは鎮火しているようだった。
一番はじめに、できあがった椅子に腰かける。
シェイラが次に腰かければ、気をつかったターニャが一番最後に座った。
「——それで、セレリウスさんは、なにが一番たえがたかったんですか?」
教えてください、とシェイラが尋ねると、セレリウスはすぐに口を開いた。
「……僕ばかり、合わせなきゃいけないことです」
「合わせなきゃいけない?」
「……みんなに。世界に」
セレリウスのつぶやきに、わかったように相槌を打ったのは、ターニャだった。
「ちょっと……わかるかもしれないです。そういう気持ち」
「わかるんですか?」
「はい」
シェイラは、よくわからない。けっこう世のなかから浮き出ていた気もするが、合わせようと思ったことがなかったからだ。
ターニャは苦笑いをして言う。
「前にお話をしましたでしょう? 孤児院出身だと」
「はい」
そのターニャの発言に、セレリウスが驚いたように虹色の双眼を見開く。
知らなかった、と目が言っていた。
「話してないからね」
ターニャがセレリウスの気持ちを見透かしたように付け加えれば、セレリウスは言葉を失っていた。
「セレリウスくんの気持ちが全部わかるわけじゃないけど、わかることもあるよ」
「どこのですか?」
「ん? 北部の孤児院」
「あの大きい……」
「そう。百人くらいいるの」
「僕は南部でした……四十くらいだったかと」
シェイラはそれでも多いな、と思う。
子どもがひとりひとり向き合ってもらうためには、多い人数だと感じる。
「だからね、セレリウスくんの気持ち少しわかる。みんなに合わせなきゃって。目立たないようにしないとやっていけないって。怒られちゃうって思う」
ターニャが話を戻すと、セレリウスは唇を結んだ。
なんと言えばいいのか考えているようだった。
「……僕は、先生とはちがうかもしれません。僕は……」
言葉を選ぶように、なにかをさがすように、虹色の目が草地に移ろう。
草の葉先に乗るバッタを見つけると、ぽつりと言った。
「擬態しなければ、って思います」
「擬態?」
「ちがう生き物だから、擬態していないと、捕食される。擬態しなければ、紛れ込めない。そういう感じがずっとあります」
なるほど、とシェイラは思った。
言い得て妙だな、と。
そういう感じを持て余しているセレリウスの孤独がよくわかる言葉だと思った。シェイラのなかに、セレリウスの孤独が静かに入り込んでいく。
「擬態かあ……」
ターニャもまた、わかると言いながら、自分との感じ方の差を落とし込んでいるようだった。
「……ずっと擬態していると、疲れますね」
バッタが跳ぶのを見て、シェイラは言う。たとえ擬態していても、動かなければ、なにも得ることはできない。そうやって動いている時に知られてしまうことを、セレリウスは無意識に恐れているのかもしれなかった。
「はい」
セレリウスは大きく肯く。
「たまには翅を伸ばしたくなりますね」
「そうです」
「そういう時、ヨハルさんと話してたんですか?」
シェイラが問えば、セレリウスはヨハルの名に驚いたようにした。
「なんで、ここであいつの名前が出てくるんです?」
「仲よいと思って見てましたから」
「まあ親友ですが」
「ヨハルさんと翅を伸ばしてたんじゃないんですか?」
「ちがいます。あいつは、通訳です」
「ああ……通訳。うまい表現ですね」
「あいつ自身がそう言ってました」
やはり、よい友人だ。
退学してしまったのは、あまりにも悔やまれる。
「話を戻しますと」
ヨハルの役割を認識し直しながら、シェイラは整理する。
「セレリウスさんがたえがたかったのは、自分ばかりがみんなに合わせなければいけないと思っていたこと。それは擬態に近い感覚で、苦しくなっていたこと。今さっきは、その苦しさが溢れ出していた……こういうことで、合ってます?」
「そんな感じです」
整理しながら、泉付近の土から粘土板を作ってみせた。ずずずっ、とモグラが土のすぐ下を潜っているように大きな粘土板が移動してくるのを見て、ターニャとセレリウスはまたもや呆気に取られた。
粘土板に独りでに文字が刻まれて、シェイラがまとめあげたことが記されれば、ふたりは、魔導師に対してなにも言えないようであった。
「そうですか……申しわけないです。無理をさせてしまったようで……」
シェイラが整理された内容を見ながら言えば、ターニャとセレリウスもまとまったものを見た。
全員が全員、文字化されているものを見て、あらためて思考を整理するように考え込む。
視覚化されていると、だれにとっても考えやすいな、とシェイラは思う。言葉だけで交わして得られるものもあるけど、解決策を探したり忘れないようにするためにはやっぱり目に見える形にするほうがわかりやすい。
「——もう、擬態するのをやめちゃうのはどうかな」
そんなことを考えていると、ターニャがあっけらかんと言った。




