61話:ヴァックス家の夜会
——ヴァックス家の館。
木造の大広間には、天吊燈、蝋燭が{浮遊}する。天井には、魔術絵画。蛋彩による聖画——大魔導師サージェストと十二人の弟子たちの誓いの場面だった。
セレリウスは、弟子のひとりである精霊女王エレンシアを見つける。遊色の髪に、虹色の双眼を持つ精霊女王は、千六百年を経ているはずなのに、今なお、女王国の奥地で国を統べているという。
大山脈によって隔てられている女王国は、東の島国である斎王国同様に、実質鎖国状態だ。かの国のあり方は、渓谷を越えたものしか知らない。
玉薔薇樹林の褥におわす、恐ろしき女王。
女王の姿もまた、見たものはほとんどいない。
(存命かどうかも、あやしいものだ)
セレリウスは見たもの、見えるものしか信じられない。
自分に精霊魔術の血が流れているのはたしかだろうが、女王の存在については疑義を感じていた。
「——まあ、ほんとうに、由緒正しきヴァックス家に、セレリウスがおりますのね?」
セレリウスはうるさい場所が苦手だ。まともに音を聞き取ることができなくなるからだ。全部騒音に聞こえる。
この夜の会とて、当主である養父から命じられていなければ、絶対に自ら足を運ぶことなんてしなかった。
そのざわめきのなかから、セレリウスは自分の名を聞き取った。
見れば、〝高等学院・十三番・女〟と、当主の娘である顎姫がひそひそと話しているところだった。こちらをちらちらと見る。視線を返すと、ふたりの目が逆三角になった。
——あれは悪意だ。気をつけろ。
ヨハルに教わったことを思い出す。
一年くらい前のことだっただろう。ちらちらと女子に見られて、名前を出されているものだから、セレリウスは聞いたのだ。
「僕のこと好きなのか?」
「ばかたれ」
ヨハルに頭を叩かれたことを思い出す。痛かった。
暴力はよくないと返した覚えがある。
「あれは悪意だ。気をつけろ」
「悪意……? なにもしてないが」
「好かれることもしてないだろう。——いいか、女たちがこそこそと集まって、ちらちらとこちらを見ている時、それに対してこちらが視線を返して、悲鳴をあげて目を逸らすなら、好かれてる。笑われたり、目元が歪んだら、悪意だ。嫌われてる。気をつけろ」
「目元が歪む……」
「逆三角だ」
「理解した」
「お前は、表情のちょっとしたちがいを読み取れないからな。反応で覚えろ。じゃないと{導線}を伝った火炎で木っ端微塵だ」
「まるで、実体験のようだ」
「おう。おれは好かれてると思って、へらへらと話しかけに行って、死ぬほど恥ずかしい思いをした。自意識がやられるかと思った。犠牲になったおれの自意識に感謝しろ」
「感謝の仕方を教えてほしい」
「つまり、おれの言うことを覚えとけ。いいな?」
肩をつかまれて、真剣味を帯びて言われる。
ヨハルがセレリウスに言い聞かせる時、いつもそうされた。
セレリウスは、ひとつ肯く。
「わかった」
「よし。特にセルは……貴族の家に入るだろ? 悪意には気をつけておけ」
「貴族が関係あるのか?」
セレリウスはなにせ孤児院育ちだ。貴族事情は、これから知るしかない。
ヨハルも庶民のはずだが、人付き合いからいいから、なにか情報として仕入れているのかも知れない。
「……おれの母親がさ、学院にいた頃、貴族のご令嬢と仲よかったんだと」
文脈が読み取れない。
セレリウスが怪訝な顔をすれば、情報が付加された。
貴族の悪意に気をつけるための実話だという。
「うんでさ、そのご令嬢すごい美人で、おまけに〈導脈〉も古い家系らしくてさ、社交季には貴公子たちから求婚三昧だったらしい」
「なるほど」
「そういうご令嬢はさ、やっかみがひでえから、護符とか持ち歩くらしいんだ。特に社交季とかは気をつけてないと、いつどこで呪い殺されるかわからないらしい」
「結末が知りたい。その令嬢はどうなったんだ?」
ヨハルの話の《《先が見通せなくて》》、セレリウスは掻痒感を覚える。いらだつ。
悪い悪い、とヨハルはセレリウスのいらだちを理解すると、一言でまとめた。
「死んだ」
「……護符があるのにか?」
「護符の効用を退けて、殺されたらしい。母親、見たんだと」
「見た?」
「死ぬところ。学院の休み時間だったらしい。好いた男から求婚されたってすげえうれしそうにしてたんだと。その話をしている時に、急に悲鳴をあげて喚いたかと思ったら、顔を自分の爪で掻きむしって、信じられないくらい吐血して、絶命だと」
「…………」
「一時期、母親、学院行けなくなったって言ってたわ。学院で起きたことだから、依頼を受けた魔導師が治療して、今は大丈夫らしいけど」
「……恐ろしいな」
だろ? とヨハルが言う。
「で、犯人は同じ学院の貴族の令嬢」
「犯人が見つかったのか?」
「その女の荷物から、土人形と釘とか出てきたんだと。……ノザリアンナ呪術だよ」
「呪具なんて、そんな簡単に手に入らないだろ」
「貴族だからな。金がある。でもさ、これには、それだけじゃないって噂があったらしい」
ヨハルが周りを気にする。
口元に手を当てて小声で言う。
「〈魔女の騎士〉の仕業だってよ」
セレリウスは単語から記憶を想起する。
歴史で習った。
八一九年、〈気高き魔女の騎士団〉の誕生。
「……駆逐された秘密結社が、なんで出てくる?」
「ばかやろう。んなもん、駆逐されたなんて、歴史の嘘に決まってんだろ。まだあるんだよ。やつらは社会の裏で暗躍してんだよ。で、滅びたノザリアンナ呪術王国の再興を未だ願って、貴族を後援者に、組織をでかくしてるんだ」
社会の闇だ、とヨハルはどこか興奮したように言う。
「真否のほどは?」
「だから、噂話って言っただろうが」
「なるほど」
セレリウスは見たこと、見えることしか信じない。
親友の話だが、〝関係ない〟と紙札を貼って記憶の抽斗にしまい込んだ。
——その抽斗が、思い出される。
(悪意……)
十三番の女と、顎姫の目には逆三角の悪意が浮かんでいる。
(勝手にしろ)
どうせ、孤児だとか、貴族の家にふさわしくないとか、言っているのだ。
名前以外聞き取れなかったが、似たようなことは言われ慣れている。
セレリウスは、無視すればいい。
(僕なんて、そんなもんだ)
この虹色の目しか価値がない。
——精霊魔術が使えなければ、セレリウスの存在に意味はない。
孤児め。空気が読めないやつ。学院のはずれ者。
(空気が読めなくても……)
教われば、わかる。教えてもらえれば、わかる。
——なのに。
(そっちだろ)
暗黙を理解しろ。文脈を理解しろ。
そうやって、大衆の意を狩りて押し付けてくるのは、周りのほうだ。
セレリウスは努力をするか、たえるしかないのだ。




