60話:逃亡癖
翌、火炎ノ日。
逃亡癖というのはすぐに治るものではないらしい。
いかに、シェイラに対して少し心を開いている様子が見て取れたとしても、イディオンのそれは変わらなかった。
昨日と同様に、殿下がいない殿下がいない、と言って近衛たちがまたもや散っていく。いつものことだろうに、近衛も侍女も慌てたようにさがしに行くのはなぜだろうか。
(導師を待たせることになるからでしょうか)
ラムルもそうだが、大学府に所属する導師——魔導師というのは気位の高いものが多い。人から邪険に扱われることを、ことのほかきらう。
自分は優秀な導師なのだから、丁重に扱われて当然というご立派なものを持ち合わせていることが多い。
教えに来てやったのに、王子とは言え、待たせるとはどういう了見だ。
——できそこないのくせに。
そうやって怒り出すものが多いのだろう。近衛たちもイディオンが逃亡すると、魔導師が怒り出すから慌てる。
結果として、これまでイディオンは放り出されてきたにちがいない。
簡単に想像がついた。
(黒檀が困るのも当然なわけですね)
だから、毛色の異なるシェイラを投入しようとなったのだろう。
さもありなん、である。
「さてさて。では、今日も協力するとしますか」
シェイラはのんびりとつぶやいて、第一王子宮から踵を返した。
一応、昨日いた場所も覗いておくが、さすがに同じ場所にはいない。
今度、隠れそうなところはどこだろうか。
期間が限られているとはいえ、今日という時間はたっぷりとある。急いたところでよい変化につながるわけではないので、シェイラはゆったりとイディオンをさがしはじめた。
そうして、どれくらい経っただろうか。
「……困りましたね」
シェイラは、むう、とつぶやく。
「どうやって戻るのかわからなくなってしまいました……」
迷路のような小路でつながっている王城は、わけがわからない。気になるところをさがしつつ、適当に歩き回っていたら、第一王子宮がどこにあるのかわからなくなってしまった。
なにせ、翅を使えない。自分の足で歩き回ることなんて久しぶりだったので、方向感覚というものをまったく意識していなかった。
どちらに行けばいいのか、わからなくなる。
「あっちでは……ないですよね」
山のような王城のさらに上のほうにつながる階段があったが、それは頂上付近のもうひとつの城壁につながっている。女王のおわす居館や、政を行う宮殿につながる道だろう。
王子宮はそのなかでなかったことは、覚えている。
「うーん。とりあえず下りますかね……でも、見えたところで道がその通りとは限らないですし——」
「——……なにやっているんだ」
ぶつぶつとつぶやいていると、呆れたような声が頭上からかかった。
シェイラはびっくりして、顔を上げる。
さがしていた人物が、茂る木々のうえにある大きな枝に腰かけながら、シェイラを見下ろしていた。
「イディさん! そんなところに!」
シェイラは、うれしくなって声をあげた。かくれんぼをしていたはずだったが、迷子になっていて目的を忘れていた。迷子先で目的の人物に出会えるのは運がいい。
「ちょうど困っていたんです! 帰り道がわからず!」
「…………」
「実はイディさんをさがしていたんですが、路を歩いているうちに迷ってしまいまして! この王城、作りが複雑すぎませんか?」
「……侵入者を拒むためだろう」
「いやいや、でもでも、侵入者ってふつう路に沿って侵入しないですよ! 景観なんか気にしないのが侵入者というやつです! 複雑にして意味ありません!」
「……たしかに」
シェイラの言葉に、イディオンはまじめに肯く。顎に手を当てて、なにやら考えはじめた。
逃走はするが、思考は放棄していないらしい。
シェイラはこれまた、貴重な情報を脳裏に焼きつけておく。
「話しにくいので、そっちに行きますね!」
「は?」
考え途中のイディオンに、シェイラが真下から投げかければ、ぎょっとされた。
無視して、シェイラは根本より木々に足をかける。下から上に向かって話しかけると、首が痛くてたまらないのだ。
するするとのぼるシェイラ……かと思いきや、そうではなかった。足をかけようとするが、ずり落ちる。長裙衣の裾が邪魔だし、長靴は登りにくい。なによりシェイラの膂力が足りず、踏ん張りが利かない。
悪戦苦闘して暑さに汗をかき、なんとか半分くらい登ったところで、上から手が差し出された。
「ありがとうございます!」
ぐいっと引かれて、シェイラはその力に少し驚く。そういえば、前も感じた覚えがある。
小さな体に合わない力強さ、と頭の筆記本に書きつける。
シェイラが息を切らし、手伝ってもらってなんとか登り終えると、呆れ果てたイディオンの顔があった。下手物でも見たような顔だ。
「助かりました……!」
「おまえ……変って言われないか」
「魔導師はみんな変ですので」
「いや、そういう変とはまたちがう有向線分の……」
「わあ、難しい言葉をご存知でいらっしゃいますね」
物知り、とシェイラはまたもや書きつける。
溜息が聞こえてきた。イディオンが眉間を押さえている。
「どうかしましたか?」
「……いや、いい」
「では、ここでこのままお話でもしましょう」
「……授業をしに来たんじゃないのか?」
シェイラが枝のうえで足をばたばたとさせて言えば、イディオンが訝しげに尋ねる。
「え、しませんよ?」
「えっ」
「します? してもいいですけど、わたし、そのために来たわけではないですから」
少し暑いけれど、青空授業というのも魅力的ではある。
じゃあ、なんのために来たんだ、という縹色の視線が問うので、シェイラは昨日のラムル師の言葉を付け足すように答えた。
「わたしは、イディさんのお手伝いに来たんです。魔法、使えるようになりたいんですよね?」
「…………」
無言だが、目が雄弁に語っている。
眉間に一瞬しわが寄って、これまでの深い苦悩を見て取れた。
「どうせ、すでに偉い先人の方々が、基本的なことは試したり、それっぽい理論と理由は言ってみたり、蘊蓄を傾けたりしているはずです」
「…………」
「だったら、ひとりくらい、全然ちがう方向性からお手伝いしてもいいですよね?」
実はこうしているあいだも、シェイラはイディオンのことを観察できている、ということは口にしない。
魔法植物の観察日誌みたいに扱われるであろうのは不快だろう。
(知りたいからそうしているだけですけどね)
一般的にはそうではないとシェイラもわかっている。あえて、不快になることは言わなくてよかった。
「なので、このままお話でもしましょう?」
イディオンは無言のまま、シェイラの瑠璃色を覗き込んだ。真意をはかっているようだった。しばらくして、視線が外される。前方のガルバーンの都に視線が向かう。
拒否されなければ、シェイラとしては問題なかった。
そのまま、ぺらぺらとどうでもよいことを喋りつづける。
イディオンは言葉少なだったが、訥々と返事はしてくれていた。たまに文章で喋ってくれたので、成果としては上々だった。
シェイラが一番驚いたのは、イディオンの年齢だった。
「十五!」
「……来月、十六」
「十六!」
シェイラとふたつしか変わらないではないか。
びっくりだ。
(じゃあ、この見た目はどういうことでしょうか)
魔導師は歳を取りにくいが、それは〈導脈〉が活性化しているからだ。活性化していても、基本的に体の進行がゆるやかになるのは、十六を過ぎてからだ。
魔法が使えない。イディオンからは〈導脈〉の光が視えない。ならば、この八歳とかそれくらいの年齢で見た目が止まっているのは、理屈に合わない。
シェイラの思考が活性化する。
(そういえば……)
あの時。お守りを一緒にさがす前、妙な違和感を覚えなかったか。夜闇に、縹色の瞳の奥に消失する光を。
(ちょっと調べてみなければいけませんね)
まだ、ほとんどなにもわかっていなかったが、妙な違和感、というのは案外無視しないほうがいい。直感とも言うべきものは、意外と信用できるものがある。
シェイラがぶつぶつつぶやいているのを、イディオンは横から不思議そうに見つめていた。




