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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第3章:空気の読めない孤児—前編—

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54話:葡萄色の長外套


「——〈雲虹〉に喰われたそうです」


 つづけられた言葉に、シェイラは息を呑んだ。

 ひゅっ、と気管が滞る。


「うん、こう……」

「はい。たまたまの出勤日に……」


 極彩色の怪鳥。

 あの目のない、丹頂に。


 シェイラは言葉を継げなかった。

 〈導師〉という立場を忘れ、シェイラ自身が己の恐怖の記憶と向き合っていた。



 ——〈雲虹〉は、シェイラから母を奪った〈蟲〉だった。



 シェイラの前で、シェイラをかばって、母は〈雲虹〉に喰い散らかされたのだった。

 遠い記憶に引きずり込まれる気がした。

 いつも意識している呼吸が、止まる。


 恐怖が足から駆け巡りそうになって、視界に赤紫の長外套(ローブ)が目に入った。


 もうひとつの記憶が、鮮やかに色彩を思い出す。



「——ラータを、こわい記憶から守ってくれるように、そう祈りを込めた」



 彼は——ヴィクトルは、調律の取れていない竪琴のような声をしていた。声変わりの時期だったのだろう。

 言って、両手に乗せた衣を差し出す。


「長外套……ですか?」


 シェイラは受け取って広げる。ふわっとエリスの根のかぐわしいにおいがする。


 赤紫の葡萄色のきれいな色だった。織りに光沢があるのに、紬糸を用いているようで、あたたかみのある布地だった。

 ——手が込んでいる。

 そう、すぐにわかる代物だった。


「うん。魔導師になるなら、いつもまとうだろう? 守りのまじないなら、いつも使うものがいいと思って」

「これ、いくらしたんですか?」


 シェイラは貧乏な旅芸人上がりだったので、ついそんな無粋なことを訊いた。

 ヴィクトルは、気分を害した様子もなく、紅玉の瞳にやわらかく弧を描く。


「費用はかかっていないよ」

「あ、もしかして、王族圧です?」

「失礼だな。……私が一から作ったから、かかっていないんだよ」

「へ?」


 シェイラは思わず、間抜けな声が出た。

 言うつもりなかったのに、とヴィクトルは少し恥ずかしそうに、けれど、少し知ってほしそうな顔で、そっぽを向く。


「……これ、トールが作ったんです?」

「そう」

「まさか、糸から?」

「そう、糸から」

「糸を撚るところから?」

「うん。それから、染料も自分で取ったよ。瑠璃はそんなに大変じゃなかったけれど、〈臙脂虫(エンジムシ)〉を見つけるのが大変だったなあ」

「…………」

「機織りも、はじめてだから最初失敗して。少し糸を無駄にしたけれど、多めに用意しておいたからなんとかなった」


 工房の職人に手伝ってもらえばよかったのに。

 シェイラは、なんとも言えなくなり、長外套を見つめる。指でぎゅっと布地を握り込む。


「……怪我はしませんでしたか?」

「ん?」

「〈臙脂虫〉を取る時に、怪我はしませんでしたか……?」


 弱くても蟲ですから、とシェイラは消えるように訊く。


「していないよ」


 ヴィクトルは、竪琴の中低音を鳴らす。


「怪我していない。これがあるから、大丈夫だったよ」


 重ねて、左手首の腕環(バングル)にふれる。

 金の、紅いファル石のはまった腕環。

 シェイラが、ヴィクトルにあげたもの。


「君のまじないが守ってくれているから」

「……そう、ですか」

「うん」


 しっかりと肯かれる。

 シェイラが気にしていることを安心させるように。


「……王子さまって、そんなに暇なんですか?」


 恥ずかしくなって、誤魔化したくなって、シェイラは問うた。

 ヴィクトルは一瞬、虚を突かれた顔をしてから、かすれたおだやかな音を出す。


「暇ではないね」

「……ですよね」

「だから、少し時間がかかった」

「……ですよね。なんかすみませ——」


「——そうしたかった。その意味、わかる?」


 上から声がかかって、シェイラは、呆然と見上げる。

 紅い瞳が、許さない、と言っていた。


 誤魔化すのは、許さない。


「わ……、わかります」


 シェイラは、からくり人形のようにかくかく肯く。

 首筋から、なにか昇ってくるようだった。


「ほんとうにわかっている?」

「わかって、ます」

「ラータが言った」

「わたしが言いました」


 なにを?


 ただのオウムになっているので、シェイラは問いを呑み込む。

 ヴィクトルはお見通しで、ひとつ溜息をついて、答えを言った。


「手間が大事なのだと」


「手間……」


「時間をかけて、手をこめて、そういったものに真の魔法は宿るのだと。いにしえの魔法は、そうした人々の祈りから、まじないとなって、魔法になっていったのだと、そう言っていただろう?」


「……言いました」


 たしかに、なにかの折に話した覚えがある。

 願いを叶えるような、だれかの幸せを祈るようなものは、ささやかな手間のもとに成り立つのだと、話した覚えがある。


 それが、〈ユベーヌの呪い〉——(まじな)いだと。


 ほんとうは呪法や呪術ではなく、やさしい願いと祈りからはじまった魔法なのだと、シェイラはヴィクトルに語っていた。


(覚えていてくださってたんですね)


 それを、形にしてくれた。

 シェイラはもう一度、長外套を握り込んだ。


「……ありがとう、ございます」

「うん。わかってくれたのなら、いい」

「…………」


 誤魔化しのない、淵黙だった。


「……ラータも、これに手間をかけてくれたから、ね」


 ヴィクトルは腕環にふれる。気恥ずかしそうに、やっぱりそっぽを向いて。


 エシア砂金でできた腕環は、たしかにシェイラが一から祈りを込めて、砂をさらうところから手間をかけ、作りあげたものだった。

 シェイラの気持ちを込めたもの。



 ——十代前半の、もう帰ってこない、かけがえのない思い出の、ひとつだった。



 シェイラは思い出すと、呼吸が戻ってきた。

 過去から今へ、下ろした錨を道標に、呼吸を取り戻す。


 目の前の、ターニャ師に向き合う。

 今のシェイラは、導師。教師や子どもの相談に乗ることが求められている。


(ありがとうございます、トール)


 シェイラは、長外套を握りしめて、それから、ふうっと息を吐き出した。

 恐怖の強張りが、体から抜け出て霧散していくようだった。


「——……それは、ほんとうにお気の毒でしたね」


 気づけば、シェイラは、ターニャへの寄り添いを思い出していた。

 ターニャがこくりと肯く。


「……はい」

「せっかくだから、教師になった姿を見せたかったですね」

「……は、い」

「恩師と……、一緒に働きたかったですね」


 ターニャが首だけで肯定する。


「おかえりなさい、って迎えてもらいたかった、ですね」


 ターニャは、俯いた。


 きっとこらえていただろうに。シェイラから見られていることが気になるであろうに。

 ただ静かに俯いて、時折啜る音がして、琥珀をとかして、なかに潜んでいたものを取り出すようだった。

 どれほどの間があったのかわからない。

 気づけば、ほこりに曇る窓硝子から西陽が入り込んでいた。



「——シェイラ師」



 顔を伏せていたターニャは、目を赤くした状態だった。

 ちがったのは、部屋に入った当初のためらいではなく、決断をしたような色がのっていたことだった。

 シェイラは視線を受け止める。


「大地の魔法……使ってみたいと思います。セレリウスに見本を見せたいと思います」


「……ありがとうございます」


 シェイラは頭を下げる。

 ターニャのなかで、揺らいでいたものが固まったようだった。


「うまく言語化できるように、考え直したり、使ってみたり、したいと思います」

「……感謝です」

「しばらく、使っていないので」


 ターニャが後ろめたそうに言う。

 シェイラは首を振った。

 振ってから、いいことを思いつく。


「そうしましたら、授業そのものをもっと魔法が使いやすいところでしましょう」


「使いやすいところ……?」


「大地の魔法を使うと、どうしても規模が大きくなりやすいですからね。今の、あのお粗末な植物園ではなく、学院の外に場所を取りましょう。わたしから、学院長に打診をしておきます」


「いいんですか?」


 ターニャが驚いたように目を丸くする。


「はい。それに、学院の外でやるほうが目立ちにくいですし、好き放題できます。そのほうがよくないですか?」


 心を決めてくれたとはいえ、すぐすぐ人目が気になる性分はどうにもならないだろう。

 シェイラがそう言った意味を込めて尋ねれば、


「助かります」


ターニャは、うれしそうに橙色の髪を揺らした。


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