53話:ターニャの育ち
図書ノ塔で調べた内容を踏まえて、シェイラは、セレリウスの授業での様子を二度ほど観察し、ターニャに提案をした。
大地の魔法や魔術を呼び起こしているところを、セレリウスに見せてやってほしい。
呼び起こしている感覚を、なるべく言語化してほしいと、シェイラは頼んだ。
シェイラが提案をすると、ターニャはためらいをあらわにした。
話していたのは、あの物置きのような部屋だった。
〈臙脂虫〉の赤い染料は、まだ以前と変わらない量が残っている。
貴重なのだ。
貴重で、染料として優秀だ。布を美しい紅に染め上げるだけでなく、染め上げた糸や布への触媒としての効果を高める。
先染めか後染めかでかかりやすい魔法も異なる。
シェイラの葡萄色の長外套は、この臙脂虫の赤と、瑠璃の青の染料を用いている。先染めによる糸を使い、機織りの魔法で織られている手の込んだ品だった。
シェイラがエシア砂金で作った腕環を贈った時に、お返しにともらったものだ。思い出の、品だった。
「——どうしても、大地の魔法を見せなければいけませんか……?」
標本瓶を見ながら思考にふけっていると、ためらいから戻ってきたターニャが訊いた。
シェイラは現実に戻ってくる。
「なにか、気にかかることがあるのですか?」
この場にフェノアはいなかった。
シェイラとターニャだけだ。
ターニャのためらいの理由を、シェイラは聞いてみたかった。
「……あんまり見られたくないんです」
ぽつりと、ターニャが答える。
「見られたくない? その、いやな思い出でも……? それとも、簡単すぎる魔法しか使えない、とかですか?」
訊きながら、それはないだろうと内心で首を振った。
シェイラから視えるターニャの〈導脈〉に滾る魔力は、かなり強い。修練を積めば、魔導師になりえる——強い輝きを持つ〈導脈〉だった。
「……いえ、その……」
ターニャは、またもやためらう。
間ができる。
シェイラは、今度は思考にうつつを抜かさず、今に錨を下ろす。ターニャの間にあるものを一緒に味わうように待った。
「…………目立ち、たくないんです」
「……目立ちたくない」
シェイラが繰り返せば、こくりとターニャが首を縦にする。
「目立つと、噂になりますから……」
「噂になるというのは、教師たちのあいだで? それとも、子どもたちのあいだででしょうか?」
「……どちらも、かも、しれません」
「…………」
ターニャの琥珀の目がしどろもどろする。
あまり聞かれたくない。けれど、聞いてほしい。
移ろっているようだった。
「……ターニャ師がよければ、その理由を、もう少し詳しく聞いてもいいですか?」
シェイラは、慎重に、土足にならないように言葉を選びながら、尋ねる。
ターニャのなかにはまだ抵抗が残っているようだった。シェイラが硝子を渡るように呼吸をして待っていると、肯かれる。
「——……こんなこと、今回の相談には関係ないのかもしれませんが」
わたしも孤児なんです、と詰まったものが一気に出てきたように高く声が響いた。
「そうなんですね」
シェイラは表情を変えなかった。
なんら驚くことはない。ターニャが、わたし〝も〟と言ったように、セレリウスが孤児であること同様にターニャもそうなのだろう。このセゾンでは地域がらもあって、痛ましくも、珍しいことではないはずだ。
けれど、ターニャはためらった。そのなかに、ターニャの苦しみがあるのだと思えた。
「……セレリウスとはちがう孤児院ですが、私も……孤児院で育っています。生まれた時からそこで育ちました」
「どういった施設だったんですか……?」
「大規模な、施設です。何十人と親を失った子がいるような……」
「そういう施設は多いですもんね」
「はい……だから、私は、ふつうの子が、ふつうの家族のいる子が、どういう生活をしているのか知らないんです」
何十人規模で育っている子と、数人や、祖父母を合わせても十人程度で育っている子であれば、生活の仕方はまったく異なるだろう。
(わたしも、そういえばそうでした……)
旅芸人の頃の生活と、ロゼイユ家での生活は、まるでちがって困惑の毎日だったことを覚えている。
「——シェイラ師は、乳瓶といえば、どういう大きさをまず想像しますか?」
話を聴いていたなかで、ターニャに問われる。シェイラはきょとんとする。
底に陣が施されている乳瓶を思い浮かべて、前腕ほどの大きさの乳瓶を靄で描いた。
ターニャは苦笑する。
「私のふつうは、これくらいです」
言うと、人の上半身くらいはある大きさの四角を両手で表した。
シェイラは驚く。
驚いてから、大規模で生活していると、それくらいの大きさが必要なのだろうと理解に至った。
「……だから、まだ、初等部にいるような子どもの頃、はじめてシェイラ師の言うような瓶の大きさを見た時、私びっくりしたんです。子どもだったから、びっくりしてそのまま声をあげて、『こんなちっちゃなのあるんだ!』って言ったんです。そしたら、周りからすごい笑われました。お前んち、牛と同じくらいの大きさの飲んでるのかって、男子からからかわれました。……すごく、とても恥ずかしくて……いやな思い出です」
「……それは、いやですね。とても」
「はい……。でも、そのあと、もっといやなことがありました」
「もっと、いやなこと」
なんだろう、とシェイラはターニャを見る。
ターニャの琥珀のなかには、その貴石のなかに蟲が何百年も閉じ込められているように、苦痛もまた一緒になっているようだった。
「院に戻って、恥ずかしくてつらかったことを、その日に出勤していた育司士に伝えたんです。いやだったって。そうしたら、その人は、学園で面倒なことは起こすなって。目立つようなことをするからだよ、って言ったんです」
「…………」
「国の金で育っているんだから、目立つことをするなよって言われました」
シェイラは知らず、顔が歪んだ。
言われた当時のターニャの気持ちを考えると、言葉にならなかった。
静かにターニャの言葉を繰り返す。
「……心が、痛いです」
「……だからです。あんまり目立っちゃいけないって思って。周りをすごく見るように、自分の発言も気をつけるようになりました。……まるで、セレリウスとは反対です」
ターニャが苦く、笑う。
シェイラはなにも言わず、うっすらと同じような笑みを返した。
そうすると、ターニャは言葉をつづける。
「学院に上がって、査定を受けた時、自分に大地の魔法の素養があるとわかって、驚きました。驚く以上に、あんまり皆に知られないようにしようと思いました」
「大地の魔法が、元素魔術のなかで、最大の魔法と言われるから、ですか?」
「そうです。そんな魔法使って、目立っちゃだめだなって思いました。もう十四になれば笑う子もいないはずなのに、目立ってはいけない、気を付けなければというのは私に染みすぎてしまっていて……、すみません、だから、使っているところを見られたくないと思ってしまいました」
少し話したからだろうか。ターニャは少しだけつかえが取れたような表情をしていた。
こういう苦しみを、もしかしたらだれにも話したことがなかったのかもしれない。
「……いえ、むしろ、話してくださって、ありがとうございます」
シェイラは、ほんとうにありがたくそう言う。
ぺこっと頭を下げると、ターニャに恐縮の色が浮かぶ。
シェイラはまた線を引かれたくなくて、すぐに頭を上げる。さらに知りたくて、ひとつ尋ねた。
「そういう……いやな思い出がある学校なはずなのに、教師を目指されたんですね」
「あ、それは……」
ターニャが揺れるように言葉を濁して、だがさきほどよりもすぐに言葉としてまとまって返された。
「恩師のような教師になりたかったからなんです」
「恩師、ですか」
「はい。……実は魔法の結果が出た時も、その恩師はとても喜んでくれました。出世できるわよって」
その時のことを思い出したのだろう。
ターニャは、照れたように笑っていた。いい笑みだった。
「その恩師は、こちらの学院にはいらっしゃらないんですか?」
なんの気はなしに、シェイラは訊いた。されど、ターニャはさっと顔を青くした。
「……いえ、その……師は、亡くなりました。去年の忌月ノ休暇中のことです」
シェイラは答えを聞いて、しまった、と思った。
今までの空気を台なしにしてしまうような流れだった。
「……それは、お気の毒に」
「…………」
ターニャの表情がくしゃりとなる。
たえるようにまぶたを閉じる。
シェイラは言葉を連ねなかった。軽薄な慰めの言葉を口にしたくなかった。
(尊敬していた師が死んでしまうのは、心が切り裂かれるようにつらい……)
ずきっ、と頭痛がするようだった。
ガザンに師事する前、第一の師に師事していた頃を思い出す。鈍く霞んでいる記憶がよみがえるようだった。
「……〈蟲〉にやられたそうです」
目を閉じて、たえきったターニャはそう言った。
「忌月の期間ですもんね……」
その二ヶ月は、霧が増える時期だった。自然、死者も多くなる。盛夏ノ休暇とは異なり、街なかの人出も少なくなる時期だった。
「——〈雲虹〉に喰われたそうです」
つづけられた言葉に、シェイラは息を呑んだ。




