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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第3章:空気の読めない孤児—前編—

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53話:ターニャの育ち

 図書ノ塔で調べた内容を踏まえて、シェイラは、セレリウスの授業での様子を二度ほど観察し、ターニャに提案をした。


 大地の魔法や魔術を呼び起こしているところを、セレリウスに見せてやってほしい。

 呼び起こしている感覚を、なるべく言語化してほしいと、シェイラは頼んだ。


 シェイラが提案をすると、ターニャはためらいをあらわにした。


 話していたのは、あの物置きのような部屋だった。

 〈臙脂虫(えんじむし)〉の赤い染料は、まだ以前と変わらない量が残っている。


 貴重なのだ。

 貴重で、染料として優秀だ。布を美しい紅に染め上げるだけでなく、染め上げた糸や布への触媒としての効果を高める。

 先染めか後染めかでかかりやすい魔法も異なる。

 シェイラの葡萄色の長外套(ローブ)は、この臙脂虫の赤と、瑠璃(ラピスラズリ)の青の染料を用いている。先染めによる糸を使い、機織りの魔法で織られている手の込んだ品だった。


 シェイラがエシア砂金で作った腕環(バングル)を贈った時に、お返しにともらったものだ。思い出の、品だった。



「——どうしても、大地の魔法を見せなければいけませんか……?」



 標本瓶を見ながら思考にふけっていると、ためらいから戻ってきたターニャが訊いた。

 シェイラは現実に戻ってくる。


「なにか、気にかかることがあるのですか?」


 この場にフェノアはいなかった。

 シェイラとターニャだけだ。

 ターニャのためらいの理由を、シェイラは聞いてみたかった。


「……あんまり見られたくないんです」


 ぽつりと、ターニャが答える。


「見られたくない? その、いやな思い出でも……? それとも、簡単すぎる魔法しか使えない、とかですか?」


 訊きながら、それはないだろうと内心で首を振った。

 シェイラから視えるターニャの〈導脈〉に滾る魔力は、かなり強い。修練を積めば、魔導師になりえる——強い輝きを持つ〈導脈〉だった。


「……いえ、その……」


 ターニャは、またもやためらう。

 間ができる。

 シェイラは、今度は思考にうつつを抜かさず、今に錨を下ろす。ターニャの間にあるものを一緒に味わうように待った。


「…………目立ち、たくないんです」

「……目立ちたくない」


 シェイラが繰り返せば、こくりとターニャが首を縦にする。


「目立つと、噂になりますから……」

「噂になるというのは、教師たちのあいだで? それとも、子どもたちのあいだででしょうか?」

「……どちらも、かも、しれません」

「…………」


 ターニャの琥珀の目がしどろもどろする。

 あまり聞かれたくない。けれど、聞いてほしい。

 移ろっているようだった。


「……ターニャ師がよければ、その理由を、もう少し詳しく聞いてもいいですか?」


 シェイラは、慎重に、土足にならないように言葉を選びながら、尋ねる。

 ターニャのなかにはまだ抵抗が残っているようだった。シェイラが硝子を渡るように呼吸をして待っていると、肯かれる。


「——……こんなこと、今回の相談には関係ないのかもしれませんが」


 わたしも孤児なんです、と詰まったものが一気に出てきたように高く声が響いた。


「そうなんですね」


 シェイラは表情を変えなかった。


 なんら驚くことはない。ターニャが、わたし〝も〟と言ったように、セレリウスが孤児であること同様にターニャもそうなのだろう。このセゾンでは地域がらもあって、痛ましくも、珍しいことではないはずだ。

 けれど、ターニャはためらった。そのなかに、ターニャの苦しみがあるのだと思えた。


「……セレリウスとはちがう孤児院ですが、私も……孤児院で育っています。生まれた時からそこで育ちました」


「どういった施設だったんですか……?」


「大規模な、施設です。何十人と親を失った子がいるような……」


「そういう施設は多いですもんね」


「はい……だから、私は、ふつうの子が、ふつうの家族のいる子が、どういう生活をしているのか知らないんです」


 何十人規模で育っている子と、数人や、祖父母を合わせても十人程度で育っている子であれば、生活の仕方はまったく異なるだろう。


(わたしも、そういえばそうでした……)


 旅芸人の頃の生活と、ロゼイユ家での生活は、まるでちがって困惑の毎日だったことを覚えている。



「——シェイラ師は、乳瓶といえば、どういう大きさをまず想像しますか?」



 話を聴いていたなかで、ターニャに問われる。シェイラはきょとんとする。

 底に陣が施されている乳瓶を思い浮かべて、前腕ほどの大きさの乳瓶を靄で描いた。

 ターニャは苦笑する。


「私のふつうは、これくらいです」


 言うと、人の上半身くらいはある大きさの四角を両手で表した。

 シェイラは驚く。

 驚いてから、大規模で生活していると、それくらいの大きさが必要なのだろうと理解に至った。


「……だから、まだ、初等部にいるような子どもの頃、はじめてシェイラ師の言うような瓶の大きさを見た時、私びっくりしたんです。子どもだったから、びっくりしてそのまま声をあげて、『こんなちっちゃなのあるんだ!』って言ったんです。そしたら、周りからすごい笑われました。お前んち、牛と同じくらいの大きさの飲んでるのかって、男子からからかわれました。……すごく、とても恥ずかしくて……いやな思い出です」


「……それは、いやですね。とても」


「はい……。でも、そのあと、もっといやなことがありました」


「もっと、いやなこと」


 なんだろう、とシェイラはターニャを見る。

 ターニャの琥珀のなかには、その貴石のなかに蟲が何百年も閉じ込められているように、苦痛もまた一緒になっているようだった。


「院に戻って、恥ずかしくてつらかったことを、その日に出勤していた育司士に伝えたんです。いやだったって。そうしたら、その人は、学園で面倒なことは起こすなって。目立つようなことをするからだよ、って言ったんです」


「…………」


「国の金で育っているんだから、目立つことをするなよって言われました」


 シェイラは知らず、顔が歪んだ。

 言われた当時のターニャの気持ちを考えると、言葉にならなかった。

 静かにターニャの言葉を繰り返す。


「……心が、痛いです」


「……だからです。あんまり目立っちゃいけないって思って。周りをすごく見るように、自分の発言も気をつけるようになりました。……まるで、セレリウスとは反対です」


 ターニャが苦く、笑う。

 シェイラはなにも言わず、うっすらと同じような笑みを返した。

 そうすると、ターニャは言葉をつづける。


「学院に上がって、査定を受けた時、自分に大地の魔法の素養があるとわかって、驚きました。驚く以上に、あんまり皆に知られないようにしようと思いました」


「大地の魔法が、元素魔術のなかで、最大の魔法と言われるから、ですか?」


「そうです。そんな魔法使って、目立っちゃだめだなって思いました。もう十四になれば笑う子もいないはずなのに、目立ってはいけない、気を付けなければというのは私に染みすぎてしまっていて……、すみません、だから、使っているところを見られたくないと思ってしまいました」


 少し話したからだろうか。ターニャは少しだけつかえが取れたような表情をしていた。

 こういう苦しみを、もしかしたらだれにも話したことがなかったのかもしれない。


「……いえ、むしろ、話してくださって、ありがとうございます」


 シェイラは、ほんとうにありがたくそう言う。

 ぺこっと頭を下げると、ターニャに恐縮の色が浮かぶ。

 シェイラはまた線を引かれたくなくて、すぐに頭を上げる。さらに知りたくて、ひとつ尋ねた。


「そういう……いやな思い出がある学校なはずなのに、教師を目指されたんですね」


「あ、それは……」


 ターニャが揺れるように言葉を濁して、だがさきほどよりもすぐに言葉としてまとまって返された。


「恩師のような教師になりたかったからなんです」


「恩師、ですか」


「はい。……実は魔法の結果が出た時も、その恩師はとても喜んでくれました。出世できるわよって」


 その時のことを思い出したのだろう。

 ターニャは、照れたように笑っていた。いい笑みだった。


「その恩師は、こちらの学院にはいらっしゃらないんですか?」


 なんの気はなしに、シェイラは訊いた。されど、ターニャはさっと顔を青くした。


「……いえ、その……師は、亡くなりました。去年の忌月ノ休暇中のことです」


 シェイラは答えを聞いて、しまった、と思った。

 今までの空気を台なしにしてしまうような流れだった。


「……それは、お気の毒に」

「…………」


 ターニャの表情がくしゃりとなる。

 たえるようにまぶたを閉じる。

 シェイラは言葉を連ねなかった。軽薄な慰めの言葉を口にしたくなかった。


(尊敬していた師が死んでしまうのは、心が切り裂かれるようにつらい……)


 ずきっ、と頭痛がするようだった。

 ガザンに師事する前、第一の師に師事していた頃を思い出す。鈍く霞んでいる記憶がよみがえるようだった。


「……〈蟲〉にやられたそうです」


 目を閉じて、たえきったターニャはそう言った。


「忌月の期間ですもんね……」


 その二ヶ月は、霧が増える時期だった。自然、死者も多くなる。盛夏ノ休暇とは異なり、街なかの人出も少なくなる時期だった。



「——〈雲虹(うんこう)〉に喰われたそうです」



 つづけられた言葉に、シェイラは息を呑んだ。


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