5話:ユート(2)
「ああっ?」
「ぜひどうぞ、わたしのことはゴキブリばばあとお呼びください。ちょっと長くて呼びづらいと思いますが、かまいません。毎度呼ばれれば、めったにない経験になりそうです」
シェイラが言うと、ユートがひるんだ。
ひるむ気がしたが、当たりのようだ。
子どもが、他者をよくない言葉で罵倒する時は、その人間から注目を得たい時か、あるいはいらだちの発散からだ。注目を得たいという理由であれば、今のシェイラの対応はよろしくない。変な注目を満たしてしまっている。
けれど、ユートは、さきほどもゴキブリという言葉を取り下げた。きっと根が優しい。ならば、いらだちから生じているものだろうとシェイラは分析した。
そして、分析は当たりだったようだ。
興奮していた様子のユートが、ひるんだ表情とともに落ち着いていく。
「……あんた、なに」
ぼそっと罰が悪くなって睨むようにユートが言う。
赤銅色の猫っ毛もあってか、どこか警戒心の強い猫を思わせる。
シェイラは少ししゃがんで、ユートの青い瞳に視線を合わせた。
「はじめまして、シェイラと言います。お仕事でこれから一週間に一回、ここに来ることになりました」
「仕事? 先生ってこと?」
「まあ、そんなところです。ただ実はわたしも、ちょっと仕事の中身がわかっていません」
「先生なのにやることわかってないの?」
「はい、そうなんです。やばいですよね。初日から、だめ先生です。どうしましょう」
シェイラがおどけて言えば、ユートが、ははっと笑った。さっきまでのいらだちが嘘だったように消し飛んだ笑い方だった。
「先生やばっ」
「クビになったらどうしましょう」
「じゃあ、ひとりになったオレの面倒を見てたってのはどう? そしたらきっと怒られないよ!」
「ええーっ、いいんですか! それはめちゃくちゃありがたいですね。クビ回避へのご協力に感謝です。大人に一個、恩を売るなんてやるじゃないですか」
シェイラが肘で小突いて言えば、ユートは赤銅色の髪を掻いて、えへへ、と笑った。
(なんて優しい子なんでしょう……!)
シェイラは感動だ。
やはり子どもというのはいい。大人とちがって素直でかわいい。
仕事の内容はいまいちよく掴めていないが、有意義な一年になる、というガザン師の言葉に、そうかもしれない、というやる気のようなものが満ち溢れてくる。
そのあと、シェイラとユートは、一緒に過ごした。ユートの提案どおり、面倒を見る、という体だ。
ブナ林に生えている、あやしい茸や葉っぱを見つけたり、春になって元気になった生き物を探しまくった。途中、羊歯や地衣類に似た《《蟲》》も見つけて、こんなところにもいるんだ、とユートとびっくりした。
「——先生といるの楽しかったから、恩はちゃらだよ!」
授業終わりの鐘が轟いて教室に戻る際に、ユートがそう言った。
ほんとうにいい子だ。
にかっと笑ったユートが教室に戻るのとは入れちがいに、前方の扉からキルシュ師が出てきて、なかに入ったユートの背中を一瞥する。
「……初日からのご対応、ありがとうございます」
渋々といった様子で、キルシュ師はシェイラに礼を言った。
それから、あらためてシェイラの姿を上から下まで眺めて、見下ろす。耳に目を止めて、最後にぴたっとシェイラの両手指を見る。
視線から、なにか思うところがあるのだろうと思った。シェイラの低い背、揺れる瑠璃の耳飾り、すべての指にはまった指輪。
いろいろと思われてもおかしくない。
(どうしよう。この先生の相談に乗れる気がしない)
遠慮のない、キルシュ師の評価する視線に、シェイラはユートと過ごした楽しい時間が萎れるような気がした。
「次の時間は専科です。私は空き時間となるので、よろしければそこでご相談のお時間を」
「あ、はい! よろしくお願いします」
ぺこりと、シェイラが頭を下げると、キルシュ師から睨まれるようにされる。
あきらかに年下であり、ぺこぺこするシェイラに相談することを不快に思っているのだろう。
絶対にやりづらい、と当初話を聞いた時に思ったことが思い出された。
ガザン師から言われたことも、シェイラが思ったことも、すべて正しそうな仕事だ。
行きは学園長に付き従った道を、帰りはキルシュ師に従って歩む。再度の教導館に、授業終わりまで待てばよかったのでは、と思ったけれど、口にはしなかった。きっと理由があるのだろう。
教導館の空室——会議室のような場所に通される。飴色になった木組みの椅子と円卓が、この学園ができた時間を感じさせる。
「おかけください」
円卓の隅に、シェイラとキルシュ師で座る。キルシュ師が筆記本を出したので、シェイラもまた預けていた鞄から筆記本を出した。
「——それで、どうでしたか?」
キルシュ師に開口一番に問われて、シェイラは面食らった。
えっと、と詰まる言葉が出てきて、それからシェイラは続ける。
「まずは自己紹介をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あっ……そうですね。失礼しました。キルシュ、と申します。教導師です」
教導師、ということは教師よりもうえだ。中堅と言えば、それくらいになっていてもおかしくない。
シェイラはなるべく愛想のいい笑みを浮かべた。気を抜くと、真顔になりやすいとガザン師から言われていたから、表情全体を意識する。目尻や口角の筋肉を特に気をつけた。
「シェイラータです。シェイラとお呼びください。一応、ヴェッセンダリアの導師です」
キルシュの目尻がぴくっと動いた。導師、という言葉に反応をしたのだろう。
導師は、魔導大学府の研究員のなかで、特定の功績をあげたものにしか与えられない称号だ。導師の次が準師、そして老師となる。
教師や教導師は、魔法学園や魔術学院でしか教鞭を取れないが、導師は大学での教鞭を取ることができ、また教師や教導師の指導も行える。
自分よりも年下の若造がっ、などと思われたにちがいない。
シェイラもそう思うので、自己の紹介をつづけた。
「導師ですが、まだまだ未熟者です。今回も師から学びを得てこいと遣わされてきたので、キルシュ師からも学びたい気持ちでいっぱいです」
「……シェイラ師は、なにを専攻されていたのです?」
シェイラがにっこりと言えば、キルシュ師からの剣呑さは少し取れた。
興味と思しき問いがある。
「最初は魔導全般を貪るようにしていましたが……、今の師に師事するようになってからは、心ノ理学と瞑想学を学んでいます」
「今の? 前に師事されていた方がいらっしゃったのですか?」
「はい。おりましたが、亡くなりまして」
シェイラは、できるだけ、からっと言った。からっとを意識した。
大丈夫。違和感はないはず。こういう時に備えて、何度も練習してきたのだから。
「……そうでしたか。お悔やみ申し上げます」
キルシュ師が、しまったという顔をしながら、すかさず大人の対応をする。それ以上のことは聞いてこなかった。
「——それで、いかがでしたか?」
これ以上、初対面のシェイラに突っ込んだことを聞いてはいけないと判断をしたのだろう。話題がもとに戻った。




