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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第3章:空気の読めない孤児—前編—

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45話:ターニャ師の困惑

 ターニャは、平凡が好きだった。

 穏便が好きだった。

 みんなのなかのひとりであることが安心した。


 そんなターニャが、魔術学院を卒業して、大学府で教師になるための単位を取り、晴れてこの春から、教師として働こうと思ったからには理由がある。


 自分のような人間であっても、ひとりの人間として見てくれるような、そんな教師に憧れたからだ。


 平凡でありたいし、目立ちたくないのに、これでいいのかと思い悩んでいた十代の後半。卒業後の行き先をどうするか迷っていた時、当時の担任が、目立とうとしないターニャに寄り添ってくれた。


「なにかしたいことは、ない?」

「……ないです」


 何度か繰り返された面談で、決まったようにそう返答するターニャに、ほんとうは当時の担任だって飽き飽きしていただろう。

 それでも、いろんな先輩の話を聞かせてくれたり、時にはターニャを院から連れ出してくれたり、静寂ノ日(きゅうじつ)にいろんなところを見せてくれた。


「見たことがないし、経験したこともないのに、将来なにかしたいかなんて聞かれても困っちゃうわよね」


 そういう担任の女教師は、子を四人産んだふくよかさがあって、ターニャのなかには存在しない、母という像がこの女教師のなかに見える気がした。

 ぬくもりのある担任にいつしか憧れを抱くようになって、そして卒業を控えた半年前になってようやく、自分の意を伝えた。


「……私も、先生みたいな先生に、なりたいです」

「まあ!」


 聞いた女教師は、きっとほんとうの母のように満面の笑みを向けてくれた。

 腹の奥がぎゅうっとあたたかくなるようで、ターニャはなんだかよくわからず、その反応に泣いてしまった。

 そうすると、先生も泣いてしまって、涙でどろどろの面談終わりだった。けれど、ターニャは、今まで人目ばかり気にして、どうにか他人の機嫌を取ろうと必死になっていたばかりの自分が、少しだけ好きになれた気がした。


 成績は問題なかったので、大学府への進学は滞りなかった。


 必死になって、いろんなことを学んだ。魔導系譜学や教育論、子ども学、心ノ理学、全部が全部、ターニャの明るい未来につながっている気がして、楽しかった。

 母校に帰って、学んだことがどんなに楽しかったのか恩師である女教師に報告すると、いつも喜んでくれた。


 とても充実した日々だった。

 四年生の忌月ノ休暇(春休み)を迎えるまでは。



 ——セゾン高等魔術学院の筆頭教導師が、お亡くなりになられました。



 その報せを、ターニャは休暇中に王都の寮で呆然と受け取った。


 休暇ではあったけれど、次年度が卒業を控えていたから、論文になる資料を探すために王都に残っていたのだ。翌週、セゾンに戻ろうと思って、師に卒論の構想を話そうと思っていたのだ。


 急ぎ、セゾンに戻る。駅馬車ではなく、四年間で貯めていた金子をほとんど使って、転移魔術陣で帰省した。


 恩師の家に弔問に訪れれば、四人の子どもたちが涙を溜め、恩師のご夫君にお悔やみを伝える。

 ご夫君は、セゾン県を防護するヴァックス家に使える立派な方で、気丈にターニャの弔問を受け入れてくれた。


「先生は……、なぜ」


「……〈蟲〉です。ちょうど北からの風に乗って、深い〈霧〉のたち込める日が、休暇中の出勤日に当たっていました。妻は実力のある筆頭教導師でしたが、出たのは〈雲虹(うんこう)〉と聞きました。他の職員が見つけた時には……すでに食い荒らされたあとでした」


 ターニャは絶句する。


 あの抱きしめられるとふくよかで安心する体を、〈雲虹〉の嘴が貪ったのかと思うと、ターニャもまた自分の体がばらばらになった心地がした。


 あまりにも恐ろしい話に、涙もなにも出てこなかった。


 言葉を失ったターニャに、おそらくすでに何度も同じような反応をされて慣れたのか、あるいはヴァックス家に仕えていて慣れているからなのか、ご夫君は苦笑しながらもやさしく笑った。恩師に似た笑みだった。


「王都からすぐにここまで来られたのは、あなたがはじめてです。妻が、教え子に慕われていたのだとわかり……うれしくなりました。この度は、ありがとうございます」

「…………」


 ターニャは自身の気持ちがわからなかった。どう表現すればいいのかわからず、そのままの流れで香炉を焚いたのち、すぐに辞した。

 最後に、恩師の子どもたちだけが気にかかった。


(あの子たちは……)


 自分のように、孤児院に預けられたりしないだろうか。


 心配になったけれど、首を振る。恩師の立派なご夫君がいるから、きっとそんなことはない。大丈夫だ。

 ターニャはそう自分に言い聞かせて、恩師の家をあとにした。


 それからのターニャは、これまでの四年が嘘のように最後の一年を鬱屈して過ごした。


 結局、卒業の学位はもらえなかった。

 そもそも、大学府を卒業できるものは珍しい。教師を目指すものたちだって、単位を取り終えてその称号をもらえればいいから、大学府の学位をもらうものは少ない。

 ターニャにはもう、見て見て、と言って見せびらかす相手もいない。ただ時が過ぎるままに、四年でほとんど取り終えていた単位をそのままに、一年を過ごした。



 そうして、ターニャは大学府を出て、この春——オルリアの月に、母校に戻ってきた。



 恩師がいなくなった母校に。穴の空いた筆頭教導師には、すでに別の県から異動してきた知らない教導師が役職についている。


(なんのために、戻ってきたんだろう)


 なんのために、教師になりたかったのだろう。

 憧れていた恩師のようになりたかった。その恩師はもう、いないというのに。


 ターニャはそう思うと、教師を目指したいと思えるようになる前の、自分に戻ってしまうようだった。

 人の目ばかり気にして、顔色ばかり窺って、空気を読むことに必死だったあの頃に。


 無意識に溜息を吐き出すこともできず、ターニャはそうして、選択授業を担当する教室に向かう。受講者が一人しかいない授業に。



「——お待たせしました、セレリウスくん」



 寄せ木の扉をくぐれば、白い髪に際立つ七色の虹彩を持つ少年が椅子に座ったまま、ターニャに目を向ける。

 自身の担当する学環の所属でもあるこの少年が、ターニャはとても苦手だった。


「それでは、はじめましょうか」


 言うと、ふつう、子どもたちは礼をする。あるいは返事をする。

 だが、この少年にはどちらもない。憮然と七色の目をターニャに向けてくるだけだ。


(私とは、正反対)


 変わり者のセレリウス、と陰口を叩かれていることをターニャは知っている。


 あからさまに目の前で言わなければ、ターニャはそういう学環の空気を黙認していた。先日の班別対抗戦のこともある。言われて仕方ない、と正直ターニャは思っていた。

 空気に聡い子たちのなかには、担任教師が、自分たちの陰口にどんな反応をするのか視線で探りを入れていたが、ターニャはあえて気づかないふりをしていた。

 そういう処世術を、ずっと身につけてきたのだから、造作もないことだった。


「そしたら、なにからはじめようか。精霊との交歓……? 私は精霊魔術師ではないからわからないけど、精霊魔術の使い手は生まれた時から精霊と交流しているというから、まずはその様子を見せてもらって——」


「わかりません」


 ターニャにかぶせるように、セレリウスが言った。

 人の話は最後まで聞けと、初等学園で習わなかったのだろうか。


 いらっとしたものが、ターニャのなかで疼く。

 それでも、ターニャは教師だ。魔導へと至る道を示す、恩師の薫陶を受けた教え子だ。

 先生だったら、こういう時どうするだろう、と必死に考えて、やんわりと笑みを浮かべる。


「わかりませんってどういうことかな……? 先生に、教えてくれる?」


 なにせ、ターニャは大地の魔術師だ。

 大地の魔術と精霊魔術は、通底するものが似ているのだという。

 だから今回、珍しい精霊魔術の使い手の指導に、ターニャが当てられたのだ。大嫌いな大地の魔術師として。


「わかりません。文字通りです。僕は、生まれてから一度も精霊と交流したことがないので、感覚がわかりません。なので、感覚から教えてください……えっと、タヤ先生」


 ターニャだ。タヤってだれだ。


「教えてください、先生。僕は精霊魔術を極めないといけないので。精霊の声なんて、まったく聞こえないんです」

「…………」


 とはいえ、これはどうしたことだろう。

 どういうことだろう。


(精霊魔術の使い手が、精霊の声が聞こえないなんてある?)


 新任であるターニャがこの問題をどうすればいいかなんて、わかるわけがなかった。

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