42話:黒檀の間
「——お喚びでしょうか」
シェイラがその部屋に招かれるのは、ヴェッセンダリアからガルバディアに移ってきた初日以来だった。
闇から火が生まれた元素魔術の成り立ちを思わせる室内。
黒檀の間。
指物すべてが磨かれた黒檀で統一されている。宙に浮かぶ天吊燈の明かりを受けて、つやのある表面が光沢を放っていた。
「シェイラ、黒檀がお喚びよ」
フェノアから言伝を受けた。
この間の主は、黒檀、と大学府の人間たちから呼ばしめられる。
部屋の主である魔導大学府の学長のことを示していた。
「——来たか」
書き物机の隅には、半馬身ほどもある優美な鶴が止まっていた。上半身は白く、尾にいくにつれて蒼と翠の羽が混ざっている。
ガルバディアの学長が使役する魔鳥に他ならなかったが、いかに穏やかに羽を広げても、シェイラはあまり近づきたくなかった。
その姿は蟲の——〈雲虹〉を思わせる。
〈蒼鷹〉に次ぐ凶暴さを持つ、極彩色の怪鳥。目がないのに獲物を逃さない。嘴は鋭く、刺突して喰い散らかす。狙われれば、獲物は無惨な姿になる。
シェイラは入室して、それ以上の一歩を踏み出さなかった。——踏み出せなかった。
離れたところから、話を聞く。
ガルバディアの黒檀は、シェイラを見る。翰筆を置くと、告げた。
「シェイラータ、おぬしに依頼だ。いや、女王グシェアネス陛下より、勅命だ」
(勅命……?)
疑問を覚えながらも、黒檀の次を待つ。
「実は、以前から困っていた案件があった。今回の勅命はそれを解決するのにもちょうどよい」
なぜ、会ったこともないガルバディアの女王から勅命を受けるのだろう。
今上の女王グシェアネスは、六大元素魔術を操るガルバディア王家史上、圧倒すべき強力な〈導脈〉を持ち、その力をして魔導師となった。あらゆる蟲や魔獣を一瞬で薙ぎ払うことから、絶対女王と言われている。
「現王家の王太子はどなたか知っているか?」
黒檀の意味深な問いかけにシェイラは首をひねる。
「……どなたでしたっけ?」
まったく覚えていない。興味がないから気にしたこともなかった。
「第二王子ムディアン殿下だ。御歳十三になられる」
聞いたことがあるような、ないような。
きちんと聞いたので、今日からはもう忘れないだろう。
「第一王子じゃないんです?」
立太子するなら、通常長子が順当のはずだ。
祖国オルリア聖王国の第一王子はヴィクトルだった。第二、第三王子といたが、長子ゆえに当たり前にヴィクトルが王太子となった。
「それが、おぬしへの勅命に直結する話だ」
「……なにか、あるのですか」
尋ねれば、黒檀は、瞳を黒光りさせた。
「第一王子は、できそこないと言われている」
(いやな言い方です)
決めつけるような表現で、シェイラは好きになれない。
つむじ風を起こして、言っている人間をそばから吹き飛ばしてしまいたくなる。
「できそこないでもまだ素行がよければいいのだがな。うちから派遣している導師たちをことごとく撒いて、この数年まともな指導を受けておらん。女王陛下もほとほと手を焼いている」
「……なるほど」
できそこないなんて決めつけられたら、逃亡もしたくなるだろう。
そういう思考が働かないのだろうか。
シェイラは会ったこともない第一王子に同情を覚える。
かわいそうです、と思っていると、黒檀は腹黒い笑みを受かべた。
「ところで、シェイラータ、おぬしが担当する学園や学院からの評価はなかなかよい。子どもたちとも教師たちとも仲よくやっているようではないか」
流れから、いやでもなにを命じられるのか予測できる。
「まさか、わたしがその第一王子を……?」
「すでに、老師メイベ・ガザンの許可は得ている」
「ええー?」
聞いていない、と思うと、楽しそうにほほ笑む、師の緋色の老眼が想像できた。
「……ですが、わたしの一週間はすでに埋まってます」
「盛夏ノ休暇中は、学校は休みだろう。問題ない。毎日でも登城できる。休み明けも、福音ノ日か? あの学園は別の導師を派遣する。そんなに困ってないだろう」
「いえいえ、それだけではありません。わたしはこの一年の期間限定でして、王子さまの面倒は見つづけられません」
「おぬしが指導をして、期日までに他の導師に交代できるよう計画立てれば問題あるまい?」
「…………」
ガルバディアの黒檀は、用意周到だった。シェイラの言いわけはあっという間に尽きる。
そもそも、女王陛下の勅命ならば、断ることができない。
溜息が漏れ出そうになる。
ほんとうは、あまり王族などには関わりたくない。
シェイラはのんびりと魔法や魔術の研究ができればいい。子どもたちと楽しく過ごせればばいい。
高貴な人間と関わるのは、もう十分だった。
シェイラは八つ当たりに魔鳥をねめつけながら、黒檀に渋々尋ねる。
「それで、その王子さまはなんとおっしゃる方ですか?」
シェイラが諦めたのを悟ったのだろう。
黒檀は、笑みを含んで言う。
「——イディオン・ガルバディア殿下。魔法が使えない、できそこないと言われる王子さまだ」
(できそこないの王子——Prologue——)
【登場人物紹介】
ガルバディア王国第一王子
六大元素魔術の血統である王族において、魔法魔術が使えず、授業をさぼっている。




