39話:学園長室の問答
〈法〉は礎
〈術〉は守株を破りて
離れし先に〈導〉とならん
学園や学院、大学府へとつながり、魔法から魔術、そして魔導へと至るサージェストの教え。
どこの学園や学院であっても、長の部屋にはこの教えが掲げられている。
「——シェイラータ導師、先日はほんとうにありがとうございました」
次の宵闇ノ日、シェイラは放課後、学園長室に招かれた。
サージェストの教えを横目にしながら、シェイラはさっと室内を見渡す。
赤煉瓦の室内には、臙脂色の絨毯が入口から伸びている。突き当たった執務机は栗皮色だった。古い年代を感じさせるものの、甘橙の植物油で丁寧に磨かれて大事にされているのがわかる。
あちこちの書架には、下段に銀や真鍮でできた鍋や釜などが置かれていた。上段にいくにつれて、地図や仔羊皮紙の巻物などが積まれながら、魔導書が陳列している。
入口近辺の壁には、これまでの学園長たちの肖像画が行儀よい姿勢で飾られていた。動いていなかったので、どのような絵画魔術が描かれているのか一見してわからなかった。画材に{保存}が付与されているのは、きっとまちがいないだろう。
室内には、ツェット学園長、筆頭教導師のニカ師、オーズ師と、シェイラの四人のみだった。
シェイラは学園長に頭を下げられて、恐縮する。だいぶ目上で、背がそこそこあるにも関わらず、立ち上がっても威圧感がない。こんな年下にも頭を下げ、腰の低い学園長なのだろうと思えた。
「とんでもないです。偶然が重なっただけですから」
「いえ、偶然であっても……子どもたちも、ここにいますオーズも、導師がいらっしゃなければ、命がなかったでしょう。あらためて学園の長として、お礼を申し上げます」
深く頭を下げられて、シェイラはたじろぐように居心地の悪さを覚える。
内心で慌てていると、オーズの屈託のない声が言った。
「学園長、シェイラ師が困っていますよ。とっととその薄くなった頭頂部を上げてください」
「……導師の前でなにを言っているのだ」
おや、とシェイラは思う。
学園長とオーズ師のあいだに、見えない糸のような気安さを見た気がした。
首をかしげているうちに、ニカ師が茶を持ってくる。
促されると、シェイラは執務机前の長椅子に腰をかけた。座褥のやわらかさを感じながら、出された香草茶を口にする。
アメリ草の爽やかなよい香りが、暑気を洗い流すようだった。
「それで、先日の事件は解決しましたか?」
学園長がシェイラの前に腰かけ、隣をニカ師、シェイラの隣にオーズ師が座る。
皆が腰を下ろすのを認めると、シェイラは尋ねた。
「……はい。レーネさんのお店の斜向かいにある雑貨店の店主が犯人でした」
ニカ師が答える。
——夏に、{霧除け}をしたはずの場所に、〈猿猴〉が出る。
シェイラが出くわしたのは、呪術を端緒とした事件だった。
筆頭教導師として、学園に関係する事件を分掌するニカ師は、先週会った時よりも、桃色の白髪が色褪せてしまったように見えた。県の査問官とのやり取りなどもあり、疲労が蓄積したにちがいなかった。
「そうですか。商売敵への憎しみ……と言ったところでしょうか」
「そのようです。詳しいことはわかりません。すでに査問院のあずかりとなっていますから。店主は拘束されたと聞いております」
では、きっと{解呪}も行われているだろう。
シェイラはあの日、泣くレーネの合切袋から、紙片を見つけた。
中央に、〈完成された文字〉で{猿}、囲うようにして陣が引かれた紙片だった。
〈猿猴〉の血で描かれた陣に、禍々しさと呪者の怨恨を感じた。
通常、蟲は一定の損傷を与えれば霧散するが、特殊な魔術を施した武具を用いれば魔獣のように死ぬ。
そうやって手間をかけて採取された血や体などは、さまざまな魔術で重宝される。一方で、手間がかかっているだけに高価だ。
そのようなものを使ってまで、レーネを——レーネの家を呪いたかったのであろうと思うと、人の恨みの恐ろしさに、シェイラは底冷えするものを感じた。
ぎゅっと拳を握り込む。
〈魔導呪法〉の触媒となっている十の指輪が、皮膚のなかに食い込むようだった。
「……子どもたちは、どうですか? リヨンさんも含め、恐慌を起こしたりしている子はいらっしゃいませんか?」
考えていると、うつうつとしてくる。
シェイラが話題を逸らせば、これにはオーズが答えた。
「おかげさまで。シェイラ師がすぐに、処置を施してくださったので、今のところ、後遺症のようなものを訴える子たちはいません。皆、どうも記憶がぼんやりとしているようで。なにかあったのは覚えてるけど、なんだったかよく覚えていないと言っています。日に日にぼんやりとしていっているようです」
「そうですか。なら、効いているようですね。あまり強い効果のあるものではありませんが、人間の記憶の忘却を後押しするものです。このまま効いていけば、再体験症も防げるでしょう」
人は、一時的に強度の衝撃となるできごとを経験すると、その体験が記憶に焼き付いてしまう。それはさながら、食刻版画のようだと思う。
シェイラは削られてしまった版の腐蝕を手伝い、凹凸があまり見えなくなったようにしたようなものだ。そうすることで、似た体験をした時の再体験を防ぐことができる。
「私たちも教わりたい魔導でございますね。学園で仕事をしていると忘れたいことだらけですから」
ニカ師が、場の空気を和ませるように冗談を挟む。
まったくだ、と学園長もオーズも肯いた。教師たちも大変らしい。
シェイラは曖昧に笑う。その魔導のことを——ユベーヌ呪法に関係することをシェイラはあまり扱われたくなかった。
また誤魔化すように、話の焦点をべつに当てる。
「……ところで、ひとつこの場でお話をしておきたいことがあるのですが」
シェイラが背筋を伸ばして腹から声を出すと、学園長たちもあらたまった空気に応じた。
各色六つの瞳がシェイラに向けられる。
「リヨンさんのことです。彼女は、わたしが{転移}する前、言葉を発することがありましたか?」
シェイラの質問に、喋ったのか? と学園長からオーズ師が問われる。
「いやいや、まさか。まだ、くすっともさせられてませんよ。残念なことに」
「レーネさんたちの前では話せていたということはありますか?」
「あの班は、事件の前はしゃいでいたみたいですが、でも喋ってはないと思いますよ。たぶん、喋ることがあったら、レーネがこっそり言いにくると思うんで」
「なるほど……」
シェイラは人差し指で、瑠璃の耳飾りを弾く。
では、持参していたモレリーのぬいぐるみの効果だろうか。けれど、そんな魔術は付与していない。ならば。
「……あの《《声》》、ですかね」
シェイラがぽつりと言えば、ニカ師が疑問を口にする。
「なにが気になっていらっしゃるのですか……? 沈黙症の軽減が見られたのですか……?」
「あ、いえ。一瞬そう思ったのですが、オーズ師のお返事の通りです。むしろ、べつの方向性というか……」
「あっ! 声って、あれですか? あの時の?」
オーズが思い出したように言う。
〈猿猴〉を前にした時の、頭のなかに直接聞こえてきた声だ。
「そうです。あれはまちがいなくリヨンさんの声でした」
シェイラは、ぬいぐるみを通してリヨンの声を聞いているから知っている。
「……きっとあれが闇を縛る役割になっていたんですね」
それならば、納得できる。納得しつつも、やらねばならないことができたと思う。
起こりえそうな事態。問題。解決方法。
それらをすばやく思考する。
「——シェイラ師、たいへん申しわけないのですが、私どもにもわかるように説明してくださいますか? うちの学園に通う子のことです。聞いておきたいです」
シェイラがひとり肯きながら思考していると、学園長の苦笑しながらもやわらかい声が言った。
シェイラは慌てて、ぺこぺこ低頭する。
(いけないですいけないです)
つい探求する調子になって、周りを置いてきぼりにしてしまっていた。
シェイラは大いに反省しながら、辿り着いた答えを丁寧に説明しはじめた。




