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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第2章:大人しくて目立たない娘

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35話:母の優しさ

 リヨンは、その朝、どきどきとする鼓動を持て余して、なかなか陶板の玄関を出ることがかなわなかった。


 足が(にかわ)切嵌(モザイク)の床にくっついてしまったように、動かない。



「——もう、なにしてるのよ」



 母の、いらだった声が、降ってきた。


「あんたは、いつもそう。どうして、朝のこんな忙しい時に、そうなっちゃうわけ?」


 なじるようにそう言う。


 知らない。

 リヨンだって自分の身体なのに、どうしてそうなるのかわからない。体がどうしても固まってしまって、動けない。

 家から出ようとすると、どうしても動かなくってしまう。体全体が固まる。喉も干からびて乾燥し、声が出なくなってしまう。小用だって、朝、家ですませておかなければ、リヨンは外で行くことができない。


 体が言うことを聞かなくて、しんどいのはリヨンだった。


 けれど、母は溜息をつく。代々ガルバディア王族の{守護}を司る一族に泥を塗るリヨンの振る舞いを、許せないようだった。

 母に泥を塗って、行方のわからなくなった父への当てつけのように。


「きっと、あんたにもあの人の血が混ざってるからね。こうなっちゃうのは。あの人はあがり症だったもの。うちの一族の血じゃない」


 ほら、そう言う。


 呪いの、言葉だ。リヨンに手を伸ばし蔦のように絡む呪い。

 呪術や呪法から守る魔術を使うのに、母はリヨンにいつも呪いを吐く。それはあまりにも滑稽な話だ。


 呪法がなくならないのは、こういった言葉が日常にはびこり溢れているからだとリヨンは思う。日々のなかに入り込んで蔦を張って絡み合う。一見、取り除いたように見えても、切り取れていない。絡み合っているから、知らず別のところからまた葉を伸ばす。

 永遠にいたちごっこで、だからこそ{守護}を用いる自分たち一族は重宝される。

 皮肉という言葉を知らないリヨンは、気持ちの悪い斑紋を見たような気分になる。


「——それ持ってさっさと行きなさいよ」


 一度、視界から消えた母は、リヨンに持ってきたものを投げてよこした。それはリヨンの体に当たると、やわらかい音を立てて陶板に落ちる。


(モーちゃん……)


 モレリーのぬいぐるみの扱いは、あまりにもかわいそうだった。普段はただのぬいぐるみのふりをしているけれど、この子には意志がある。痛みもあるかもしれない。


 緩慢な動きで、リヨンはなんとか拾い上げる。

 拾って抱き込むと、すうっと土から生えた薫衣草(ラベンダー)のような香りがした。少しだけ体の強張りがゆるんだ気がする。


「今朝は私も忙しいのよ。第二王子殿下——いえ、王太子殿下だわね。私は殿下に付いて{守護}を張らなきゃいけないのよ」


 母は、少しだけ自慢げに言う。一族の誇り。リヨンも、いつか担わなければいけない誇り。


「あんたは今日、園外実習だった? まあ、いつもとちがうところだから、緊張するわよね。今のうちに、そういうのは慣れておきなさい」


「…………うん」


 最後、母の言葉は優しかった。少し、ほっとする。


 母は呪いだけ口にするのではない。優しい言葉を、最後は必ずかけてくれる。だから、リヨンは母に対していやな気持ちになっても、母が好きだった。


「……お嬢さま、参りましょう」


 ずっと黙って母娘のやり取りを見ていた使用人がそう言う。

 一人で外を歩けないリヨンのために、いつも使用人のだれかが学園まで付き添って歩いてくれていた。


「…………いって、きます」


 リヨンはぽつりと言う。すでに玄関からいなくなった母の見送りの挨拶が奥から聞こえて、リヨンに一掬(いっきく)の安心をもたらした。



   〜*〜



 フィシェーユの月、第三週〈火炎ノ日〉は、レーネら中等部一年が待ち望んだ日だった。


 これまで、学んだことを活かして、観察や採集を園外で行う日なのだ。

 場所は、ツェット市郊外の防霧林だった。盛夏ノ休暇(夏休み)前で、霧が出ることはほとんどなく、溜まることもないために、毎年中等部一年から各学年は、ここで園外実習が行われていた。

 〈火炎ノ日〉が、中等部一年のための日になっていた。


 学園から、郊外の防霧林までの道のりは、使役魔術を施したラケロスという魔獣が()く幌車に乗る。

 幌車は三馬身ほどで、ひとつの学環全員が乗れるほどの大きさだ。その車を一・半馬身ほどのラケロスが引っ張る。


 ラケロスという魔獣は、南のほうに棲まうというサイのような姿形をしている。気性もおだやかで、使役もしやすい。馬よりも力が強く、足の速さは同じか少し速い。幌車や荷車を牽引していると小回りはきかないが、道幅の広い郊外などでは優秀な獣だ。……馬ほど数が多くないので駅馬車のように普及はしていないけれど。

 ラケロス乗りの店から、三頭と車を予約して借り、実習先の防霧林を目指していた。



「——はい、集合〜!」



 林の前、草が刈られて開けた広場になったところで、レーネたちの担任オーズが学年全体を呼び集めた。


「リヨン、こっち」


 車から降りて立ち止まっていたリヨンを見つけると、肯きが返ってきたのを認めて、レーネはリヨンの手首をつかみ、集まる場所まで腕を引く。

 リヨンのもう片方の腕は、見たことのないぬいぐるみを抱えていた。魔獣のモレリーを模しているのだろうか。


「うわー、それかわいいね。どこで買ったの? うちの店にも置きたいくらい!」


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