34話:シェイラとイディ(2)
「——ま、待ってください!」
シェイラは、声を上げた。呼び止める。
この一ヶ月、シェイラは王都を歩いていてもイディと会わなかった。シェイラからさがすのは憚られたし、会わないということは避けられているのだろうとも思った。避けられているのにさがすのは申しわけなかった。
けれどもし、偶然会うことがあれば、シェイラは一言イディに言いたかった。
「あの時は、無神経なことを言ってごめんなさい!」
ぴたり、と背中が止まる。登る姿勢のまま、イディの体は動かなかった。
「なにも知らないのに、無神経なことを言って……申しわけなかったです」
シェイラは頭を下げる、薄い紫の髪がゆるりとこぼれ落ちる。
「お節介で……すみません。もう、しないです。その……イディさんがいやだったら、なるべく会わないようにもします。ただ、無神経だったこと、それだけはきちんと謝罪させてください」
あたたかくも暑くも感じる風が、ふわりとシェイラの肌をなでていく。うっすらと汗が浮かんでいた。
「——……いや、その、」
シェイラがずっと頭を下げたままだったからだろう。
気まずそうな少年特有の高い声が、振り向いたのがわかった。
「……ぼくも、悪かった」
ぽつりと棘の取れた声が言った。なんとか捻り出した、そんな声でもあった。
シェイラが顔をあげれば、色をなくした頑是ない顔があった。イディという少年の素のようで、一方で、泣き腫らして顔を洗い終えたあとのようだった。
あの時のできごとが、シェイラ以上に、イディのなかに傷として残っている。そんな表情をしていて、言葉を失った。
二の句を迷って、それから直前までイディがしていたことを思い出す。なにかを探すようにしていたことを。
「——探そうとしてくださっていたんですか……?」
イディはおそらく前回シェイラが渡して、それから投げ捨てたお守りを探していたのだ。
見つけようとしていたのだと、シェイラは直感で思った。
尋ねれば、イディの顔がいたたまれないようになる。肯定するように俯かれる。
その姿を見ると、今さきほどまで感じていた自分のなかの空っぽな部分に、霧がふわっと立ち込めたような感慨を覚えた。
「一緒に探しましょうか」
そうでも言わなければ、イディはこのまま夜の闇のなかにとけ込んでしまいそうだった。
きっとまた自分はお節介をしている。
けれど、シェイラが探しはじめるのをイディは止めなかった。登っている足を戻して無言で同じように探しはじめる。
{探索}を使ったら、きっと見つけるのはすぐだった。長い時間を費やさなくてもよかっただろう。それでも、シェイラとイディは静かに、黙々と、月明かりを頼りに、草を掻き分けつづけた。
どれくらいそうしていたのかわからない。
シェイラもイディも汗みずくになって、指には土が入り込み、顔にも土がついて茶色くなるほどだった。
「あっ」
それを見つけたのは、シェイラだった。
月光に輝く、ラリシャ銀の金属板。薄汚れて、少し傷がついていたけれど、たしかにシェイラがあげたものだった。
「……ありましたね」
手の平に広げれば、イディはやってきて、金属板を覗き込む。
途端、くしゃりと顔が歪んだ。
付着した汚れと傷に心を痛めているようだった。
「綺麗に……しましょうか?」
尋ねると、首が振られた。
「……いい」
イディは言って、シェイラの手の平から鎖の付いた丸い金属板を取る。拳のなかに入れてぎゅっとなにかを抱え込むようだった。
そこにシェイラは、この少年の秘める内側を見た気がした。
なにとはなしに気にしていたこと。
節介を焼きたくなってしまったこと。
皮膚の下に〈導脈〉の光が見えないこと。
それらの先を、垣間見た気がした。
気づけば、シェイラはいらぬかもしれない口を開いていた。
「……わたしの、」
シェイラが声色の変化に、イディの瞳に怪訝なものが浮かんだ。秀眉を寄せてシェイラを見る。
「——わたしの魔導は……異端なんです。ほんとうは……わたしは魔法も魔術も使えないんです。ずるをして……使ってます」
魔法を話題にした瞬間、またもや憎悪を向けられるかと思ったが、そんなことはなかった。
むしろ、シェイラが口にした内容に驚くように、縹色の双眼を見開く。
「……ずるをして、色んな法則をねじ曲げて、今の魔導を……〈魔導呪法〉と呼ばれるものを確立させたんです。ただ魔法を使えるようになりたいという祈りで、いっぱいずるをしただけの人間なんです。だから、ほんとうは……全然たいしたことない、魔導師なんです」
なぜ、そんなことを話そうと思ったのかわからない。
シェイラの過去にまつわること。
三年前のできごと。
まだ、四回しか会ったことのないイディに言うべきことではないこと。
シェイラは決定的なことは濁しつつも、そうしてつぶやく。
「……〈穢民〉」
ユートの学友が言い放っていた言葉。サージェストに導かれる資格を持たない穢れた者たち。魔法や魔術を使えない者たちを示す、蔑みの言葉。
「わたしは、まさしく……〈穢民〉です。……〈導脈〉を持たぬ、古き時代にサージェストを裏切った、ユベーヌの末裔です。魔法や魔術なんて使えない、呪いの民です」
シェイラはうっすら笑う。月明かりに、自分の青金色の光が不気味に輝いて見えただろう。
笑いながら、イディの目を覗き込む。
「——ですが、だからこそ、わたしは魔法が使えない者に活路を見出だせます。ふつうではない、教導目録にはない方法で。ですから……」
シェイラは一旦言葉を区切る。
奥底に垣間見えたものに、問うようにして告げる。
「——もし、イディさん、あなたが魔法や魔術を使いたいと乞い願うのであれば、わたしを訪ねてください。ヴェッセンダリアが導師、シェイラータを。わたしだったら、あなたの願いを……きっと、叶えられます」
言うと、シェイラは翅を開いた。
ゆっくりと開くままに宙に浮かび、その場を背にする。
あとには、金属板を強く握り込んだイディがいた。




