31話:オーズの週末
オーズは樽を椅子にして同僚とフラウ麦の麦酒を乾杯した。
「一週間おつかれ」
「お互いに」
かこんっと陶製の酒杯を鳴らす。酒器の音はそこかしこで聞こえていた。混ざるように、燻製肉や麦粉焼、調理する油の香ばしいにおいが漂っている。
明日が静寂ノ日だからか、騒ぎ立てる若い連中がうるさい。やれシャドゥーラの森の〈猿猴〉を討伐してきただの、旧ノザリアンナの山脈を越えて岩ヤギの角を持って帰っただの、自慢話なのか笑い話なのかわからない話が耳に入り込んでくる。
オーズももう少し若かった頃は、あの仲間に入っていたものだ。
泡のほろ苦さを感じながら、そんな昔を思い出す。
「——そういや、最近あの娘、どうよ?」
同僚のロダルが、皿のうえにある腸詰め肉を口にしながら訊いた。
乱暴に置かれたからか、腸詰め肉と酢漬けの盛り付けはひどい有りさまだった。けれど味がいいから、なんだかんだでオーズとロダルはいつもここに飲みにくる。
「黒髪緑の女の子?」
「そーそ」
それでオーズはリヨンのことだとわかった。
名前は出せない。
いかに庶民の騒々しい酒場とは言え、どこでだれがなにを聞いているのかわからない。学園には名のある貴族の公子公女に限らず、儲けのいい商家の娘息子も通っている。
そういう子らの情報を拾って、どこで呪術や呪法のたぐいが行使されるのかわからない。大昔に異端とされた呪術は、いたいけな子どもたちにも向けられたりするのだ。油断のならない世の中であると思う。
(教師になるまでは、そんな世界があるなんて考えたことがなかったな)
後ろでばか騒ぎをしている連中の音を拾いながら思う。
教師という立場になって、ただの学徒であった時と見える事柄がちがうことがわかった。さまざまな身分の人間が通う学園にいるからこそ、魔導を頂点としたこの世界の歪みや軋みのようなものを感じることがある。
学園の分掌のなかに、蟲への討伐だけでなく、呪法への対処が含まれるようになったのは、そういった歪みや軋みの結果であろうと思った。
「あの娘さ、べつに問題なくない?」
考えていると、ロダルがつづけた。
リヨンのことを言っているのだろう。
オーズはロダルの言葉を受けて、忽布を直接口にしたような苦みを覚える。
ロダルは、リヨンの昨年の担任だった。
大人しくて目立たない娘。
それがリヨンの印象だろう。大人しくて目立たず、授業を遮ったりしないから問題ない。教師なら、だれだってそう思う。
だが、オーズはこのロダルが担当していた時に、リヨンの学校への行き渋りがあったことを聞いていた。
今年はオーズ師に頼みたい、と学園長から直に依頼されたのはオーズと学園長しか知らないことだった。
「……問題ないと言えばそうなんだろうな」
葉の酢漬けを口に含むと、酸味がぐっとくる。そこに腸詰め肉が混ざって塩気が入ると、なんともいい味になる。麦酒をかっと流し込めば、週の疲労が流されるようで、沁みるようにうまかった。
「喋らないだけでなにもしないわけじゃないし、言われたことはゆっくりだけどやるんだから、気にしすぎる必要はないと思うんだよな。試験もそれなりに点数取るし」
まるで言いわけがましく、ロダルは言う。
リヨンの行き渋りをロダルが知らないわけがない。去年の対応はまちがいではなかったと同意してほしいのだと思った。
オーズは誤魔化すように苦笑する。
「ま、そうだな」
まちがいだろう、とオーズは言ってやりたかった。
お前、教師だろう。
子どもの反応がすべてだろう。
三和土に吐き出すように思う。
酒場の奥から煙管のにおいをくぐるようにして、柳弦の音が流れてきた。放浪の詩人の郷愁を誘うような歌に、オーズは自身が教師を目指した理由を、けぶるように思い起こす。
「——お前は人を笑わす才がある。それを磨け」
そう師から言われたのは、オーズが高等学院にいた時だった。
オーズは学徒であった頃、特に学院にいた頃は少し荒れていた。魔法と呼ばれるもの、魔術に通じるもの、そして魔導へと至るもの、そういった才がオーズにはなかった。
王侯貴族でもないただの平民なんてそんなもんだ。稀に突出した力を持つ者も生まれるが、そういう人間はほんとうにごく稀で、だいたい貴族の家にもらわれていく。
そもそも魔力の源となる〈導脈〉が、王侯貴族と平民では次元がちがうのだ。一族の力として鍛え、練磨され、継承されてきた〈導脈〉と、平民が生活のなかで多少使う程度の〈導脈〉では天と地ほどの差がある。
王侯貴族たちはその分、〈蟲〉と前線で戦う責務を負っているが、同じ学園や学院で学ぶにしては、〈導脈〉の力の差はあまりにも歴然としている。
学徒であった頃のオーズは血気盛んで、自分もまた前線に出て戦うことを目指して日々学んでいた。文学や算術などの授業はさぼったとしても、魔法に関する授業を休むことはなかった。
だが、学院の四年生——十四で専門分野を選択する歳になった時に、オーズには前線で必須とされる元素魔術の才がないとわかった。できて火起こし程度。討伐隊の荷物持ちや事後処理部隊、その程度。
ふつうの平民らしく、無難な生活魔術でも選択しておけ。
査定でそう言われた時に、オーズは長らく抱いていた前線で戦うという夢が脆く崩れ去ったのを知った。
それをきっかけにしばらく荒れていた。
だが、学院で出会った師が言ったのだ。
「お前は空気を読むのがうまい。人の反応に敏感だ。その才を使え。その才を持つ者はそういない。教師なんてどうだ? 自分が前線に行けないなら、前線に行けるものの芽を育てろ。潰すな。潰さないようにしろ」
師は貴族の出身だった。けれど、才がないということで、教師に転じたらしい。色々な思いが積み重なっていたなかで、教導師へと昇進していた師には、今の仕事への誇りが滲み出ていた。
だから、オーズのやさぐれている心にも、真っ向からぶつかってきてくれた。ぶつかりながら対等に話してくれているのだろうと思った。導いてくれているのだろう、と。
「……子どもなんて面倒なだけっすよ。匙が落ちただけで笑うのが子どもっすよ。笑かすなんて簡単じゃないですか」
傾きかけている心に反抗を示すようにオーズは言う。
そんなオーズの反応も師はお見通しのだったのだろう。にやっと笑って言った。
「言ったな? んじゃお前、担当した学環の子ども全員笑わせろよ。年の終わりまでに全員笑わせられたら、ベルベ産の葡萄酒だろうが、鶏の丸焼きだろうがなんだって奢ってやる」
「言ったっすね? そんなんちょろいっすよ。約束しましたからね」
そんな話をし終えた頃には、オーズの鬱屈したものは束子でこそげ落としたように落ちていた。
ゆえにオーズは、学環の子どもたちを笑わせる、ということに強い信念を抱いている。
最初はそんなはじまりだった。
今では、オーズのなかに芯としてある。
——笑わす。全員、げらげら、けらけら、くすくすと。
そうすると、子どもたちの伸びも理解もよかった。楽しいと思ったことを人間は教わらずとも勝手に学ぶようになる。楽しい記憶のなかで教わったことは忘れない。
教師になって十年——十の学環を担当して、全員笑わせてきた。
それはオーズの誇りで、自信だった。
子どもの反応を見て、なにかを教えていくこと。その子たちが成長して巣立っていく背中を見送っていくこと。なかにはオーズの授業が楽しかったから、と語ってくれるものもいた。
人生の一時を伴にする、という教師という職業を、オーズは選んでよかったと思う。
(けど、リヨンはむずいんだよな……)
喋れない、仕草もあまり変わらない子どもを担当するのは、はじめてだった。そういう子が世のなかにいるというのは聞き知っていた。
だが、これまで出会ったことがなかった。
ほんとうに反応がない。
喋らない、とついシェイラ導師の前で言ってしまったのは、ちょっとオーズが自信をなくしていたからだ。その日、ニカ師にたしなめられたあと、ひとりでこの酒場に飲みに来て、猛省した。
子どものせいにしてしまった、と。
「お前ちょっとあの娘、笑かしてこい」
学園長——もといオーズの師は、偉くなったのに軽い調子は変わらない。
学環の担当を発表する前日に、こっそりとオーズにはリヨンを任せることが告げられた。笑いを呼び起こしてやってほしい、と。
学園長は、これまでのオーズの実績を信じて任せてくれたにもかかわらず、子どものせいにしてしまった自分を悔やんだ。
もっと工夫をせねば、と。
しかし、ここまで来て——ガルバディア月まで来て、オーズになんの反応も見せないリヨンに、オーズは日々、ますます自信を喪失するばかりだった。
考えると、煙管をくわえたくなる。香る煙を肺に充満させたかった。
リヨンが喋れない理由がなんのせいなのかは、オーズにはよくわからない。わからないからその理由を探ってもらえるよう、シェイラ師が派遣されてきた。
ぬいぐるみを使いたい、リヨンの母に渡したい。言われた時は面白いことを考えつくものだと思った。シェイラ師の考えは聞かされていたが、今それがどうなっているのかオーズは聞いていなかった。
(待つしかないか)
なおも、ぐだぐだと言いわけをつづけようとするロダルを適当な話題へと誘い込む。
そうすると、日々の業務量に対する愚痴がはじまった。教師は忙しすぎる。大学府に報告するものが色々ありすぎる。教師の仕事じゃない。
それは、オーズも同意でしかなかったが、好きな仕事をつづけるためには、やるしかない庶務でもあった。
明日は、ここに旅芸人たちがやってくる。
演目のなかに、リヨンを含め、学環の子どもたちを笑わせるための、新しいネタになるものが見つかるといいな、とオーズは思った。




