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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第2章:大人しくて目立たない娘

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30話:リヨンのモーちゃん

 思い立ったが吉日。


 シェイラは放課後になると、ツェット市の市庁舎にある{転移}の魔術が込められた陣を使用し、帰り道を急いだ。


 生活魔術に大分類される{転移}は、あらゆる力の消耗が激しい。

 〈導脈〉に伴う個人の魔力しかり。

 魔法陣を発動させるための動力たる鉱石しかり。

 特に生き物を対象とした時に顕著となる。


 ゆえに陣を使えるような一部の人間たちは、金子を払える者に限られる。

 本来であれば、王都ガルバーンとツェット市は、駅馬車を乗り継いで十日ほどかかる距離にあった。

 己の魔導によって{転移}を発動させることもシェイラにはできたけれど、〈脈〉の消費量を考えると使用はできれば避けたい。

 そうなった時に、転移魔法陣をほいほいと使用できる、ヴェッセンダリアの導師という特権はありがたい。


 シェイラはそうして、最短でガルバディアの魔法大学府内にある自身の研究室に辿り着いた。


 フェノア・マリアは、シェイラが研究室をあまり利用してしないと言っていたけれど、城下で見つけた雑貨や魔道具などの代物は、この研究室にすべて保管している。


 振り子(ペンデュラム)夢結輪(ゆめゆいわ)、糸紡ぎの魔法でできた組紐が、宵燈(ランプ)の灯りを反射させながら天井からいくつもぶら下がっている。

 魔除けのお守りは抽斗(ひきだし)の突起に引っかかり、はめ殺しの彩鉛玻璃(ステンドグラス)の窓には、符がいくつも貼られて、意味もなく鳴風鈴(めいふうりん)が硝子玉と一緒に揺れていた。

 イディと会った時に購入した霧砂の砂時計は、壁に取り付けられた収納棚に、薬草瓶や試験管などと一緒に並べられていた。


 シェイラは、保管されたもののひとつ、白濁に濁る水晶玉を取る。

 なかを——{遠見}先を覗き込む。


 切嵌(モザイク)で縁取った出窓が長椅子のようになっている部屋。

 布の張られたその場所に、いくつもの座褥(クッション)と一緒に並べられているのが、先日作ったぬいぐるみだった。


 シェイラは、モレリーという魔獣を模したぬいぐるみの目を通して、部屋を見る。——リヨン・ペリメルの部屋だ。

 屋敷とも呼べる一室が、リヨンの部屋だった。


 天蓋布の垂れ下がった寝台にはだれの気配もなく、まだリヨンが帰宅していないことがわかる。


(間に合いましたです)


 ふう、とシェイラは息を吐き出す。


 今日は、話したいことがあったのだ。

 思っていると、扉が内側に開いた。

 ぬいぐるみのファル石の目に、革鞄を背負った長外套(ローブ)の姿が映る。


《——おかえり、リヨンちゃん》


 歌唱魔術のひとつ{変声}を使ったシェイラの声は、リヨンにかわいらしく届いたにちがいない。

 琅玕(ろうかん)の緑が、ファル石に留まる。


「——ただいま、モーちゃん」


 ふっと緊張のゆるんだリヨンの笑みは、笹縁(レース)の花のあしらいのようだった。


 シェイラはぎゅっと抱きしめたくような気分を得る。

 {遠隔}を用いると、ふわっと飛んで、リヨンの腕のなかに飛び込んだ。ぎゅっと抱き返される。


「大人しくしてた?」


《ちゃんと、動かないぬいぐるみのふりをしてたよ》


「お母さまの連れてきたモーちゃんが、こんなふうに動いたり喋ったりするなんて思わなかったな」


 リヨンは、くすくすと笑った。年頃らしい笑みだった。


 リヨンの母が土産として渡したモレリーのぬいぐるみを、リヨンは当初から気に入ってさわったりなでたりしていた。

 一人になると、ぬいぐるみのごっこ遊びをはじめるのには時間がかからなかった。

 幾分幼さも感じられる遊び方であったものの、シェイラがちょうどいいと思って、{通信}を使って声を出すと、リヨンは、はじめ三十分ほど固まってしまったのだ。


 固まらせてしまった。


 自分だけと思っている空間で、突然聞こえてくる声。

 瞬時に体が張りつめてしまったのだろう。彼女の領域を侵してしまったのだ。


 シェイラは慌てた。慌てて、歌ったり踊ったり、リヨンの気を引いて気持ちをやわらげるためになんでもした。

 ぬいぐるみに、エリスの香りのおまじないをかけていたのが功を奏した。


 硬直していたリヨンが踊って舞うぬいぐるみに次第に気を許していき、そうして三十分経つと、

「……モーちゃんって、呼んでいい?」

と、ぼそっと言ったのだった。


 それからモレリーこと、モーちゃんだ。


 シェイラは全力でモーちゃんとして、リヨンに受け入れてもらえるように振る舞った。

 生活魔術のおままごと、箒で飛ぶ魔女と使い魔ごっこまで、なんでもやった。真剣にやればやるほど、楽しかった。


 なにせシェイラは生まれてからこの方、まともなごっこ遊びをやった記憶がない。いや、六歳までは居を同じくしていた旅芸人の子ども同士で遊んでいたかもしれない。

 けれど、一座の人間として旅費や生活費を稼ぐために、はやく芸を覚えなければいけなかった。貴族家にもらわれたあとは、学園に通ったり魔法にのめり込んでいたりしたから、やっぱりまともに遊びに集中することはなかったと思う。


 シェイラは幼少期に経験できなかったことを、リヨンと体験するようにモーちゃんになりきった。

 そうして今では、リヨンとモーちゃんは仲よしだ。

 あれほどシェイラは、学環で笑ってほしいと思っていたのに対し、リヨンはモーちゃんには気を許して、笑顔とたくさんの言葉を振り撒いていた。


「——でも、モーちゃんが喋っていられるのは、少しの期間だけなんだよね?」


《うん》


「……いやだな」


 ぽつりと心細いようにリヨンが言う。

 シェイラは、その幼いけれど深い寂しさに、胃ノ腑が泣きそうになった。


(せっかくいっぱい喋れる友だち、ですもんね……)


 水晶玉の先に見えるリヨンは、前髪できれいな翠が隠れてしまっている。

 シェイラは、リヨンと話すことができるのは、ぬいぐるみに込められた魔法が尽きるそれまでのあいだであると説明していた。


 シェイラが施した魔術の組み合わせであれば、ほんとうはぬいぐるみがぼろぼろに損傷でもしない限り、半永久的にリヨンと話すことができる。

 けれど、シェイラはそれをよしとしていなかった。

 シェイラ自身、リヨンと話し、遊ぶことは楽しい。ずっとやっていても飽きないだろう。


 だが、ぬいぐるみを使おうととしたきっかけはなんだっただろうか。

 その目的はなんだっただろうか。


 魔法学園に派遣された導師として、この子や教師たちの学園での困りを解消するためだ。

 シェイラが、ぬいぐるみ作戦を用いたのはそのための一歩でしかない。


 所詮シェイラは、ただの踏み台だ。主になってはいけない。

 シェイラがなくてはならない存在であっては、いけないのだ。


 だから、シェイラはリヨンと親しく喋れるようになってから、自分は期間限定の魔法で、リヨンを元気づけるためにいるのだと話していた。

 リヨンが言い出したのは、そのことだった。


《……リヨンちゃん、いやだよね。わたしも寂しいよ。だから、いなくなる前に、リヨンちゃんのためになることができたらいいなって思ってるよ》


 モーちゃんとして、シェイラは伝える。それはシェイラの心からの気持ちだ。

 リヨンと直接つながりがなくなるのは寂しい。


「……リヨンのためになるんなら、モーちゃんにはずっといてほしい」


 リヨンは言う。


《そう……だよね。わたしもできたら、そうしたいよ》


「モーちゃんの魔法を持続させる魔法はないの? 最近、先生から{保管}っていうのを習ったよ。そういうの使ったら、モーちゃんはまだまだリヨンと遊んでくれる?」


《ごめんね、そういうのはできない。……ほんとうにごめん》


 シェイラが言えば、リヨンは黙った。学環での——緘黙(かんもく)を思い起こさせるような、すべてを押し殺したような沈黙だった。


《……リヨンちゃんは——》


 リヨンの沈黙をしばらく受け入れたのち、ぬいぐるみを通して尋ねる。


《——わたしがいなくなったら、学校のお勉強は楽しくなくなる……?》


「…………今の学環なら、それはないと思う」


 間があってから、リヨンの答えがあった。

 答えにシェイラは驚く。水晶玉ごしのファル石の目をまばたきたくなった。


《今の学環なら?》


「……うん、だって、先生……面白いし、リヨンにも優しいもの。レーネも……いるし」


 ぽつぽつと話される理由に、シェイラは驚きつつも、自分の感情を観るようにして冷静さを保つ。リヨンの気持ちを受け止めるように、理由を深ぼるように話を聴く。


《そっか、先生楽しいんだ》


「うん、オーズ先生面白いよ。いつも、みんな笑ってる。リヨンは笑えないけど……、でも面白いって思ってる」


《リヨンちゃんは、学校では笑えないの? わたしの前ではいつも笑ってるよ?》


 シェイラが尋ねれば、ぎゅっとリヨンから抱き込まれた。感情が滲み出るような抱き方だった。


「……笑えない。なんかいつも体がかちこちになって喉もかちこちになっちゃう。人がいっぱいいるのこわい。目も……すごくこわい。いつも見られてる気がしちゃう」


《そっか……》


「ほんとはこんなんじゃだめだってわかってるよ。ペリメルのために、喋れるようになんなきゃってお母さまも言ってる……」


《……うん》


「でも、かちこちになっちゃう。あんまり動けなくなっちゃう。言えなくなっちゃう……だけど、レーネはね……いつも、そんなリヨンにもふつうにしてくれるよ」


《レーネちゃんは、リヨンちゃんにとって、大切なお友だちなんだね》


「うん」


 明確な肯きだった。ためらいがなく、そこにリヨンの感情すべてがのっているような肯定だった。


「いつか……」


 リヨンはぬいぐるみを抱きしめる。


「……レーネと、いっぱい喋りたいな」


 ぽつりと、そんなことを言った。

 ぬいぐるみとして、シェイラはリヨンを見上げる。


《わたしがそのお手伝いできるといいな》


 言うと、リヨンは寂しそうな顔を少しだけ笑みに変えた。

 そのまま別の話題に移り変わると、いつもの遊びへと切り替わっていった。

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