279話:求めつづけた答え
イディオンは、リマスという男を見定めた。注意深く、その挙措と表情を観察する。
(この男は、なにを知っている?)
イディオンたちが得た以上のなにを知り得ているのであろう。
「シェイラは、{朧竜}を知ってるかい?」
リマスは、書き物机に肘をついて訊いた。楽しそうな表情を浮かべる。
「{朧竜}は……今……」
シェイラが、言葉を失っている。
「ああ、もしかして、ヴェッセンダスから聞いたのかい? あのじいさんなら、たしかに知ってるだろうね。書いてあった」
「書いてあった?」
イディオンは訝しむ。
「ああ、そうだよ。魔導師ノザリアンナ。彼女の手記に、書いてあったのさ。忌まわしき、この魔法のあふれる大陸の真実がね」
リマスが嫌悪を浮かべながら語ったことは、イディオンたちが今しがたヴェッセンダスから聞いたこと、聞いた内容から推測できたことから、外れていなかった。
──〈魔導霧〉も〈蟲〉も、{朧竜}という大魔導によって、作られた存在であり、作られた悪であり、作られた敵である。古くから、偉大なる魔導師と崇められ、尊敬の念を集めてきた魔法の祖とも呼ぶべきサージェストと弟子たちが、悪を作り出していた。
それが、霧の大陸の真実であると、リマスは明確に語った。
「唾棄すべき話だ」
リマスの口調には、たとえようのない嫌悪が載っていた。
「この世界の魔法は作られてきたものなんだよ、シェイラ。すべて、大魔導師と弟子たちによる盛大な企みだったんだ。魔法をあふれさせるというばかみたいな夢を見て、そのために、敵を作り上げるという頭のおかしい発想をして、千年以上も大陸に住まう人々を謀ってきた。僕たちは大きな箱庭のなかにいたんだ。大魔導師たちによって作られた箱庭のなかにね。
その集大成が、このヴェッセンダリアを頂点とした魔法学園、魔術学院、魔導大学府という仕組みだよ!」
イディオンたちは黙ったまま、リマスの話を聞く。
「作っているのさ! 魔法使い、魔術師、魔導師たちを! 年端もいかぬ子どもたちを集めて、より小さな箱に押し込めて、この世界の蟲という悪に対抗するための人間を、作っているんだ!」
「…………」
「その悪も作られた存在だというのに!」
リマスの臙脂色に染まった長外套から、左手の義手がだんっと机を叩いた。この男が怒りを真に覚えているのだとわかるものであった。
叩いたあとの音が石床に吸収されて、沈黙が落ちる。
黒い瞳が、シェイラに向けられる。
「シェイラ、君に訊きたい」
凍りついていたシェイラが、わずかにみじろぎする。
「──なぜ、魔法が使えない、ということが起きるのだと思う?」
イディオンは、顔を上げた。
問うたリマスは、答えを持っている顔をしていた。
シェイラは硬直したまま、答えない。
「君も、魔法が使えなかった。〈導脈〉がなかったせいだ。それは、僕と同じだ。脅威である悪を倒せなければ、淘汰される。それは君もだよね、イディオン王子」
「…………」
「君も、〈導脈〉を使いこなせなかった。魔法が使えなかった。ガルバーンという偉大な魔導師を祖に持つのに、魔法が使えなかった。蟲を作り出した人間の子孫だというのにね。皮肉だと思わないか?」
扇動するように唱えるリマスに、イディオンは煽られなかった。
むしろ、どこか冷え冷えとしたものが、腹の奥に生じるのがわかった。
イディオンは、ふっと笑う。
「だから、どうした?」
挑むような物言いに、リマスは一瞬片目を眇める。すぐに興味を失ったように、視線が下がった。シェイラに、ねらいが定められる。
「ああ、そうか。そうだった。シェイラが、がんばらせた、だね?」
イディオンは、リマスの言っている台詞の意味がわからなかった。怪訝が浮かぶ。
一方のシェイラは、はっとしたような顔をして、それから次第に顔がこわばっていった。
リマスは、そのさまに満足したようにほほ笑む。
「──魔法が使えないことが起こるのは、魔法があるからなんだ」
イディオンが求めつづけた問いの答えを、リマスは、パムの植物紙でも吹き飛ばすように告げた。
「魔法があるから、魔法が使えないんだよ。この、魔法がすべてであるというサージェシアだからこそ、君も僕も、魔法が使えないことを苦しみ、呪いを吐いてきたんだ。ちがうかい?」
「それは……」
シェイラの体が、揺らぐ。
「なのに、君は、その後ろにいるイディオン王子のように、魔法が使えない子どもたちを無理やり適応させようと、この数年を過ごしてきたのかい?」
リマスの言い様に、イディオンは、かっと頭が沸騰した。
「おまえ──」
「君はあれだけ、苦しんで、つらかったというのに。僕の手を取って、呪術にも手を出しただろうに。同じ思いを、子どもたちにさせてきたのかい?」
イディオンは、咄嗟にシェイラの頭を抱えた。耳を塞ぐ。
(ちがう)
シェイラは、そんなつもりで、ぼくたちに接してなどいない。
「まちがっているのは、世界のほうだったというのに!」
塞いでも、聞き取れるものがあったのだろう。
びくっ、とシェイラの体が揺れる。そこから、力が失われていく。
「ほんとうに君は、かわいそうな子だね、シェイラ」
瞬間、イディオンは、リマスに閃光を放った。滾るような怒りで、リマスのいた場所に、穿たれたものが煙を上げ、黒く焼け焦げたにおいを放つ。
リマスの体は、いつの間にか、イディオンたちの横に移っていた。{転移}をした残光が散っている。
「入れ込まれたものだね。そこまで献身した君に、悪意があったわけではない。だからこそ、問題なんだよ」
イディオンは、リマスをねらう。
この男が言っているのは、まやかしだ。
〈気高き魔女の騎士団〉。その団長ならば、この男を消せば、子どもたちは救える。
──思考が急いている。
怒りで沸いた感情に、理性と瞑想で培った俯瞰が説いた。
──落ち着け。冷静に、判断しろ。
今するべきことは、なんだ?
「君のような人間はいくらでもいる。つらい人を救おうと思って、できないことをがんばらせてしまう人がね。それは善意で、悪意ではない。だけど、そうやって適応させてきても、苦しむ人を生み出す世界は、変わらないんだ」
だから、とリマスは言う。
「シェイラ、世界を変えよう。{朧竜}を破壊し、黎明の世を導くんだ。この魔法が絶対とされる世界を討ち滅ぼそう。僕は、その方法を知っている」
イディオンが、するべきことは、なんだ?
「また、明日の夜、来るよ」
明日は新月だ、とリマスは窓外を見る。
「それまでに、考えておいて、シェイラ」
シェイラは、ずっと凍りついたままだ。イディオンは、その体を引き寄せる。
(ぼくが、するべきことは……)
リマスの体が、闇にとけるようにして消える。
怒りは、すでに沈殿していた。
イディオンのなかでは、するべきことが定まっていった。




