23話:歌唱魔術の導師
「なあに、やってるの? シェイラ」
鈴鉢を打ち鳴らしたような高い声だった。だれもがその響きのある声に、はっとさせられる。
シェイラも、もちろんそのひとりだ。自身の集中がぶつんと切れるのを知って、手元の作業を止めた。
振り返ると、フェノア・マリアが金の瞳のなかに悪戯な光を輝かせていた。
「今いいところでした」
「ごめんごめん。なにをやってるのか気になっちゃって。シェイラがどこにも出かけずに、椅子に座ってちまちました作業をしているなんて珍しいなあって思ったのよ。せっかくここに研究室をもらっているのに、ほとんど使っていやしないでしょう?」
たしかに、フェノアの言うとおりだった。
シェイラは一年間ガルバディアで務めるにあたって、大学府内の一室に研究室をもらっている。赴任して一ヶ月経つが、シェイラはこの研究室をほとんど使っていない。
研究室同士をつなぐ次の間のような談話室があったが、作業はこの談話室にある長卓を使って行っていた。研究室の書き物机では幅も奥行きも足りず、だれも使っていないこの長卓が、物を広げるのにちょうどよかったからだ。
そこに、帰ってきたフェノアから声がかかったのだった。
「使う時は使いますよ。書きまとめるものが今はないだけです。この国は珍しいものばかりなので、今は書くよりも物を集めるほうが楽しいんですよ」
「たしかにそうね。魔法王国と冠する名前は伊達ではないとわたしも思うわ」
声から鈴鉢の響きが消えていた。{魅了}の歌唱魔術を使うのは、やめたらしい。同僚相手に{魅了}を使ってどうするのだ。
「それで、なにをやっていたの?」
薄布を風に揺らめかせるように、フェノアがシェイラの隣に座る。ゆるやかな金の髪が揺れながら、嫌味のない、香料のいい香りがした。
「ぬいぐるみを作っていました」
答えてシェイラは生地を持ち上げる。ふわっともこっとした薄紫の生地は、頬ずりをしたくなる肌ざわりだ。
「そんなもの作ってどうするの? 新しい魔術の開発?」
「いえいえ、これはとある女の子のためのものですよ」
言うと、シェイラは止めていた作業を再開した。
側面にぐるりと微細な刻印が彫られた金の針だ。針穴に橙の刺繍糸を通す。その針を持って、生地の裏地に刺繍をする。生活魔術のうち{通信}を可能とする陣を細かに縫う。針自体が魔導具で、糸もまた魔法によって紡がれたものだから、墨を用いずとも、陣は発動する。
終えたら、生地同士をつなぎ合わせるために、端々に{導線}を描く。針に、{自動}{縫製}を加えると、{始点}から勝手に動き出しはじめる。
そのあいだに、生地のなかに詰めるモロル綿をちぎった。ちぎって詰めやすいようにしてやる。椀に移すと、エリスの根を粉状にしたものをまぶすように上からかけてやった。ゆたかな芳香が綿に移り香っていく。
「エリスの根なんて、珍しいものを使うわね。ふつう、葉か花じゃない?」
興味深げにフェノアが問う。
シェイラは手を動かしながら答える。
「そうですね。けれど、これは祈りを与えるものですから。安心と弛緩とぬくもりが込められています。この香りを感じれば、自然と体の緊張がゆるむように、落ち着きますように、という祈りが働くんですよ」
「へえ、聞いたことないわ。祈祷術かなにか? そういう魔導具——振り子とか装身具、陣はいっぱいあるのは知っているけれど、根だけでそんな効果が出るもの?」
「……古い魔法とも言えない魔法。おまじない、みたいなものですかね。効果はたしかですが、魔導具のほうが効果は高いです。おまじないなので、ささやかなんですよ。よければ、この粉の作り方も——」
「ああ、わかったわかった。シェイラ、絶対にその話長いでしょ? わたし絶対に最後までその蘊蓄っぽい話聞いてられないわ。わたしは感覚肌なの。一匙も理解できやしないわ」
シェイラと同じくヴェッセンダリアの〈導師〉であるはずのフェノアがそんなことを言う。
むう、とシェイラは口を尖らせた。
せっかく楽しい話ができると思ったのに。
そうこうしているうちに、針の自動化魔術は{終点}を迎えていた。縫い付けられた生地ができあがっている。
シェイラはできあがった生地にせっせとモロル綿を詰めていく。エリスの根のすっきりして華やかな、それでいて土のようなぬくもりのあるにおいが、シェイラの体もゆるませるようだった。
「そのぬいぐるみはどんな子にあげるつもり? 仕事関連?」
「そうですね、これは——」
フェノアから尋ねられて、シェイラの思考は少し前に遡っていく。
——〈宵闇ノ日〉に訪れる学園で会った彼女。
彼女の担任たちから受けた相談内容を思い出しはじめた。




