22話:現世の聖剣使い(2)
「——殿下」
「ロゼイユ公か」
ヴィクトルが跳ね橋を渡り、帰城すると、すぐに深紫に白髪の混ざりはじめた男に呼び止められた。まなじりに刻まれたしわは、これまでの労が幾重にも積まれたように見える。
「また殿下ご自身で、哨戒でございますか」
「昨日はあまり体を動かしてなくてな。どうも寝つきが悪いから、周辺の探索に同行させてもらっただけだ。哨戒とは言えない」
「そうおっしゃりながらも、隊へのご心配からでございましょう? 殿下のお人のよさは皆の知るところです」
「ただの運動不足の解消をよく言うものだ」
ヴィクトルは苦笑しながら、本館の通廊を過ぎ去り、城塔のある螺旋階段を目指す。一段と登れば、組み込まれた魔術構造によって階段自体が回転しながら昇降する。自室のある上階に辿り着くのは時間がかからない。
ロゼイユ公は、ヴィクトルの主室一歩手前のところまで追ってきた。
「それで、本題は?」
ここから先は、父母以外、ヴィクトルが許可を出したもの以外入ることができない。
ヴィクトルは、この男を私室に招き入れたくなかった。
振り向いて、ロゼイユ公に尋ねる。髪の色に灰を加えた双眸とかち合った。
「昨夜は聖女さまが殿下をおさがしでございました」
言われた言葉から受けた感情を、ヴィクトルは出さなかった。平生のごとく、無私の表情でおだやかに返す。
「……そうか。それは悪かったな。このあとすぐに詫びを入れにいこう」
「どこかにお出かけになる前に、お声をかけられたらどうですか。聖女さまは孤独でございます。殿下がなにも言わずにいなくなれば不安になりましょう」
「そうだな……これからはそうしよう。配慮が足りなかった」
異界から招いた聖女は、こちらに来て四年が経つものの、まだ不安などの感情をあらわにすることが多い。昨夜もきっとそうなのであろうと思った。
胃ノ腑から湧き上がってきた嘆息を、ヴィクトルは霧をかき消すように己のなかで消化させる。
「——相手があの娘であれば、殿下は必ずお声がけをされてから出られましたでしょう」
話は終わりだ、とヴィクトルが主室に入り込もうとしたところで、再度声がかかった。
扉の把手にかけた利き手が止まる。ぴくっ、と薬指が一度動いた。
「……もう、終わった話だ」
ヴィクトルは、己から無私の表情が剥がれ落ちたのを感じた。背後に視線を向け、紅い眼光を紫紺の大領主に向ける。
「ほんとうに、殿下のなかで終わっているのですか?」
ロゼイユ公はひるまない。眼光を反射するように跳ね返される。
「なにを言う。公が、終わらせたのだろう? 自分の娘を利用し、あまつさえ使い捨て、私になにを命じさせたか忘れてはいないであろう?」
「愚女でございますれば。罪を犯し、破門となり、国外追放となったのはあの娘自身の咎にございます。私はあの娘の父でありつつも、当主としての責務は果たさなければなりません。ヴィクトル殿下のお立場であれば、その意味をよくご理解しておりましょう」
ロゼイユ公の言葉に、ヴィクトルは拳を握る。手套がこすれ、皮膚が引っ張られる感覚を覚えた。
「公の言う通りだな。私も太子として聖女さまのことはおもんぱかる。それで、この話はしまいだ」
ヴィクトルは振り払うように、今度こそ把手を引いた。
腹の底で煮えたものを扉の外に追いやるようにする。
「——シェイラータは、」
扉が締まる直前でロゼイユ公の言葉が隙間をかすめる。
「今、ガルバディアにいるそうですよ。数カ月後、殿下と聖女さまの表敬訪問が予定されている地となります。あの娘は我が国では罪人です。そして、殿下の現婚約者は聖女さまでいらっしゃいます。……ゆめゆめお忘れなりませぬよう」
そうして、扉が後背に閉じた。
ヴィクトルが瞠目した表情を、ロゼイユ公に見られることはなかった。
(ガルバディア……)
なぜ、そんな情報を流す。
ロゼイユ公の腹の底が知れない。非情で、不気味な男だ。
ヴィクトルは一瞬覚えた高揚を、男の冷たい顔を思い出して、落ち着きを取り戻す。無私を貼り付ける。
(……終わったことだ)
そう、自分に言い聞かせる。
聖女のところへ行かねば。王族として、王太子として振る舞うことを、ヴィクトルは三年前から己自身に課していた。
——王族としての無私。
それが、ヴィクトルが己自身に与えたもの。すべてを忘れるために負うことにしたもの。
そうしなければ、いけなかった。そうしなければヴィクトルは、三年前のできごとを受け止めることができなかった。
表情を切り替えるとともに、ヴィクトルは今しがた感じたものと、まぶたの裏に浮かんだ青金色を払拭する。
聖剣を振るうようにして、思考や感情を切り捨てた。
【登場人物】
ヴィクトル・オルリア
オルリア聖王国の王太子にして聖剣使い。金髪真紅の眼。思慮深く、国内での人気が高い。シェイラの元婚約者。
ベイドル・ロゼイユ
オルリア聖王国の十貴族のひとり。シェイラの実の父親。




