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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第2章:大人しくて目立たない娘

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21話:現世の聖剣使い(1)

 日の出の鐘とともに、シャナはのっそりと寝台から起きた。


 樫の木の寝台は、九歳のシャナの体重でもぎしぎし言う。ぽかぽかする毛布から、足を下ろせば、春の朝にぶるっと足がすくんだ。いやいやながらも革靴に足を入れる。靴のなかも、ひんやりとしていた。


 シャナは、両肩を抱きしめる。急いで暖炉に薪を入れ、杖を出して炎の魔法を唱える。そうすると、あったかい空気が、ほこりのにおいと混じった。


 貴族の家では、使用人がいて、暖炉の火を絶やさないようにしているらしい。大貴族では、魔導具の温突と筒が、床に壁に張り巡らされて暖炉さえないという。

 そんな家に住んでみたいなあ、と思いながら、朝の身支度をはじめた。


「おはよう、お母さん」


 聖堂教会への祈りをすませると、母が起きてきた。

 大きなあくびとともに返事が返ってくる。

 討伐隊に勤務している父は、今日は夜勤だからまだ帰ってきていない。〈蟲〉の襲来を報せる教会の鐘は鳴らなかったから、今朝の帰りは遅くないだろう。


「ごめん、シャナ、急いで麦粉焼(パン)と牛乳を買ってきてもらえる?」


 髪を結わえて、長外套(ローブ)を羽織っていると、朝餉(あさげ)の支度をしている母から声をかけられた。


「わかった!」


 元気よく返事をした。戸棚の抽斗(ひきだし)から、巾着を取る。シャナの家は三階で、階段を降りると外だった。

 まだ肌寒かったけれど、長外套を着ていたから心地よい。朝靄のあまいにおいがしたけれど、鐘が鳴っていないから問題ない。


 シャナは急いだ。急ぐために、足の裏に{移動}を、膝、ふくらはぎと腿に{強化}の呪文を施す。

 ぐんっ、と景色が過ぎ去っていくようだった。


「わあっ」


 最近習ったばかりの生活魔術と身体魔術の組み合わせ。


 初等部にいた頃よりも、中等部に上がってからのほうが魔法は面白い。実用的なことをいっぱい教えてもらえる。


「習ったばかりの頃は、使いたがるもんだよな。魔力切れを起こさないように気をつけろよ」


 父はそんなふうにシャナに言うけれど、魔法は使ってこそなんぼだ。実践の練習にもなる。

 シャナは爽快な気持ちで、聖王都オルリアの商業区入口を目指した。



「おじさん、麦粉焼ふたつ!」



 まだ、はやかったからだろう。売り台に並ぶ人間はほとんどいなかった。なじみの麦粉焼屋に言えば、すぐに丸い切れ込みの入ったものをもらえた。フラウ麦の香ばしいにおいがして、ぎゅるっとお腹が鳴る。


 次の店を目指す。

 乳屋には、瓶に入った牛乳が店台に並んでいた。なんの変哲もない瓶に入っているものが一種類、瓶の側面に陣が施されたものが二種類、全部で三種類だった。


 シャナは無論、ふつうの瓶に入れられたものを注文する。巾着から取り出した銅貨を一個見せると、それでいい、と言われて支払った。


 はやく戻らないと。

 踵を返そうとしたところで、後ろから声がかかった。



「シャナじゃん! なにおまえ、魔法瓶買えねえの?」



 げっ、とシャナは口から出そうになった。

 学友の、腐れ縁の、商家のぼんぼんの声だった。

 振り向いてシャナは言う。


「うるさいな! 別にいいでしょ」

「うわあ、庶民って大変だな。保管がきかねえじゃん。毎日買いに来てるのかよ」


 いちいち庶民庶民言ってくるのが、ほんとうにうるさい。

 入学式の時の学園長の言葉を覚えていないのだろうか。学徒である限りは、あらゆる身分や社会的地位は意味がない。平等なのだ。

 それなのに、ちょっとお金があるくらいで、なにかにつけてシャナのことを庶民庶民言ってくるのである。


 シャナはこのぼんぼんが、きらいだった。今年も同じ学環でほんとうにめんどくさい。

 無視して踵を返す。杖を取り出して、さっさと帰ろうと思ったところで、後ろから肩をつかまれた。


「おい、無視するなよ!」

「もう、うるさいっ! またあとで学校で会うでしょ!」

「なんだよ、だからって無視するのかよ!」

「あんたが庶民庶民言うからでしょ! 庶民は忙しいのっ」


 じゃあね、と振り払って行こうとすると、今度は腕をつかまれる。思ったより力があったからか、後ろにかかった力に、均衡が崩れた。


 あっという間に尻もちをついて、一緒に今買ったばかりの牛乳瓶が、ぱりんっと割れる。なかの白い液体が、どばっと広がった。


「ちょっとっ!」


 さすがにシャナは抗議した。振り返って泣きそうになりそうな気持ちを我慢しながら、言う。

 ぼんぼんのほうは、しまった、という顔をしながら、いささかたじろいだ。


「どうしてくれんのよ! お父さんとお母さんが一生懸命稼いだお金で買ったのよっ」

「お前が無視するからだろ!」

「あんたがうるさいからでしょっ! 牛乳どうすんのよっ、今日の分なのよっ」

「うっせえな、おれが買ってやるよっ」

「そんなのいらないわよっ!」


 ぎゃーぎゃーわーわー、シャナたちが言い争っていると、朝からなんだなんだと周囲に人が集まってくる。


「もういいっ!」


 恥ずかしくなって、シャナは瓶をそのままに身を翻そうとすると、なおもぼんぼんが言い募ってきた。


「おい、おれが特別に{保管}のかかった瓶で——」



「——どうしたのかな?」



 竪琴の低い音のように、おだやかな声だった。


 シャナはあまりにもなめらかな声にびっくりして、声の主を——見上げる。背が高い。見上げてすぐに、目線がシャナと同じくらいになった。声の主——大人の男の人がしゃがんで、自分に目線を合わせてくれたのだとわかった。


 きれいな紅玉。そんな目の色をしていた。


「喧嘩かな? なにがあったのか聞いてもいい?」


 シャナは、ぽかーんとしてしまった。

 その瞳もさることながら、あまりにも整った顔立ちにびっくりする。金の髪に紅玉がはまっていて、なんかの宝飾品を見ているような気分になった。


「だって、こいつがっ」


 シャナよりも先に正気を取り戻したぼんぼんが、主訴を述べる。

 シャナも黙っていられず、まくしたてるように経緯を男の人に話した。

 男の人のほうは、肯きながら静かにふたりの主張を聞いた。それから、おだやかな声のまま言った。


「それは君がよくなかったね」


 音色のように言うので、ぼんぼんのほうは一瞬自分が咎められたことがわからなかったらしい。よくなかった、という言葉の余韻で理解して、かっと顔を赤らめた。


「なんでだよっ、だって、無視したのこいつじゃんっ」

「まあ、そうだけど、まず君が色々言っているから、いやな気持ちになったんだよ。きっかけを作ったのは君だね」


 そうだそうだ、とシャナは内心で同意する。

 同意していると、きれいな紅玉がシャナに止まった。


「君も言い方に気をつけようね」

「……はい」


 ごめんなさい、とシャナはしょんぼり小さく謝罪を口にする。

 紅玉の男の人はそれを受けてやさしく目尻を下げた。そのまま、視線をぼんぼんのほうに戻す。


「君もきちんと謝ろう。一杯分以上のものを台なしにしたきっかけを作ったのは君だし、なによりも朝買い出しに来ているこの子の労力と気持ちを無碍(むげ)にしている。庶民と言われるのはだれだっていい気分がしない。謝って解決しないこともあるけど、少なくとも一度は口にしなきゃだめだ」


 ぴしゃりと言われて、うっ、とぼんぼんは言葉に詰まった。


 シャナと同様に小さく謝罪の言葉が出てくる。それはちょっと驚いた。学園で教師から叱られた時はなかなか謝罪を口にしないのに、男の人の声には魔法でものっているのだろうか。そういう魔法もあると聞いたことがある気がする。


「気を引きたかったら、別の方法でね」


 男の人がぼんぼんの耳元でなにかをつぶやき、ぼんぼんの顔が真っ赤になった。シャナにはまったく聞こえなかった。

 きょとんとしていると、すっと男の人が立ち上がった。影がぐんと伸びる。やっぱり背が高い。父よりもある気がする。


「——はい」


 ぼうっと影を眺めていると、すぐに男の人はシャナの位置にまた腰を下ろす。

 差し出されたのは、さきほど木っ端微塵になってしまった牛乳瓶で、それも一番高価な{冷却}{保管}のかかった魔法瓶だった。



「よい一日を」



 片目の目配せを微笑みとともに受けて、シャナはかたまった。うっかりもらったばかりの魔法瓶を落としそうになった。


 おいっ、というぼんぼんの声、周囲の少女や婦人たちの黄色い悲鳴が聞こえるなか、男の人は去っていく。後ろに連れ立って歩く人もいたらしい。背中があまりにもかっこよすぎた。


 いなくなったあと、周囲にいた人たちが「ヴィクトル殿下よー!」などと騒いでいたから、シャナはあとからあの男の人が、オルリア聖王国の王太子にして、現世の聖剣使い——ヴィクトル・オルリアその人であることを知った。


 家に帰ったらお母さんに、学園に行ったら友だちに話さなきゃ! と、シャナはうきうきとした気持ちで家路についた。

ヴィクトル殿下も重要人物です。

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