195話:懐古の航海(1)
ウショーの前のめりな視線は、シェイラと高さが近い。茶髪に薄青の目は、よくある色彩で馴染み深くあった。
短い時間しかないが、親しくない相手。けれど、必要な情報はほしい。常であれば、雑談からはじめるシェイラも、今回は単刀直入に議題を口にすることにした。
「はい、ウショー筆頭教導師。この時間にお聞きしたいことが、いくつかあります」
「わかりました」
ウショーの表情は悪くない。
「まず、ひとつ目です。ウショー師が担当されている学環で、目立ってはいないけど、才能を感じる子はいらっしゃいますか……?」
飾り言葉はできるだけ省く。とはいえ、慎重に言葉を選び取る。
「そうですね。何人かいます。あとで名前を書きましょう。身分出身問わず、才能のある子は各学環に幾人もいるものです。ペニーなどはわかりやすいですが、あの子以外にも才ある子は多くいます。七月の祭典が楽しみですよ」
「それは、フィシェーユの魔法の使い手として、で合っていますか?」
「ええ、そうです。彼らには芸で魔法を扱う才がある。芸そのものにも」
「舞台での才能……に限らず、でしょうか?」
シェイラが問うと、ウショーは狐疑を浮かべた。太い眉根にしわが寄る。
「どういうことですか?」
「純粋に、気になりまして」
シェイラは、感じのよい笑みを浮かべた。
不審がられている時には、誤魔化すのではなく、こちらの真意をきちんと説明したほうがよかった。ちがいますちがいます、と慌てて取り繕うように自己防衛に努めると、対話はうまくいかない。こちらの問いの意図を、相手を不快にさせない言葉で表現する必要があった。
「これは、次の質問にも関係します。ウショー師が、全員舞台に参加することを大事にされているのはなぜだろう、と純粋に思ったのです」
「と言いますと?」
太い片眉が、くいっと上がる。
「師は、子どもたちのやる気や、努力について言及されていらっしゃいますよね?」
シェイラの耳には、ヤルチェに対して、やる気がないのか、と叱責していたウショーの声が残っていた。それだけ切り取れば、ただの熱血漢かもしれないが、彼がそう声をかける理由があるのだと思った。
「筆頭教導師でいらっしゃいますから、おそらく、これまでさまざまな子どもたちを指導されてきたのではないかと思います。きっと、そのなかには……やる気があってもできない子や、努力を積み上げてもできない子が、いたのではないかと思います。そういう子たちのなかには、舞台や壇上が苦手という子もいたのではないかと。そういった子たちの才は、師の方針だと見つけづらいな、と思いまして。子どもたちを大切に思っていらっしゃるウショー師が、なぜ全員を舞台にあげることを大事にされているのか、純粋に気になったのです」
純粋に、という言葉を鍵にして繰り返す。嘘偽りのない、シェイラの言葉だった。
筆頭教導師ということは、三十年ないし四十年、子どもたちを見てきたはずだ。
ウショーの声かけは一方的ではあったが、そこには子どもたちへの想いが詰まっているように見えたし、聞こえていた。
シェイラは、それを知りたかった。
幾分、間があった。
「……同じだったからです」
漆喰の壁にぽつりと滲むように、低音が響く。
「私も、彼らと同じだったからです。だからこそ、壁を乗り越える素晴らしさや、仲間と連帯してうまくいった素晴らしさを知ってほしかったからです」
ウショーは、ぽつぽつと、語りはじめた。
(私はなにを話しはじめているのだろうか……)
──このような、得体の知れない魔導師に。
それでも、ウショーは思い起こしたことを話さずにはいられなかった。自分の人生というものを、船旅に出るように思い返していく。
ウショーは、モルリオールよりさらに南──港街シャルタの生まれだった。
ウショーは、子どもの頃から小柄だった。「男のくせにチビだ」と、よくからかわれ、物心がつく頃には喧嘩っぱやく手が出る子どもであった。言葉ではかなわないから、拳のほうが、自分の感情を伝えるのにはちょうどよかったのだ。
チビだチビだ、と外見について長年言われてきたからなのか、ウショーは、前に立って人目に多く曝される場が苦手だった。手がはやくて態度はでかいくせに、肝っ玉は見かけ同様小さいやつだ、とばかにされることが多くあった。
気づけばそのまま、魔法学園初等部・中等部を卒業し、フィシェーユの魔術学院に入学する歳になった。
花の祭典練習──ウショーにとっては、地獄のはじまりだった。
そんな時に出会ったのか、当時の担任であった。
「──あんた、いい声してるわねえ」
余った魚を寄越してくる近所のおばさんを思い出す。よく言えば、恰幅がいい。悪く言えば、でっぷりと太った。同級生のあいだでは、酒樽おばばとひそかに言われていた。
その酒樽おばばが、放課後の練習を終えて帰ろうとするウショーを捕まえて、声をかけたのだ。
「ウショー、あんた、いい声してるよ」
屈託なく黄色い歯を見せながら、おばば教導師は言う。
ウショーは、無言でねめつける。
このばばあになにがわかるんだ、と内心で唾を吐いた。
「精彩は欠くけど、踊りも上手だよ。小柄だから身軽なんだねえ。身軽さを活かしたら、いい動きになる。{跳躍}を使わなくても、かっこよく跳べそうだ」
「……ちっ」
この時は、もしかしたら、ほんとうに舌打ちをしていたかもしれない。
今考えてみれば、とても失礼な話だ。いらいらしてとんでもない態度を取っていた。なのに、教室を出ていかなかったのは、酒樽おばばの言葉が、すうっとウショーのひび割れた肌に、潮風のように入り込んで聞こえたからだった。
「あとは、やる気の問題だねえ」
なにが、やる気だ。やる気なんか、肥溜めに糞とともに捨てた。
「やる気を出しな、ウショー」
おばばが繰り返す。
「やる気を出せば、あとは努力すれば、どうにかなる!」
ぼよん、と腹を叩いておばばが言うのに、ウショーは堪忍袋が切れた。
「……黙れ、くそばばあ」
「おやまあ! やっぱりいい声だねえ。いい次中音だよ!」
「…………」
「根性がひん曲がっちゃってるけど、いいものを持ってる。やる気出さなきゃ、もったいないよ!」
聞いていられず、ウショーはこの日、重い木戸の音を立てて、学環をあとにした。
やる気で解決したら、ウショーは苦労していない。小柄な父母の体を継承した自分には、歌も踊りも、フィシェーユの魔法も、合っていないのだ。
(おれは、親父と同じ、船頭になれればいい)
船唄を歌って、海遊する{蟲除け}ができればいい。美人な女房をもらって、迎え唄でおかえりを言ってもらう。そんな、なんの変哲もない、ふつうの人生が送れればいい。
ウショーは、そう思っていた。
ところが、酒樽おばばのしつこさは、魚油のごとく脂ぎっていた。




