194話:シェイラの役割
自鳴琴の街、モルリオールの朝。
陽がどんどん長くなっている。夏が近づいているからなのか、濃緑の鎧戸越しにも、隙間から朝陽がすうっと一筋入り込んでくる。部屋に舞う埃が、光を受けて、ちらちらと輝いていた。
シェイラは、その様子を、ぼうっと見つめる。
イディオンと、一昨日の夜に話したことを思い出していた。
彼は、随分と熱っぽく、弁を振るっていた。ああいう一面は、はじめて見た気がする。純真で、真っ直ぐな少年のいいところをそのままに、聡明な青年になったと思う。
彼の考え──騎士たちの目的は、竜を呼ぶ、というものだった。
仮説でしかない話だった。そんなたいそれたこと、あるだろうか。
シェイラは疑ってかかりながらも、大占卜師が詠んだ詩のことを思い出すと、イディオンの考えを頭から否定はできなかった。
竜とは、〈朧竜〉のことだ。
伝説の蟲。サージェストが封印したとされる、霧を吐いているとされる蟲だ。蟲たちの親玉とも言える。空を埋め尽くすほどの巨躯に、棚引く紫煙を鼻や口から吐く。それが〈魔導霧〉になると言われる。
伝説や昔話、祖父母などから子どもたちが聞く話では、そう言い伝えられている。
(ほんとうに、いるんでしょうか)
なにせ語られる話は、千年以上も昔のことだ。六百年を生きるオモノン老師よりも、さらにもっと前。歴史における建国記、聖典におけるサージェストの生誕史から魔導大戦の、古い時代にまで遡る。
(そんなこと、だれが証明できるでしょうか)
ぱっと思いついたのは、精霊女王エレンシア。玉薔薇樹林の褥を玉座とする、千六百年以上を生きるサージェストの五番目の弟子。
今月が、まさに、エレンシアの弟子列席を祝う月だ。
だが、エレンシアの姿を見たものはいない。ほんとうに生きているかも定かではない。そんな人間に、たしかめることなどできない。
(ほかにだれか……)
思いついたのは、ドゥエルタ老師だった。時間の魔導師。時守、とも呼ばれる。この大陸で唯一、時間魔導を編み出し、行使する。十二老師の席をひとつ埋めていた。埋めているが、実際その姿をシェイラは見たことがない。
常にいないのだ。
「わたくしも三回しか見たことがないわ」
ガザンは、楽しそうにそう言っていた。
「若い時のドゥエルタが一回、中年のドゥエルタを一回、しわくちゃになったドゥエルタが一回ね」
「どういうことです?」
シェイラは怪訝な顔をした。
「時間旅行をしているのよ。それで、たまに戻ってくる。ただ、どのドゥエルタが、今この時間軸のドゥエルタかはわからないの。本人もわからないって言っていたわ。どのドゥエルタもそう言っていたから、そうなんでしょうねえ」
言葉を失う。では、帰る場所……時間軸がわからないのではないだろうか。
「本人はあまり頓着していない様子だったわ。時間旅行は楽しいんですって。歴史に影響のあるできごとを第三者としてすべて観測するのは、本とはちがう楽しさがあって、愉快でおかしくてたまらないって言ってたわ」
変人だ。
シェイラは、絶対に会いたくない。
「基本的には、なにを見てきたのか教えてくれないの。歴史に差し支えのないことなら教えてくれるけどね。ドゥエルタが話すことそのものが、歴史の一部に含まれる場合は、話すと言っていたわ」
ガザンは、そう語っていた。
もしドゥエルタ老師に会うことができるのであれば、〈朧竜〉のことを教えてもらえるだろうか。
ほんとうにいるのか、いないのか。
あるいは、〈厄禍〉に関係するのか、しないのか。
(しないということはありませんね)
竜堕つる刻
黎明の世を迎えん
星詠みの詩は、そう締めくくられている。ならば、〝竜〟というものが〈厄禍〉に関係はするのであろう。
イディオンの仮説は、いささか大きく飛び跳ねすぎている気もするが、落ち着いて考えてみても、的外れとは言い切れなかった。
(もっと情報が必要ですね)
魔女の騎士たちの目的。星詠みの詩の意味するところ。〈朧竜〉とはなにか。
考えることも、調べることも多くある。その先が〈厄禍〉につながるのか、子どもたちを助けることにつながるのかわからない。
途方もない話だった。
(イディさんが、いてくれてよかった)
あらためて、イディオンがシェイラに付いてきてくれたよかったと思う。
ひとりだと、八方塞がりになっていたかもしれない。
「さて……」
シェイラは、寝台から身を起こす。
イディオンが手伝ってくれるのであれば、シェイラも気合いをいれなければいけない。
まずは今日、ウショー師との時間。それを、きちんとよい方向に進めていく。
〜*〜
放課後の時間、シェイラは約束通り、ウショーのところに向かった。イディオンにはべつのことを依頼し、シェイラは教導館の空き部屋でウショーを待つ。
窓の格子からは西陽が差し込んでいたが、磨り硝子が陽光をやわらかく拡散させる。薄ぼんやりとした橙色が、黄ばんだ壁画を照らしていた。壁の湿式画と、がたがた言う長卓と丸椅子のみの、なにもない部屋だった。漆喰と湿気、それから黴と埃の混ざったにおいが、少しだけつんとする。
「──臭いところですみませんね」
間もなくして、木戸を叩いてウショー師がやって来た。倍音のある声が、漆喰のあいだによく響く。
約束の五時からは、十五分ほど過ぎている体感だった。シェイラは立ち上がって、拱揖する。半量結った髪の一束が流れ落ちた。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「やはりではありますが、お待たせしてすみません。なにぶん指導することが多くて」
ウショー師は、きまり悪そうに、かけてください、と促した。ウショーは、丸座に組み鐘の意匠が彫られた椅子に腰かける。シェイラもつづくように座った。
「それで、私の意見を聞きたいと?」




