189話:旧市街へ
「ご機嫌だね」
夕方の鐘がなる頃、イディオンの気配を辿りながら、構内をぶらぶらしていると、すぐに見つかった。
イディオンのほうは、たいそう機嫌が悪そうだった。眉間にしわを寄せて、シェイラを見下ろしている。
「イディさんは、ご機嫌ななめですね?」
「シェイラが置いていったからだろう」
「だって、慣れているとおっしゃいましたし、二手に別れたほうが情報は得られやすいでしょうから」
「情報は得られたけどさ……」
「じゃあ、早速整理しましょう?」
シェイラが屈託なく笑えば、イディオンは溜息をつく。
「わかったよ」
シェイラとイディオンは、風琴亭へと戻る坂道を登る。西陽を暑く感じるが、風の通りはいい。
「ぼくは、女の子たちのあいだで流行っているおまじないのことを聞いたよ」
「フェノアが言っていたお店でしたか?」
「ああ、そうだった」
シェイラは話しやすいように{浮遊}する。
すでに、フェノアからは旧市街にある雑貨店の名前を聞いていた。女子に人気のある小物雑貨に加えて、おまじないの雑貨も扱っているのだという。
「実際に見せてもらったよ。その子が持っていたのは振り子だったけど、時計盤に似た陣を魔法紙に書いて揺らすと、一日の運がいい方向を教えてくれるらしい」
「なるほどなるほど」
「あとは、組紐だな。これはけっこう流行っているらしい。手首や足首に付けられて、色も種類があって、いつ切れるかわくわく感もあるから、女の子たちに人気だとか。男たちのあいだでも流行りはじめているって聞いたよ」
聞いて、額の裏に、ヴィクトルの左手首がかすめた。赤と茶色。
一瞬浮かびあがってきたものを払拭するように、シェイラは内心で首を振る。
「それから?」
「最初はそんな話ばかりだったけれど、気になることを聞いた」
「気になること?」
「その店には、裏商売があるって」
シェイラが宙で止まると、イディオンと視線が合う。
「店員と、ある決まったやり取りをすると、表では扱っていない品を見せてくれるらしい」
「呪具ですか?」
「それっぽかった。不気味な人形があったって聞いたよ」
「……その話してくれた子は呪具を?」
「いや、買ってはいないらしい。興味本位で見せてもらったけれど、あまりにも不気味だったからこわくなったって」
「そのやり取りの方法は聞いてきましたか?」
シェイラの気持ちは、帰る道と反対に傾いていた。浮かぶ足は止まったまま、尋ねる。
「もちろん」
イディオンは、にやっと笑う。
「行ってみる?」
同じ気持ちらしい。シェイラも笑みを合わせる。
「行ってみましょう」
シェイラとイディオンは、踵を返して、のぼってきた坂道をくだりはじめた。
旧市街は、黄昏色に漆喰壁を染めていた。赤い屋根と馴染むように階調が美しい。
けれど、路地裏はどこか薄気味悪かった。物乞いや、宿なしの者はいなかったけれど、練り歩く人はどこか陰を落として、夜闇と黄昏の隙間を目指しているように見えるのは、気のせいだろうか。
長裙衣の裂け目から、じっとりとした風が入り込んでくるようだった。なんとなく、リマス師に襲われた時のねばつきを思い出す。
「こっちだ」
イディオンが隣にいてくれるのはありがたかった。
雪白の長外套と、半量結われた銀髪が揺れるたびに、魔を払ってくれる気がする。浄化された風は、雪原のにおいを孕んで、シェイラに辿り着く。澄んだ香り。それから……
(針葉樹のにおい)
蛍モミか翡翠スギか。それとも北部に連なるトウヒの木々だろうか。
(三年前は、こんなにおいはしませんでしたが)
昔と異なって、〈導脈〉の制御がうまくいくようになったから、魔力香がもれているのかもしれなかった。ほっとするような、心地のよい香りだった。
「ここだ」
──フェーリのきらきら魔法雑貨店。
どうにも胡散臭い釣り看板が掲げられている。
きらきらとはなんだろう、とシェイラは見上げながら思った。視線を下ろして、隣のイディオンにたしかめる。
「{希薄}はかけられますか?」
「問題ない」
イディオンは、すみやかに闇の魔術を展開する。詠唱はもちろんない。
シェイラは慣れつつあるも、いささか呆気に取られながら、呪文を紡いで自分にも{希薄}をかけた。詠唱を破棄するシェイラでさえも、闇の魔術を行使する際は、基本的に呪文を用いる。破棄しても問題ないのは、馴染みきった{防護}くらいのものだろう。
(規格外の魔導です)
〈表象魔導〉というものは。
シェイラはそれが、ちょっと誇らしかった。
そうっと、店のなかに入る。戸に木製の鳴風鈴がかかっていたが、音は鳴らなかった。店全体は夕闇に沈んでいるようで、静かだった。看板の言葉とは裏腹に、夕方の山襞に潜む闇を抱え込んでいる気がする。
店主と思しき老婆は、揺り椅子に腰かけ、アベル織りの膝かけとともに揺れながら、目を閉じている。夕寝に誘われているようだった。
{希薄}をかけているシェイラとイディオンには、気づかない。
そのまま、奥へと進む。
薫衣草の香りのなかに、沈香と白檀を感じる。その香りの袂を探るように、進んでいく。




