178話:うわさ話と浮いた話
「おまじないねー」
フェノアは、白い葡萄酒を口にする。
「たしかに、流行ってるわよ。女の子たちのあいだで」
そう言って、フェノアは川魚の包み焼きを口にする。おいしそうに顔をほころばせた。
ノスという香魚で、清流にしか生息しない。エレ川近隣の街では、この川魚料理が有名だった。
シェイラはもちろん口にせず、代わりにたっぷりと蜂蜜のかかった、きらきらと黄金色に輝く揚げ麦粉焼を食べる。
一口切って、口に放り込む。
じゅわっと油が出てきて、砂糖と蜂蜜がふんわりと口に広がる。噛むと、フラウ麦の味がして、たまらない気持ちになる。
「……もうちょっとなにか食べなよ」
ぼそっと向かいのイディオンがつぶやくのを黙殺する。
「どんなおまじないですか?」
「よくあるやつよ。恋のおまじないとか。友だちと仲直りができるおまじないとか。そういうものかしら」
「他にはあります? その……ちょっとよくない感じのものとか」
「そうねえ」
シェイラの問いに、フェノアは思い出すように視線を上にやった。
「嫌いな人間を怪我させる……っていうのは聞いた気がするわ。さすがに、そういうものはあまり大っぴらに話されないけどね。小耳に挟んだくらい」
「なるほど」
シェイラは、葡萄酒を啜って喉の潤いを満たす。
思考を働かせていると、酒場の喧騒が聞こえる。踊り子のいる店で、小太鼓や提琴、横笛の軽快な音律に合わせながら、舞が披露されていた。吹き抜けになっている酒場だ。二階は反橋同士でつながり合って、橋の上で酔っぱらいが落ちそうになっていた。
「そのおまじないの出どころって知ってますか?」
「出どころねー。わからないわ。聞き込みでもすれば、わかるかもしれないけど、わたしは講師っていう立場だし。聞きづらいわね、正直」
「そうですか」
ぱくっと、二口目を入れる。蜂蜜が、あまい。
「──街じゃないですかね?」
口を挟んだのは、スヴェリだった。樽杯からあふれそうな麦酒の泡をこぼれないようにしている。
「ガルバーンでも、一時期、怪しい店がいっぱいあって、そういうところから、じわじわっと、女、子ども伝いで広がってた時がありましたよ」
「今は、ちがうのですか?」
「王配殿下と査問院がこの数年で取り締まりを強化したんですよ。ガルバーンではあまり見かけないんじゃないですかね? なにせほら、そういう怪しいのって魔女騎士に通じやすいって言うじゃないですか」
ぐいっと麦酒を飲んでから、スヴェリがそう言う。
スヴェリの言うとおりだ。だから、今回こんな調査をしている。
「フェノア、そのあたりの話は聞きませんか? このモルリオールの街で、なにか売り買いされているとか」
「うーん……」
フェノアは、美声をころころと転がすように、葡萄酒も口のなかで転がしていた。
「そういえば、人形とか、組紐とか、あと硬貨みたいな……お守りのようなものも、最近、持ち歩いている子が増えたかもしれないわね」
「お守りって、こういうのか?」
イディオンが言って、襯衣の下から銀の鎖を出した。
懐かしい代物だった。ラリシャ銀のお守り。シェイラとイディオンが知り合ったばかりの、ふたりのつながりになった鎖だ。
胸の内側がじんわりとした。{修復}ですぐに分解されてしまうはずなのに、揚げ麦粉焼と一緒に流した葡萄酒の酒精が、喉を焼く。
「そうですね。まさに、流行っています。たしかに、そういう感じで下げてる男の子もいた気がしますわ」
フェノアのかろやかな声が肯定する。
シェイラは、自分のなかの酒精の熱を感じながら、たしかめる。
「どこで売っているかもわかります?」
「さあね。それは、わからないわ。でも、シェイラが気にするなら、それとなく、聞いておいてあげる」
「お願いします。わたしたちも調べるので、どこかですり合わせさせてください」
「わかったわ」
フェノアは、ノスの包み焼きをおいしそうに咀嚼しながら肯いた。
再会の夕餉が終わり、玉櫛亭を出る。旧市街から新市街へとつながる、勾配のある古い石橋をのぼりながら、エレ川を横断する。春の夜更けに清流の流れる音がしていた。
「──ねえねえ、ちょっと知っていたら教えてほしいのだけど」
フェノアは、スヴェリという男に話しかけた。
シェイラとイディオンは、ふたりでなにかを話しながら前を進んでしまっていて、フェノアたちからは少し距離が空いていた。
「なんでしょうか、歌唱の魔導師さま」
からっとスヴェリは応じる。
「シェイラが昔の悲恋でどん詰まりなのは察しているんだけど、イディオン王子はどうなの? シェイラのこと、どう思ってるか、知ってる? あなた、殿下の部下かなんかでしょ?」
「部下というよりは使いっ走りですね」
スヴェリは緑頭を後ろ手に組みながら訂正する。
街灯の光が揺らめいて、真緑は浮き上がって見える。
「使いっ走りなの?」
「俺は{転移}だけに秀でた魔術師なんですがね。その能力を買われまして、女王陛下と王子殿下の完全な使いっ走りです。もはや下僕ですよ」
「へえ、珍しいわね。それ以外の魔法は?」
「からっきしですよ。父親からは{転移}だけ使えてどうするって散々コケにされてきたくらいです」
「ふーん」
そうなのね、とフェノアは相槌を打つ。
そういう人の事情に、フェノアはまったく興味がなかった。
どうでもいい。フェノアが人の話題で興味あるのは、恋の話だけだ。
「そんでまあ、家から干されていた俺を、ちょうどいい! と女王陛下に見出されて、殿下がまだ、お小さかった時の護衛みたいなことをこっそりしてたんですが」
「へえ」
「それがばれて、殿下にぶち切れられまして。今じゃ、陛下だけじゃなくて、殿下の使いっ走りですよ。俺の人生、たいがいだと思いません?」
「そうなのねえ」
「……適当っすね」
フェノアは、スヴェリの話を半分以上聞いていなかった。
聞きながら、楽しそうに話をしているシェイラとイディオンの横顔を見る。
「それで、使いっ走りさんは、殿下とよく話すんでしょ? どうなの? イディオン王子の気持ち、知ってる?」
あれは、まちがいないだろう、とフェノアは確信している。シェイラは、魔法と子どもに関すること以外は、味覚を筆頭に鈍感この上ないから気づいていないが、イディオン王子のあの目は、そういう目だ。
あの、三年前に、ラムルをさがしに来た時から、イディオンはそういう目をしている。見た目の幼さなど関係ない。
伊達に魔導師としての年齢を重ねていない。男女の機微をよく見ていないと、歌劇では表現ができないのだ。それだけは観察眼として養われている自信が、フェノアにはあった。
「あいつの気持ちですか?」
「そうそう。シェイラへの。絶対好きでしょう、あれ」
フェノアは、シェイラの話を聞きつづけるイディオンのほうに視線をやる。
「直接聞いたら、そんなんじゃない、とおっしゃるのよ。絶対に、そんなんあるでしょう?」
「俺も聞いたことがありますよ。お前、シェイラお嬢さんのこと好きなのかって」
「へええ、それで?」
面白い話を聞けそうだ。フェノアは興味深げにスヴェリに顔を向ける。
「俺も、そんなんじゃない、って言われました」
なんだ。
フェノアはがっくりする。聞いて損をした。面白くない。せっかく、次出る舞台の参考になりそうだったのに。
「それで俺、もうちょっと食い下がって聞いてみたんですよ」
「そう」
フェノアの関心は、もう逸れていた。
部屋に、化粧水残っていたかしら。そんなことを考える。寝る前の保湿は欠かせない。どこかに埋もれているかもしれない。探すのは面倒だな。だれかから借りようか。
「そんなんじゃないって、じゃあ、どんなだよって」
フィシェーユの大学塔であれば、美容を気にかけているものは多い。だれかが、絶対に化粧水を持っている。だれから借りようか。
「聞いてます? フェノア師」
「あーはいはい」
フェノアはもう全然聞いていなかった。適当な返事をする。
よし、あの子にしよう。あの子なら持っている気がする。
「──そんな生やさしいものじゃない、って言ってましたよ。好きとか、そんな、生やさしいものじゃないって」
「あら、なにか言った?」
フェノアはなにか聞き逃した気がする。
「……俺って、どうしてこんなぞんざいな扱いを受けるんだ?」
試しに聞いてみたが、そんな答えが返ってきた。深々と溜息をつかれる。
やっぱり聞いて損した、とフェノアは思った。




