176話:『エレ川の舞姫』
チリンチリン──……
小路沿いの自鳴琴店に入った。扉にかかっていた鳴風鈴が揺れて音が出る。
「いらっしゃいませ」
背格好が大柄な女だった。声もよくとおって大きい。フィシェーユだからだろうか。会う人会う人、みんな声がよく響く。
「よく見ていってくださいね」
感じのよい女でもあった。笑みは向けるが、まとわりつかれないので、ありがたい。
木棚には、さまざまな自鳴琴が飾られている。箱型、時計型、人形型、手回し式やねじ巻き式、{自動}式もある。落ち着いた意匠のものが多いようであった。
シェイラの好みが多い。じっくりと、見はじめる。
ひとつひとつ、手に取った。木彫りの螺旋模様を描くもの、茜羊歯の蓋があるもの、ベラリアの花の陶器のもの、さまざまな職人工芸の髄が尽くされているようだった。手間暇のかかった装飾には、職人たちの思いが乗った魔法がかけられている。
そうして、目に入ったのは、紫苑ザクラの四角い小箱だった。飾り罫のような、繊細な唐草模様。風景画のような絵付け。散った花びらに螺鈿が施してあって、光加減で輝く。魅入られたように眺める。
「そちらは、装飾品入れですよ」
ずっと見ていたからだろう。奥から立ち上がると、女が説明をしてくれた。
「{自動}演奏で、ねじを巻かなくても、蓋の開閉で自鳴琴が鳴ります」
よろしいですか、と言うと、女はシェイラの手にあった小箱を取る。蓋をそっと開くと、やさしい音が、弾きはじめた。
「これは……」
「『エレ川の舞姫』です。ご存知でいらっしゃいますか?」
女の問いに、シェイラは肯く。
郷愁を誘う音色だった。深く沈んでいた記憶を呼び起こす。
母エリオーネの、音と舞を思い出した。
「ラータ、あなたも真似てごらんなさい」
澄鈴という楽器の名手だった。澄鈴は、舞の技量も必要とされる楽器。舞いながら音を奏でる不思議な楽器なのだ。
「わたしは、『エレ川の舞姫』が大好きなのよ。切なくて、美しいから。あなたのお父さまも、これでわたしを見初めてくれたの」
母は、そう言って、よく舞っていた。一座の他の人間に竪琴や柳弦で主旋律を奏でてもらいながら、澄鈴の単調だけれどほっとする音を響かせていた。
ふいに目頭が熱くなる。不審でない程度に、まぶたを閉じる。
「こちらを、いただいてもいいですか?」
顔をあげて言えば、女は人のいい笑みを浮かべた。
「もちろんでございます」
お待ち下さいね、と女は箱を持って、店台に引き返すと、イディオンがシェイラの隣にやって来る。ずっと静かに、ほんとうに文句ひとつ言わずに、近くで同じように品を見ていた。
「いいのが見つかった?」
「はい」
シェイラは見上げながら返事をする。
なかなか見つからない、よいものだった。これから、あの小箱を見るだけで、気持ちが浮き上がりそうな気がする。
「よかったね」
イディオンがほほ笑む。
「ぼくも、なにか買おうかな」
「素敵なお店ですもんね」
「ああ。ガルバーンにはない店だ」
都を愛している王子が言うのだからまちがいない。
そんな話をしているうちに、チリンチリン、とまた鳴風鈴が鳴った。
「──ただいま」
シェイラが振り返ると、そこには今日一番はじめに見た学環の少女がいた。
ヤルチェ・ラッカーラ。金糸雀の少女。
シェイラは目を見開く。
「お客さん? いらっしゃい」
少し無愛想に聞こえる言い方だった。けれど、悪気がないのはすぐにわかる。表情筋があまり動いていない。声質も淡然としている。体に、自分の感情を乗せるのが苦手なのだろうと察した。
シェイラは、頭だけ下げて応じる。
ヤルチェはもう、シェイラを見ていなかった。店台の女に声をかける。
「ありがとう、カーサおばさん。あとは、あたしがやるよ」
「あら、いいの?」
「うん。夜ご飯作らなきゃでしょ」
「じゃあ、よろしく頼むわ」
そう言って、ヤルチェは女と代わる。
「ごめんなさいねえ、お客さん。こちらの自鳴琴を作った職人の娘さんですよ。ここから代わりますね」
女は最後まで感じよかった。シェイラにそう声をかけると、店を出ていった。
店内が、しん、と静まる。
「これは、お父さまが作られたものなのですか?」
シェイラは、興味深く尋ねた。
ヤルチェのことも、自鳴琴自体のことも、知りたかった。
「はい」
「素敵な箱です」
「箱は別の職人が作ったものです」
「そうなんですね」
「はい」
シェイラは、笑みを浮かべた。実直な少女なのだろう。受け答えの様子から、雑談が苦手な印象を受ける。学院では苦労しそうだった。
(あまり世渡りが上手ではいらっしゃらないのかもしれませんね)
それは、少しだけシェイラに似ている気がする。
「なかの音色も、大変きれいで……昔のことを思い出しました」
「ほんとうですかっ?」
ヤルチェが、突然顔をあげた。ずいっ、とシェイラを覗き込むようにする。
距離の近さに、シェイラは半歩だけ下がった。距離感がわからないのだろう。
「はい。母との……眠っていた思い出がよみがえりました」
「父の魔法なんです!」
ヤルチェは、勢いよかった。
「懐かしい思い出を思い出す魔法って言って、自鳴琴を作りながら願いを込めることで、音とともに発動するんです」
「だからですね。よく、思い出すことができました」
「一応、古くからあるフィシェーユの魔法なんです。{拡声}や{魅了}のような、すごい効果はないんだけど、人を幸せにするささやかな魔法なんです!」
「素敵な魔法ですね」
「はい、そうなんです! 父は、もう少なくなってしまった、この魔法の継承者なんです! あたしは父を尊敬していて、同じように作りながら、今の時代でも好まれそうなものを作りたいなって思っているんです!」
ヤルチェの目はきらきらと輝いて、饒舌だった。心からの願いなのだろう。とても眩しかった。
「そうですか」
シェイラは、微笑する。
「では、お父さまに感謝を伝えてください。思い出を、箱とともに持ち帰りますと」
「はいっ!」
金糸雀は、うれしそうに笑った。表情に出にくい子だと思ったけれど、そんなことはなかった。喜びを素直に表せる子なのだ。よい子だった。
会計を終え、緩衝材と紙袋にくるまれた箱を受け取った。シェイラは胸に抱え込んで、店をあとにする。




