175話:〈表象魔導〉
「はい?」
突然どうしたのだろう。
シェイラが横を見ると、イディオンはなんのてらいもなくつづける。
「わかるんだよ。見ると、だいたい」
「わかる、ですか?」
ああ、とイディオンは肯定する。
「どうやってできているのか、構造が把握できる。こうやって作ったからこんな形になったんだろう。そう、わかるんだ」
この王子さまは、なにを言っているのだろう。
シェイラが眉をひそめていると、イディオンが、ほら思い出して、と話す。
「ぼくの魔法は、逆算の魔法だって話をしていたよね?」
「ええ……」
「そういうことなんだ、つまり」
(どういうことなんですか、つまり)
なぞなぞでも出されている気分になりながら、シェイラはイディオンを見上げる。
「表象する魔法。表象に必要なものが逆算できる。逆算できるものは表象できるんだ、ぼくの魔法は」
「……なるほど」
シェイラは、耳飾りをちりんと弾いて、理解に至った。
もともとイディオンは、想像の力や、視覚的な表象の力が高い。一度見たものは忘れない。頭に鮮明に思い浮かぶ。そういうものだ。
鮮明に浮かび上がり、表象できれば、頭のなかで逆算がはじまって細部への理解に至る。
そういうことなのだろう、とわかった。
「では、あの時計も表象して再現できるということですか? どうやって作るかも」
「うん、まちがいなく」
イディオンは断言する。
自信のあるその様子に、シェイラはぽうっと宵燈が灯るように感じた。
「すごいですね」
また笑みが浮かぶ。
「さすがです、イディさん」
シェイラの教え子は、ほんとうに立派な魔導師だ。
それはとても誇らしい。ついつい、にやにやとしてしまう。
言われたイディオンは、秀眉を寄せてから当然のように返す。
「あなたが向き合ってくれたからだ」
「はい、そうですね」
「あなたはほんとうにすごい人だ」
「もっと褒めてくれてもいいですよ?」
「今生きている魔導師のなかで、一番すごい」
「それは過分かもですが、受け取っておきます」
「ほんとうに」
イディオンは至極真面目だった。
「到底、もらったものを返しきれない」
律儀だな、とシェイラは思う。真面目で律儀、そして努力家の王子さまだ。だから、この三年で、ほんとうに魔導師になってしまった。
(そんなことは、いいのに)
もう十分、イディオンからは返してもらっている。当時だけで、十分もらっていたのだ。
イディオンのやさしさに、シェイラはとても救われていた。返すなんて律儀なことしなくてもいいくらいに、傷ついたシェイラの心を、少年のイディオンは癒してくれた。
あまつさえ、魔導師になった姿まで見せてくれて、それだけで十分だった。
(でも……)
置いてきぼりにされてしまう、と思っていた自分の首がもたげる。奥底で感じていた冷たく吹く風を感じる。
(……まだ、こうやって話していたいです)
イディオンが返しきれていないと言うのであれば、シェイラはこの立場に甘んじていたかった。
「──もう少し聞きたいんですが」
シェイラは、腹の奥で感じたものに蓋をするように、話題を戻す。
「今のを聞く限り、イディさんの表象魔導は、思い浮かべられるものであれば、なんでも完璧に再現できるということですよね?」
シェイラは、イディオンの魔法の最初しか知らない。助走を手伝ったようなものだ。
一緒に過ごして戦闘もするのであれば、知っておかなければいけない。
「そうではないよ」
イディオンは、すぐに否定した。
「完璧というのは、案外難しい」
「どういうことです?」
意味はわかるが、イディオンの魔法で言うと、どういうことなのだろう。
「たとえばだが……」
イディオンは言いながら、左手の平に短剣を作った。一瞬のことだった。
(はやい)
式や呪文を組み立てる時間がないからだろう。その分が短縮されて、出力の速度が並ではない。〈導脈〉の動きも尋常ではない。ほんとうに、どんな鍛錬を積んできたのだろう。
「これは、なんでも切れる短剣として{表象}した」
「はい」
言って、シェイラに短剣が渡される。なんの変哲もない短剣のように見えたが、握れば魔力を帯びているのがわかる。
「もうひとつ」
そう言ってイディオンは、今度は人の顔の大きさくらいある植物紙を作り上げた。光沢のある真っ白な紙だ。
「これは、絶対になにをしても切れない紙として{表象}した」
イディオンは言ってから、その紙を自分の胸元に盾のように構えた。
シェイラは、見てすぐに、ひらめくものがあった。正しさを証明するために、短剣を構える。
「切りつけていいですか?」
「うん」
一切のためらいなく、短剣を振り下ろした。受けるイディオンも、眉ひとつ動かなかった。
短剣と紙がぶつかった、その瞬間、ふたつのものがぱあっと青銀の残光を散らして、消えていった。
「こういうことだよ」
「理解です」
イディオンの見本に、シェイラは大きく肯いた。
わかった内容をまとめる。
「イディさんの魔法は再現力が高い分、矛盾が発生すると魔法が無効化してしまう。そういうことですね?」
「合っているよ」
「細部まで逆算できていないと、だめってことですね?」
「そのとおりだ」
イディオンは説明する。
「シェイラが言ったとおり、ぼくの魔法は綻びを一切許さない。逆算型だから、証明できなかったら散ってしまう。これは道理でしかない」
「はい」
そもそも規格外の魔法だ。それくらいの障りがなければ、イディオンはただの無双魔導師になってしまう。
「──だから、ラムルと対策を考えたんだ」
にやっとイディオンが笑った。
シェイラは、小首をかしげる。ちりん、と瑠璃の耳飾りが揺れた。
「対策?」
「あえて綻びを作る」
「あえて……?」
イディオンは不敵な笑みを浮かべる。グシェアネス女王の血統を思わせる笑みだった。
「〈ゆえある裂け目〉と、ラムルは言っている」
イディオンは言いながら、もう一度、短剣と紙を作り上げた。今度も短剣を渡される。
「もう一度、これを切ってみて」
「はい」
シェイラは迷いなく、再度紙に短剣を向けた。瞬間、きんっ、と鋼鉄に当たったような感覚を腕に感じて、そのまま短剣が弾け飛ぶ。
「これは……」
シェイラは路地の隅に転がった短剣を見つめる。
「最後にもう一度やってみて」
イディオンは持っている紙をくしゃっとした。くしゃくしゃの紙を構える。
シェイラは短剣を拾うと、なにが起こるのか予想がついた。今度は、いささかためらいながら紙に刃を向ける。
しゃーっとなめらかな音を立てて、紙が切れていった。あまりにもの切れ味に、ぞっとする。
「なるほどですね」
シェイラは短剣を戻す。受け取ったイディオンは、短剣も紙も、魔力の粉にして消した。
「わかった?」
イディオンが、楽しそうに尋ねる。
「わかりました」
シェイラもその楽しそうな様子に、笑みが浮かんだ。
「聞いてもいい?」
「〈ゆえある裂け目〉……つまり、意図的に綻びを作ることで、綻びも制御する。そうして、矛盾を発生させない。そういうことですね?」
「正解」
イディオンがまた、唇に不敵を描いた。
「この短剣でしたら、〝なんでも切れる短剣。ただし、なにをしても切れない紙にはかなわない。折れたり曲がったりしている場合は除く〟そんなところでしょうか?」
「ご名答」
イディオンは、情報を付加する。
「正確には、紙のほうにも〈ゆえある裂け目〉がある。〝なにをしても切れない紙。ただし、折れたり曲がったりするとただの紙に戻る〟そのほうが、単純で制御しやすい。あまり条件がありすぎると、それはそれで矛盾を孕むからね」
なるほど、とシェイラは唸った。
唸るしかない。天晴だ。なにひとつ、言うことはない。
「やっぱりすごいですね、イディさんは」
「褒めてくれる?」
「褒めますとも」
「もっと褒めてくれてもいいよ?」
イディオンが、調子に乗った声を出す。さっきのシェイラと逆だった。また笑いが込み上げてくる。
シェイラは{浮遊}して、イディオンと高さを合わせた。しっかりと褒める。
「はい、三年間がんばりましたね。すごいすごい!」
「……うん」
イディオンが少しだけ照れたように目線を逸らした。昔のように俯いたりはしなかったけれど、喜んでくれているのがわかって、シェイラは着地したあとも、ぷかぷか{浮遊}しているようだった。またひとつ、成長を知れた気がする。




