169話:フェノアとの再会
「では、参りましょうか」
「ああ」
身支度をして、朝餉を終えると、ちょうど八時を告げる鐘の音が鳴った。その音に合わせて坂道を下っているうちに、今度は時計塔から、音色のある鐘の音が聞こえた。文字盤の下、ちょうど木戸になっているところが、ぱかっと開くと、なかから人形が数体せり出してくる。
まもなく人形たちは、自鳴琴の曲とともに、舞を踊りはじめた。
「見てください、イディさん!」
シェイラは指をさす。
「人形が踊っていますよ!」
華やかな陶器人形たちだった。絵付けがされていて、真紅の裾衣がくるくると回っているのが明るく見える。
「かわいいですね!」
「……うん」
「どんな{導線}が引かれているんでしょう。内部構造が気になります!」
「そうだね」
「自鳴琴の音はどうやって響かせているんでしょうか。{拡声}でも仕込んであるんでしょうか」
「どうだろう。あれは時計塔のなかで……」
シェイラとイディオンは論議しながら、モルリオール高等魔術学院へとつながる大きな石橋を渡った。渡り終えれば、学院の正門が見える。
長外套を羽織った十代の子どもたちが次々と門のなかに吸い込まれていく。車止めに馬車を止めて優雅に足を下ろすのは、貴族や裕福な商家の者たちだろう。学院には、モルリオール一帯の子どもたちが集められるから、人数がすごかった。これに、学寮生もいるのだ。
セゾン高等魔術学院を思い出す。セレリウスは元気だろうか。ターニャ師から、大学府へ進学したと聞いている。ターニャ師も今年、異動になったのだという。手紙をもらった時、異動の辞令がくだるにしては、随分はやいなと思った。
「徽章をあらためさせていただきます」
考えているうちに、門番がシェイラとイディオンの足を止めた。
声の大きい門番だった。ざわざわと子どもたちが、シェイラとイディオンを見る。女子生徒がなにやらイディオンのほうを見上げて、黄色い悲鳴を上げていた。
「はい、どうぞ」
シェイラが浮かんで徽章を見せる。イディオンも無言で門番に徽章を示す。
矯めつ眇めつした門番はややもすると、大きな声を張り上げた。
「こ、これは! 大変失礼いたしました! 魔導師の方々でいらっしゃいましたか! それも準師の方まで……っ!」
大きな声が波となったように、子どもたちのあいだにざわめきが伝播していく。
「魔導師がなんで学院に?」
「準師って?」
「ねえ、あのかっこいい人、魔導師らしいよ!」
一限目がはじまる頃には、噂は教室の隅の埃にまで伝わっているかもしれない。そんなざわめきを背後に、門番がけたたましく言う。
「学院長室までご案内いたしますっ!」
「いえ、大丈夫です。教導館がどちらか教えてください」
「魔導師殿をお連れしませんと!」
「……門番のお勤めがあるかと思いますから。どちらになりますか?」
「なんという心遣い! ありがとうございます! あちらでございます!」
たいへん素直な門番らしかった。
シェイラは思わず失笑してから、指さされたほうを確認する。
「イディさん、行きましょう。ここだと騒がしいので、飛びましょうか」
「了解」
「では、ありがとうございました」
シェイラが頭を下げて、翅を開けば、わあっと子どもたちのざわめきが大きくなった。イディオンがシェイラのあとにつづいて、宙を舞う。示された館を目指した。
着地したところが、教導館だった。
古びた扉を開けた先は、朝のざわめきに満ちていた。教師や職員たちが行き交っている。シェイラはつかつかと長靴を進めると、近くにいた人間に声をかけた。
「お忙しいところすみません、ヴェッセンダリアから来たシェイラータと言いますが、学院長室はどちらに──」
「──シェイラ?!」
呼びかけられた声に、シェイラはびっくりして振り返った。
「フェノア?」
美貌の歌唱魔導師が、扉の前に立っていた。相変わらず波打つ金髪はきれいで、金の瞳も美しい。立っているだけで彫刻のようだった。
笹縁でできた長外套は、フェノアの空気に合っている。
「久しぶりじゃない!」
シェイラを見ると、フェノアは抱きついた。
なされるままになる。
「三年ぶりね! あなたがヴェッセンダリアに戻って以来だもの! きれいになったわね!」
「久しぶりです、フェノア。あなたにきれいになったと言われても、お世辞にしか聞こえないです。それから、ちょっと苦しいです」
ぎゅっとされると、フェノアからはいいにおいがする。薔薇のような石鹸のような、とにかく魅力的で危ない香りがする。
放されると、フェノアは満面の笑みだった。シェイラのほうも尋ねる。
「ガルバディアから、異動していたんですね。今はフィシェーユに?」
「そうよ。五十年ぶりの故郷と言ったところかしら」
フェノアの年齢は変わらず不詳だが、今の発言で五十歳以上は確定だ。
「シェイラこそ、なんでフィシェーユに? それもこのモルリオールなんかに……」
言いながらフェノアの言葉は尻すぼみになっていった。金眼を見開く。シェイラの後ろに黙って控えていたイディオンに、やっと気づいたらしかった。
「えっ、え、えーっ?!」
「うるさいです、フェノア。皆さんの迷惑です」
すかさずシェイラが注意すると、シェイラはフェノアにまたもや捕まえられた。隅のほうに追いやられて、小声で質問攻めに合う。
「ねえねえねえ、あの方ってまさかイディオン殿下? 本物? え、なんでシェイラといるの? というか魔導師の徽章つけてなかった? え、シェイラと殿下ってやっぱりそういう仲? なに、どういうこと?」
「……わけのわからない質問を混ぜ込まないでくださいよ。説明するので、放してください。ついでに学院長室に案内してください」
シェイラはフェノアから逃れて、長外套の裾を直す。
「モルリオールの学院長には今日ご挨拶に伺うことを先ぶれしていますので」
「わかったわよ。案内してあげる」
フェノアはシェイラを解放すると、イディオンにも歓迎の笑みを向けた。
「イディオン殿下、お久しぶりですわね。ご成長されたようでなによりです」
イディオンはその台詞に目顔で応じるだけだった。
フェノアが突き当たりの螺旋階段にシェイラたちを案内する。小声でつづきを問われた。
「ねえ、どうして、殿下がシェイラといるの?」
「イディさんは、わたしのお手伝いです」
「ええ? なにそれ、冗談? ガルバディアにいた時から、殿下はシェイラの周りをくっついて歩いていたじゃない! 絶対にちがうでしょう!」
「その表現、少し失礼では……」
まるで、観賞魚の糞ではないか。
フェノアは小声のつもりらしいが、もとより倍音のかかった声は、蔦状の手摺りを伝って、上から下までよく響く。イディオンにも聞こえているにちがいない。
「あながち、まちがっていないが」
思っていたそばから、イディオンが会話に混ざってくる。無礼千万な表現は気にしていないようだった。
フェノアは調子に乗って振り向く。
「そうですよね? もう直接聞いちゃいますけど、殿下ってば、シェイラのお手伝いとかどうでもよくて、実はただ付いてきただけですよね? シェイラのこと、昔から大好きでしたし」
「フェノア、いい加減にしてくださいよ」
なにが大好きだ。慕われているのはわかっている。そんなことを聞いてどうするのだ。
「いや、ちがう」
ほら、ちがうではないか。
「きちんとシェイラのことは手伝うつもりだ。役に立ちたいと思っている。それに、最後もちがう」
「まあ、そうですの?」
聞いたフェノアが、きょとんとする。
「そんなんじゃない」
イディオンが断言する。
「ええー!」
「フェノア、だめですよ。勝手に決めつけては。イディさんに失礼なんですから」
シェイラは睨みつけながら言った。
自分とイディオンは、そんな関係ではないのだ。
「えー、わたし、この手の勘は外したことないのよ!」
「はいはい。はじめて外れたということですね。魔導師歴五十年以上、お疲れさまでした」
「あら、もっとよ? もっと長いあいだ、外れたことないの!」
「へえ、ちなみに何年くらいですか?」
「……シェイラ、今どさくさに紛れて、わたしの年齢聞き出そうとしているでしょう?」
「なんのことです?」
シェイラとフェノアのやり取りを、イディオンは黙って聞いていた。




