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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第9章:ついてくる少女─前編─

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168話:三年前と今

「え、ですが、なるべく一室にしてほしいと……」


 宿のものが困っているではないか。


「……ねえ、ぼくが昔言ったことを覚えている?」

「はい、全部覚えていますよ?」


 なぜなら、シェイラはたいそう記憶力がいい。


「よかった。じゃあ、もう一度言わせないでほしい」

「どれのことを言ってます?」

「……覚えていても、場面にあった言葉が浮かばなかったら意味がない」

「この場面に合う言葉は、わたしには思い当たりませんが?」


 なにせ、宿の人間が困っている。だから、ふたりで一部屋を使えと言われたのだ。

 イディオンとの過去の会話に思い当たるものはない。


 はあ、とイディオンが大きな溜息をついた。利き手で両目を抑える。


「……ぼくが、何歳になったか計算できる?」 

「十九ですね! 初秋に、二十歳です」

「このあいだ、大きくなったって言ってくれていたよね?」

「はい、それはもう。腹が立つくらいに」


「……そろそろ察してほしい」


 この会話を聞いていた宿の男のほうが、イディオンを不憫に思ったようだった。

 仕方ないから二部屋取ってやると許可が出ると、シェイラは疑問が頭にいっぱい浮かんだ。


「他のお客さんのほうは大丈夫なんでしょうか?」

「知らないよ、他の客のことなんか」


 イディオンは、なぜか子どもの頃に戻ったような拗ねた顔で、案内された部屋の戸をくぐっていった。シェイラももう一方の部屋に荷物を置きにいく。


 すでに夕闇で、鎧戸も窓も閉まっていが、懸崖の部屋だから景色がよいのだという。明日の朝が楽しみだった。

 シェイラは荷物を整理して、長櫃(ながびつ)にしまった。どれくらいかわからないが、しばらく滞在する。色んなものを持ってきていた。寝台のうえで、ぼーっと天井の模様を見る。それから、部屋を出て階段をのぼる。



「イディさん?! なにしているんですか」



 うるさい居酒屋まで顔を上げれば、すでにイディオンがいた。そして、なぜだか樽酒をなみなみと注がれて、樽杯(ジョッキ)を呷っている。酔っぱらいに口笛を吹かれて、呷っている。


 シェイラは、大丈夫であろうか、とおろおろした。


「イディさん、やめましょう。体によくないですよ」

「もう酒くらい飲める」


 イディオンはぶすっとしたまま答える。だが、顔が赤い。これは、よろしくない。


「それはいいんですが、一気飲みはですね……」


「シェイラも、飲めるよね? まさか麦酒(エール)しか飲めないとか?」


「わたしは酔いませんので、なんでもいくらでも飲めます」


「は?」


「正直、味のちがいはよくわからないんですが、いくら飲んでも酔っぱらいませんので、ただの水分補給ですね」


 シェイラが答えたあとのイディオンの行動もよくわからなかった。残ってた酒をさらに呷って、おかわりを注文する。


「顔が赤いのでやめたほうが……」


 言ったそばから、イディオンは突然卓に倒れた。近くの酔っぱらいが、「だらしねえなあ」と品なく笑い飛ばす。


「もう、なにしているんですか」


 世話の焼ける子だ、とシェイラは言いながら、{浮遊}でイディオンの体を浮かすと、階下に下がった。


「失礼しますよ」


 借りた部屋の寝台に、イディオンの体を着地させる。


「……シェイラ」


 つぶやく声にシェイラは瞠目して、それから微笑する。


「仕方がないですねえ」


 失礼します、ともう一度言うと、シェイラはイディオンの手首を取った。腱の張った、しっかりとした手首だった。


 一瞬、手が止まる。

 寸暇を置いて、魔導を発動させる。


({解析})


 青銀の〈導脈〉の河を感じる。(ほとばし)る魔力がよどみなく流れている。眼前にあるような、きれいな魔力の流れだった。辿って離れるようにして、イディオンの内部にある酒精の毒を見つける。

 呪文を唱える。サルオン老師から教わった魔導。この三年でなんとか括り付けたもののひとつ。


 ──{修復}。


 サルオンほどのものではないが、この程度の毒であれば、シェイラでもできるようになった。{修復}はとても便利な魔法だ。こうして、だれかを癒やすことができるのだから。


 イディオンの内部の分解が進むのを感じてから、シェイラは手を離した。つかんだ腕を敷布の下に入れて、隠すようにする。


「……おやすみなさい、イディさん」


 滞在する客室に戻った。寝台に横になりながら、ほんのわずかに、指先にふれていた感覚を見つめる。


「ほんとに、大きくなったんですね……」


 シェイラの知らない手だった。

 見つめているうちに、気づけば体の力がゆるんで、すうっと眠りについていた。


 そうして、今朝だった。


 まだ、シェイラは、イディオンがいることに慣れていなかった。昨日、勝手にふれてしまった感覚を思い出しながら、表情を確認すると、昨夜の顔の赤さは残っていなかった。{修復}が効いたのだとわかる。



「──ぼくも、まだシェイラの存在に慣れない」



 イディオンは、シェイラにそう笑いかけた。笑い方が昔と一緒だった。この青年が、あの三年前の少年だとわかる笑みだった。

 それから、気まずそうにシェイラのほうを窺う仕草も、一緒だった。


「あのさ……もしかして、ぼく、昨日の夜、倒れた……?」


 なんだかそれは、ほっとした。シェイラは、数年前の感じを思い出して、からかうように伝える。


「はい。仕方ないので、{浮遊}でぷかーっと運びました」

「うっ」


 致死毒を飲んだような声がする。


「もう。大きくなったからって、お酒の一気飲みはだめですよ? 体によくありません」

「…………最悪だ」


「イディさん、お酒にあまり強くない体質みたいですね。これからは、飲みすぎないように」

「……はい」


「調子に乗ったらだめなんですからね?」

「……はい」


「ちなみに、今から、日課の瞑想をしようと思っていました。イディさんも、しますか?」

「……うん」


 シェイラが問うと、イディオンの声はしょんぼりと項垂れていて、笑い出しそうになった。声は低くなったし、背も伸びた。だけど、そこにはちゃんとシェイラの知るイディオンがいて、おかしくてたまらなかった。


 そうして、ふたりで、瞑想をはじめた。

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