167話:宿探し
モルリオールに着いてすぐ、シェイラはイディオンとともに長期滞在場所となる宿を探した。
「前みたいに大学府に居を置かないのか?」
イディオンが尋ねる。
シェイラは首を振った。
「以前は、曜日ごとに訪れる場所がちがいましたから、都の大学府を仮宿としましたが、今回はしばらく同じ街に滞在するので」
「学院の部屋は? 空いている寮の部屋や、来客用の部屋もあるはずだが? まじないが蔓延っているから、避けるということか?」
ぽんぽん飛んでくる質問は、なんだか懐かしい。三年前を思い出す。
シェイラは石畳を踏みしめながら、顔がにやつくのを止められない。
「そうですね、おまじないが蔓延する場所を避けるというのもあります」
「他には?」
シェイラは片手で荷物を持ちながら、口元を抑える。探究心のあるイディオンからの質問は、いつも心が躍るようであった。
「──移ろいを感じたくて」
シェイラは、長靴の爪先を蹴ると、くるっと浮かび上がった。イディオンの目線に合わせる。
「移ろいを感じたいんです」
イディオンが、シェイラを見た。縹色の奥が、はっとしていた。
「覚えて……いますか?」
シェイラは、ほんの少し試すように、小首をかしげた。三年前の話を覚えているか、と。
すぐに返答がある。
「ああ、覚えている」
「よかったです」
シェイラは少し、ほっとする。
「あなたと話したことは忘れない」
「……よかった」
シェイラは、イディオンの返答に満足だった。
前を向いて、浮かびながら、ぽつぽつと話す。
「最近はいろんな街を訪れる時、その街の景色と、人がよく見える宿に滞在するようにしているんです」
「…………」
「そうすると、いろんな移ろいを感じられます。石だらけの大学府の塔や、研究室にいる時よりも感じられることがあって、とても楽しいんです。心が豊かになって、人生が輝いているように思えるんです」
少しだけ、感傷が入っているかもしれない。
イディオンには、いろいろなことを知られてしまっている。だから、いつもは語らないことを話しているのかもしれなかった。
「旅での、ちょっとした楽しみなんです」
「……そうか」
シェイラが言うと、応答はさっきと同様にはやかった。
「一番景色のいい宿を探そう」
そう言うと、イディオンは、シェイラの隣にやって来る。
「せっかくだから、ぼくもシェイラの感じる移ろいを一緒に楽しみたい」
イディオンは、笑う。
「……はい」
一瞬、浮かぶ足が止まる。半歩遅れて、青年のあとを追った。
それからイディオンは、せっせと宿を探した。高台となっている公館を軸にしながら、モルリオールの街並みを歩き回って、四方八方を見て、一番よい立地にある宿屋を探す。
「イディさん、もうこの辺りでよいですよ?」
気づけば、まもなく夕方の鐘の音が鳴る頃であった。通りがかった商店街では、濃緑の鎧戸を閉めはじめている。
「だめだよ」
イディオンは拒否した。三年前と同じように手を顎に当てながら、なにかを考えている。
「だめと言われましても……わたしがいいって言っているんですよ?」
「だめだよ。妥協したら」
イディオンは坂道を見上げる。それから前に進む。
「妥協も大事ですって」
「だめだ、絶対に」
縹色は振り返る。夕闇に、青銀が光っていた。
「これは、シェイラの楽しみなんだろう?」
「そうですけれど、ちょっとした楽しみですから……」
「それでも大事な楽しみだ。思い出になる、楽しみだ」
イディオンは断言した。
「だから、ぼくは妥協しない」
言って、坂道をさっさと行ってしまった。背が伸びたから、一歩が大きい。シェイラの小柄な体ではすぐにイディオンに追いつけない。
シェイラの足はまた、止まる。今度は、数秒止まって、それから歩みを再開する。
(相変わらず……やさしい方ですね)
シェイラは、胸元の青銀石をつかむ。ぎゅっとすると、滲み出るものがあった。
そこから歩みを再開すると、魔法は使わずに、イディオンの背を追った。
そうして見つけた宿は、湾曲する川沿いの、坂道沿いにある宿だった。
風琴亭。
吊り看板のある宿は、懸崖建築だった。一階が居酒屋兼食事処で、二階に宿泊者用の部屋が用意されている。そこまでは、よくある宿だった。
「長期宿泊者用に、下の階があるらしい」
「ほんとうですか?」
掃き清められたはずの三和土には、すでに酒やら食べかすが散っているほどうるさかったが、イディオンの声は、余韻があるのでよく通る。
「姉ちゃん、兄ちゃんの連れか?」
食事を給仕する長台だった。イディオンは、そこでシェイラより先んじて、宿の人間とやり取りしていた。
シェイラがこくりと肯くと、額に布を巻いた男が楽しそうに火傷痕がいっぱいの手で膝を打つ。
「なんだ! そしたら二部屋いらねえじゃんか。部屋は一室だな! 他にも長期滞在の申し込みがあるから、できれば一部屋にしてもらいたかったんだ。いいよな?」
「わかりました!」
「よくない!」
シェイラが元気に返事をすると、イディオンが遮った。
とんでもない形相で睨まれる。
「なに言っているの、シェイラ」




