163話:会談(2)
「なのに……」
その日、アノンが学園に登校していないということを、シェイラは教室を訪れてはじめて知った。午後だった。担任教師から聞いて、知ったのだ。
朝のうちに、教導館の庶務員に、欠席の確認をしてほしいと伝えたと言うのだが、庶務員のほうが対応するのを忘れていた。担任教師も体調不良の休みだと思い込んでいた。
それが、仇となった。
アノンの変わり果てた姿を見つけたのは、シェイラだった。
教師たちの忙しさから、わたしが確認をしに行きますと買って出た。熱を出していたら、母のほうも大変であろうと思ってのことだった。
はじめシェイラは、それが人間で、子どもで、アノンであることを、理解できなかった。
──アノンは、〈導脈〉を取り出すためにそうされたように、ずたずたになっていた。
血と、飛び散った内臓のにおい。夏の暑さ。オルトヴィア共和国の南部で、すでに腐敗がはじまっていた。霧よりもひどいにおいだったが、それ以上にシェイラは残った魔術の気配に、視界が怒りで真っ赤に染まった。
呪術の気配。〈気高き魔女の騎士団〉。
その後、シェイラはどうやってそこまで辿り着いたのかわからない。意識がはっきりと戻ったのは、臙脂色の長外套の男に、{自白}を行使し、さらに〈命脈〉の負担を無視した呪術を用いて、痛めつけている最中だった。
間もなく死ぬだけの男は最後にこう言った。
──団長が選んだ、尊い供物のひとつだ、と。
そうして、臙脂色の長外套に焼かれて、男は燃え滓となった。
アノンの母は、自殺した。
アノンが殺されたのはちょうど登校時刻から一時間目のあいだで、早朝から仕事のアノンの母は、自分が仕事にさえ行かなければ、と悔やんで、自害してしまった。
シェイラは、〈命脈〉に負担のかかる呪術を用いたせいで意識を失い、アノンの母の死を目覚めてから知った。
寿命が削られたことよりも、心がばらばらになってしまいそうな事件だった。
シェイラは自分を取り戻すのに一月を要し、そうして決心した。
──子どもたちを、救う。
アノンのような犠牲はもう、出さない。
そのためであれば、残り少ない寿命を削ってでも魔導を行使し、必ず子どもたちを救う。
強い決心と理由だった。シェイラはそこから、三つの魔術を自らの魔導呪法に括り付けた。その過程でさらに寿命を縮めた。悔いは一切なかった。透徹とした意志があるということは、これほどまで魔法を安定させるのだと、ガザンの教えの理由がわかるほどだった。
シェイラはそう言った話の概要を、イディオンたちにかいつまんで説明し終えた。ヴィクトルや、他国よりも多くを語った。おそらく、シェイラの感情も届いたであろう。
ムディアンは悲壮な顔になり、イディオンは表情を変えず、黙っていた。左手を顎にやる。思考する癖は、大きくなっても変わっていないようだった。
「──ですから……」
シェイラは言葉を区切る。
「協力者を求めています」
この二年、ガザンの協力はあれど、ひとりだった。
だが、魔女の騎士はその事件以降、シェイラの網の目に引っかからなかった。そうしているうちに、大占卜師の詠み詩が早々にヴェッセンダリアに届いた。
詩に綴られていた文言に、シェイラは心ノ臓が凍りつくかと思った。
されど忘るるな──
魔女の集いを
子らの声を
賤しめらるる者の声を
血に沈む師と子
十二の力
竜を呼ぶ
まるで、アノンの事件のことを示しているようではないか、と。
この事件は、〈霧の厄禍〉に影響する可能性がある。シェイラはガザンとオモノンに申し出た。そのために調査をしたい、と。
許可はすぐに下りた。
だが、星詠みの詩には、サージェシア大陸のどこで起きる事件なのか、だれが標的となっているのかわからない。二年のあいだ、シェイラの網にも引っかからない。
ならば、そもそも事件の全容をあきらかにする必要がある。そのための情報と、情報を集める者、思考を働かせる者、動く者、多くの協力が必要だった。その協力を得ることが、シェイラがこうして会談に時間を儲けてもらった理由だった。
聞き終えたムディアンは、顔を歪めつつも、無言だった。痛苦をあらわにしつつも、芳しいものではない。これまでに会談を終えた代表者たちと同じ表情をしていた。
──理由はわかった。調査の必要性もわかった。だが、期限が限られているなかで、助けられるのか助けられないのかわからない人間のために国としてできることとは……
ムディアンの表情は、ヴィクトルが明確に語った理由と同じものを浮かべていた。
シェイラのなかで、諦念、そして、焦燥がもたげる。
(ムディアン殿下に拒否されてしまえば……)
あとはもう、ヴィクトルから得られる情報しか頼りにできるものはない。ガルバディアとの会談が最後だったのだ。切れる札が尽きてしまう。
袋小路にはまったように、シェイラは行き詰まる。
「──わかった」
イディオンの声を、随分と久々に聞いた気がした。会談終わり、残り五分もない時間が経過していたが、後半、シェイラの語りにイディオンは一切口を挟まずに聞いていた。
沈んだ気持ちのまま、イディオンを見やる。
縹色の目には、強い〈導脈〉の青銀色が浮かんでいた。
胸元の石をつかむ。無意識だった。
「ぼくが行く」
柳弦の音が、詠嘆と響く。
「ぼくが、あなたに協力する」
イディオンは、そう、明確に宣言した。




