162話:会談(1)
シェイラとイディオンは、交わす言葉をまとめられずにその日は別れた。翌日、すぐに会うことになっていたというのも大きい。智と書架の国ヴェッセンダリアと、ガルバディア魔法王国の正式な会談が予定されていたのだ。
オモノン師とガザン師に付き従っていたシェイラは、これまでの会談同様に、主たる話題については口を出さずに黙していた。
オモノン師ほど〈魔導霧〉に詳しいものはいなかったし、ガザン師ほど{拡張}の魔術を応用した探知に関する知識はない。シェイラの出番はなかった。
対するガルバディア側は、王太子であるムディアンが話の中心であったが、イディオンもまた、弟が焦点を当てきれない議題を補助するように、問いを立てながら話題に混じっていた。あくまで主はムディアンで、補佐に徹している振る舞いはさすがであった。
その振る舞いを見ると思うことがある。
(イディさんは、もう魔法が使えます)
それどころか、魔導師に叙されるほどの魔法を用いる。昨日の戦闘は見事としか言いようがなかった。動き方や反応速度が尋常ではなかった。
実践を積んでいる動き。
この三年でなにをしてきたのだ、と問いただしたくてたまらなくなった。
三年前、グシェアネス女王は、イディオンはガルバディアの王の器ではないと言っていた。
果たして、今もそうなのだろうか。
無論、立太子したからにはムディアンを簡単に廃太子することはできない。だが、魔法の実力者であることが求められるこの大陸において、イディオンをただの王子として据えおくのは疑義が残る。
ムディアンとイディオンのあり方を目にしながら、シェイラはそんなことを考えていた。
「──そうしたら、あとはシェイラからね。残りの時間、好きにしなさい」
おおよそのことが着地し終えたのち、他国と同様、シェイラに話題が回ってきた。三十分。話し切ることが十分に可能な時間が残っていた。
シェイラは、ムディアンたちに目礼をして、断りを入れる。
「──〈霧の厄禍〉の近づくこのような折にご相談することではないとわかりつつも、今回は師であるガザン老師にも許可をいただいたうえで、述べさせていただきます」
ムディアンとイディオンが肯く。
面識のあるふたりは、これまで対話した各国よりも、明朗な表情で、シェイラとしても安心して話を切り出すことができた。
「ご相談、というのは、わたしの調査に協力できる人材を確保いただけないか、という話です」
「どのような調査でしょうか」
ムディアンが尋ねる。
石壁から射し込む韶光は明るかったが、部屋全体を照らすには光が足りない。シェイラの視線は、隅の暗がりのほうに向いた。
「──よからぬことを企む者たちの目的を明らかにすることです。これ以上の犠牲を食い止めるための、調査です」
「犠牲?」
イディオンが秀眉を寄せる。
シェイラは、暗がりが潮騒となって、自分の胸の裡に打ち寄せるのを感じて、まぶたを下ろす。
「子どもが……犠牲になったのです」
眼瞼に、明るく眩しい笑顔が映った。まだ少年で、これからが開けるはずの人生だった。
「アノン、という男の子でした。オルトヴィア共和国の、貧しい家に育った子で……」
笑顔と同じくらい眩しいほどの金髪と碧眼。
二年前にアノンと出会った時、シェイラは運命だと思った。この子の困りと願いに、シェイラであれば助力ができると思った。
目を開けて、イディオンを見る。
「……同じ、〈限局症〉だったのです」
だれ、とは言わなかった。けれど、その単語を聞くと、縹の双眸がわずかに見開かれる。
「まったく同じ……というわけではありませんでしたが、文字の読みの難しさからの、書きの困難のある子でした。そのために、文学の授業でとても苦労していて……」
アノンは荒れていた。ユートのことも思い出したが、彼以上に荒れていた。読めない苦しみ、書けないつらさ。そういういらだちをどうすればよいのかわからず、学環で、人や物に当たり散らしているところを、たまたまオルトヴィアに滞在していたシェイラが訪れた。
少年の姿が、出会ったばかりのイディオンに似ていて、シェイラはどうしても見逃すことができなかった。
「触読を試したのです。粘土板に刻んで試して……それが本人に合っていて、今度は魔導書を作ってみたのです。写本のようにしながら、字は共通文字ではなく、触字という、さわるための文字を試しました。そうしたら、アノンさんはどんどん覚えられるようになって、呪文も獲得ができるようになりました。生活魔術の簡単な呪文{操作}を獲得できた時、あの子はほんとうにうれしそうでした。〈導脈〉も制御できるようになって、これからだったんです」
シェイラ師、と呼ばうアノンの高い声が耳の奥で聞こえる。
「{操作}ができたんだよ!」
「ほんとうですか、アノンさん!」
シェイラも喜んだ。うれしかった。あの、紙吹雪を思い出した。
「これで、母ちゃんの手伝いができるよ!」
アノンの母は、〈導脈〉の魔力が弱く、体を酷使するような底辺と呼ばれるような仕事に就いていた。
生活魔術という、魔力を大きく必要としない魔術系統を主とするオルトヴィア共和国であっても、魔力の少ない庶民は、そういう憂き目を見ることが多かった。
そうして長年の無理が祟って、体がうまく動かない母を助けられるような魔法が使えるようになりたいと、アノンはずっと話していた。
家族思いのやさしい子だったのだ。




