161話:三年の成果
イディオンは少し不機嫌そうにしていたが、考えているうちになにかべつのことに思い至ったらしい。急にはっとして、真剣な目でシェイラを見た。
「ひとつ聞きたい」
「はい、なんですか?」
シェイラは楽しい気分のまま浮かびつづけていたので、ふわりとしながらイディオンを見る。
「──その成果と、あなたの寿命が二年になったのは関係しているのか?」
シェイラは青金色の双眸を見開いた。
(なぜ……)
なぜ、それをイディオンが知っている。
二年になってしまったのは、シェイラとガザン、それからサルオンしか知らないことのはずだ。
(……まさか)
ガザンだ。
シェイラはすぐに理解に至る。
イディオンになんて説明すればよいのか迷った。だが、真剣な縹色は、シェイラの真実を問うていた。
致し方ない。
「……半分関係します。でも、もう半分は──」
返事をしている時、ふっと、風に漂うあまい香りがシェイラの鼻腔をついた。
肌が、粟立つ。経験で得た感覚が、シェイラの体を瞬時に動かした。
突風が、吹きつける。同時に、霧のいやなあまいにおいがたちこめる。
(春霞の影響でしょうか)
{防護}を描く。近隣の家々に張ると、もう一度はやい突風が、シェイラとイディオンのあいだを抜けるように過ぎ去っていく。
「イディさんっ!」
このはやさ。風。まちがいなく、〈姑悪〉だ。
シェイラは数年前の記憶が思い浮かんで、咄嗟に叫んだ。
また怪我をしてしまう。〈蟲〉にやられてしまう。
そういう恐怖からだった。
「──問題ない」
シェイラが叫ぶよりも、はやかったかもしれない。
抜けていった風に微動だにせず、イディオンは上空に抜けていった影を一瞥する。
「ぼくの射程だ」
刹那のうちに起きたできごとを、シェイラはすべて視認できなかった。
もう一度、影が──〈姑悪〉がシェイラたちのほうに下りてくる。そこまでは見た。
だが、つづくイディオンの反応をうまく捉えられなかった。
円環、だろうか。魔法円を外周に圧縮したような小さな円環。
それが、イディオンの頭頂部近くに一瞬で現れて、閃光を放った。一筋の線のような、青銀の閃光。矢のようなはやさ。
光が、〈姑悪〉を撃ち抜いていた。一瞬で雲散する。
シェイラのなかで驚愕が広がって、イディオンの横顔を見やる。
「いつかのお返しだよ」
ぼそっと、イディオンはつぶやく。
「まだいる」
イディオンが上空へと飛び立った。特に{浮遊}なども描いていないのに、ひらりと長外套の裾をはためかせながら飛ぶ。
そこで、遅ればせながら、蟲の襲来を告げる鐘が轟いた。
騒ぎになる坂道街に{防護}を張ったまま、シェイラは翅を開いて、イディオンのあとを追う。
山の頂きより上ではじまっていたのは、一方的な駆除のようであった。
イディオンの周囲にいくつも浮かんだ円環が、そのたびごとに青銀の閃光を放って、〈姑悪〉の群れを片っ端から撃ち抜いていく。
シェイラは呆気に取られて、なにもできなかった。する必要もなかった。
まもなくして、群れが壊滅する。
「イディさん……」
「どう? ぼくは強くなっただろう?」
言葉を失って、イディオンの名を呼べば、爽快な笑みが返ってきた。弟のムディアンにも、母女王にも似た笑みだった。
(強くなったもなにも……)
シェイラはなにを言えばいいのかわからず、翅で浮いたままになる。
一瞬のうちに聞きたいことが山程できてしまった。脱力のようなものを覚えつつ、シェイラはその成長に小躍りしたくなった。
自分の見る目はまちがいではなかった、と。
別れ際に言ったように、イディオンの姿が、シェイラの自尊心を満たしてくれるようだった。
純粋な喜悦。
だから、シェイラは、残り遠くに{拡張}した感覚で蟲の気配を捉えながら、今度はシェイラの力を見せつけてやろうと思った。
この三年で成長したのはあなただけではない。
イディオンに、不敵な笑みを向ける。呪文をつぶやく。連関した指輪にはじまり、シェイラの足元に陣が浮かび上がる。
──{召喚}。
種の名を、呼ぶ。
「──{アバンダス}」
その獣が出てくる大きさの魔法陣が縦に描かれた瞬間、突き破るようにして大型の狼が出てきた。
魔獣の一種。黎明のたてがみを持つ、天駆ける銀狼。
オルリア召喚魔術と、モルベンドの使役魔術の組み合わせ技。新しくシェイラが括り付けた魔法。
アバンダスは、シャドゥーラの森に住まう一二を争う、凶悪な獣。その魔性を叩き折り、使役した。シェイラに与する魔獣。
遠くに視認できるようになった、もうひとつの〈姑悪〉の群れを、アバンダスは喰い荒らしにいった。花紺青の足跡が空に浮かぶ。
遠目にもあっという間に、銀狼の牙に霧の喀血を見せる〈姑悪〉らが見える。
シェイラが悠然とそれを見終えて、{召喚}が解除されると、隣にイディオンがやって来た。
苦笑が浮かんでいる。
「あなたも、たいがいだ」
それが、シェイラとイディオンの、初の共闘だった。




