160話:星都の夜
シェイラは、夢心地のまま、春宵に沈む星ノ館の城壁外へ出た。
「せっかくだから、イディオン王子と外にいってらっしゃい」
なにが、せっかくなのだろう。
ガザンに背中を押されるまま、城壁から見える坂道街をくだる。
山肌を削った店や家屋、宿屋を兼ねた酒場が並んでいた。松明や宵燈の灯りが揺らめき、乾酪と馬鈴薯のにおいが、竪琴や横笛など、軽快な音楽とともに漏れてくる。
大陸会議開催で、星都登攀は制限されているが、各国の代表たちが連れ歩いている使用人や護衛に加えて、住民たちが騒がしくしているのだろう。アベル織の日除けが張られた家々は、どこも活気にあふれていた。
シェイラはとぼとぼと歩きながら、ぼうっと夜空を見上げる。
この数日でいろんなことがありすぎて、どこか足元が覚束ない。数年のあいだに蓄積したものが晴れたわけではなかったけれど、さきほどの叙任式を経験してしまうと、実はなかったのではないかと思ってしまう。
「なにを考えているの?」
シェイラがずっと黙っていたからだろう。
後ろから声がかかる。振り向くと、イディオンの顔がうえのほうにあって、違和感を覚えた。まだ全然慣れる気がしなかった。
ちらっと確認をして前を向いて答える。
「いえ、ここ数年のことを……」
「それは気になる」
イディオンは言うと、ぐっと一歩踏み出して、シェイラの横に並ぶ。
「教えて。聞きたい」
イディオンは、にっと笑う。
その笑い方も、シェイラはどことなく慣れなかった。
慣れないけれど、いい笑みだ。数年前の、寂しさと虚ろさ、そして自信のなさをたたえた笑みよりも、ずっといい笑みだった。
自分のまじないが効いただろうか。
イディオンが、あげた手甲をどちらもはめてくれているのを確認している。使ってもらえているようで、心がくすぐられるような気持ちになった。
「話すと、きりがないですよ?」
シェイラは、長靴の爪先を蹴って、ふわっと浮き上がる。靴底に{浮遊}を施してある。爪先を蹴ると、{導線}の{始点}を踏むことで、発動する。
頭ひとつ半は、話しづらくてたまらない。
「どうして、浮くんだ?」
すかさず、イディオンに訊かれる。
「……話しづらいので」
シェイラは、むっとする。
三年前まではシェイラより小さくてかわいかったのに、この成長だけはほんとうにいただけない。
「ぼくは大丈夫だよ」
背が高いほうが困らないのは知っている。
「声が届きにくいんです」
「シェイラの声はよく聞こえる」
「わたしが通っているのか不安になるんです」
「ぼくの声は?」
「聞こえます」
「じゃあ、浮かなくてもいいんじゃない?」
「……首が痛くなるんです」
見上げる痛さがわかるだろうか。
「ああ……」
だが、すぐに得心したように相槌があった。
「たしかに」
イディオンは肯く。成長する前のことを思い出しているらしい。
わかったか、とシェイラは憤慨まじりに言ってやりたくなった。
けれど、イディオンのほうは、けろっとした顔で尋ねた。
「どっちがいい?」
「どっち……?」
なにを訊かれているのかわからず、首をかしげる。
「座って話すのと、このまま歩きながら話すの、どちらがいい?」
シェイラは、浮きながら立ち止まる。
「どちらのほうが話しやすい?」
なぜだか、ヴィクトルとの一昔前のできごとが再現されている気がした。
あの時は気づかいがうれしくてたまらなくて、大切にされていることがわかって舞い上がるような少女だった。
(でも、今は……)
「……このまま、話したいです」
「わかった」
イディオンは納得して、少し先を進む。
シェイラは浮いたまま、止まったまま、自分の心を覗き込む。
(わたしの意志を確認するんですね)
くすぐられたような感じが、また浮かび上がる。首筋に手を当てて、浮かび上がったものにそっとふれるようにした。
居心地のよい沈黙が訪れる。
「──シェイラは、三年間なにしていたの?」
イディオンは隣に戻ってきたシェイラに訊く。
「語り尽くせませんよ。もちろん、自分の魔導の研究が中心でしたが」
「どんな研究?」
「色んな系統の魔術を、わたしの魔導に括り付ける研究です」
「へえ。もとからいろいろできていただろう? あまり困っているようには見えなかったが」
「そうですね。まあ、どこまでできるか挑戦というか……趣味というか……、そんな感じです。実は三つ成功したんですよ?」
えへへ、とシェイラは笑う。
これはちょっと自慢だった。うまくいった時、飛び跳ねるくらいうれしかった。
魔法って楽しい。
成功した時に純粋にそう喜べたのは、イディオンとの成功があったからだった。
「それはすごい」
シェイラの喜びが伝わったらしい。
イディオンが柔和に笑んだ。だがすぐに、顔がしかめられる。
「それで準師?」
「はい?」
「その成果で、導師から準師になったのか?」
「はい、そうです。なかなか褒めていただけました」
シェイラが得意げに言うと、イディオンは頭を抱えた。
「……せっかく追いついたと思ったのに」
つづけられたつぶやきに、シェイラは笑いが込み上げてきた。おかしくなって口元を抑える。
「なに笑っているの」
イディオンに横からぎろっと睨まれる。
「追いつきたかったんですね」
「笑わないでよ」
「向上心があって素晴らしいです」
「上から目線だ」
「いえいえ、ご立派で」
「やめろ」
「すごいですよ、イディさん。すごいえらい」
「子ども扱いするな」
シェイラは口元を抑えるのをやめた。声を出して笑う。
懐かしいようで、新鮮なやり取りだった。昔は「すごいすごい」と言うだけでうれしそうに顔を赤らめていたのに、今は心底いやそうな顔をしている。
成長と変化はシェイラを置いてきぼりにするように感じてしまうことが多かったけれど、今はただ、弾みが胸にあった。
(師匠に感謝です)
こんな機会をくれて。




