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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第8章:長じた王子

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159話:魔導師叙任式

「ほんとうにわたしがやるんですか?」


 シェイラは、ガザンの背を追いかけながら、尋ねた。長靴の音が石積の床に反響する。

 これから、魔導師の叙任式を行う手筈となっていた。星ノ館にある星霜の間という魔導師アベルの由緒ある場所を借りているのだという。


「そうよ。叙任の祝詞(しゅくし)は覚えているわね?」

「はい、それは問題ないです」

「じゃあ、大丈夫よ。ただ言えばいいだけなんだから」


 ガザンは緋色の瞳に楽しそうな笑みをたたえる。


(これはなにか企んでいる顔ですよ)


 弟子歴七年。さすがに、この老女がなにか意図している時はわかるようになってきた。

 やけに楽しそうに、にこにこと笑うのだ。二百年ないし三百年生きている魔導師であるのに、人生一番の楽しみを見つけたと言わんばかりの笑顔を浮かべる。


 不気味だった。


 シェイラたちが、星霜の間に辿り着けば、灰色の星詠みたちは静々と観音開きの戸を開く。

 岩戸とも言える扉は、がごんっと重々しい音を立てて開かれる。人力に対して重さが釣り合わないので、{導線}が引かれて開く仕組みになっているのかもしれない。



 くぐれば、そこは美しい群青の広がる空間だった。



 天井の紺青、きらめく金銀の星々。柱には瑠璃の塗装。柱頭飾(キャピタル)は、薄雪草と唐草が文様を描く。いくつもの交叉する迫持(アーチ)の梁は、彩鉛玻璃(ステンドグラス)の嵌まる狭間飾り(トレーサリー)を輝かせて、夜空の間となっていた。


 シェイラはうっそりと足を踏み入れる。鉄紺の水紋石に、シェイラの踵が音を立てて、波紋を作るようであった。



「シェイラ?」



 先客がいた。

 それがイディオンであることを理解するのに、シェイラは数秒かかる。背格好も声も異なるので、記憶との差を埋めるのにまだ時間がかかった。


「イディさん……?」


 隣には、ムディアンや付き人たち。


「あら、もう来てたのね。そうしたら、さっさとはじめてしまいましょうか」


 シェイラの横を、すっとガザンが過ぎていった。そのままつかつかと歩いて、イディオンの前で止まる。



「──イディオン王子の叙任式を」


「……へ?」



 ガザンの老獪な笑みに、シェイラは変な声が出た。

 自分でも間抜けな顔をしているのがわかる。


「イディさんの……叙任式?」


 シェイラの表情に、イディオンが、聞いていなかったのか、という顔をした。

 ガザンを見て、目配せを受ける。縹色の目を見開く。それから、心得たように、にやっと笑う。あまり見たことのない笑みだった。


「そう。ぼくの」

「……イディさんの」

「そうだよ。先々月、魔導師として認められた」

「魔導師として……」


 シェイラは、再会した時と同様に、ぽかんとする。



「うん。──〈表象魔導〉。それが、ぼくが叙任を受けることになった魔導だ」


「表象、魔導……」



 うん、ともう一度肯かれる。



「あなたが導いてくれた魔法だよ」



 言われてほほ笑まれると、シェイラは、じわっと再会した時と同じように、目からなにかこぼれ落ちそうになった。この場がどこで、今がどんな時かわかっていなければ、ぼろぼろとこぼしていたにちがいない。

 それくらい、あふれる気持ちがあった。下唇を噛んで、たえる。


「……そう、ですか」


 やっと現実を認める。


「うん」


 肯かれて、シェイラは浮かんだものを長外套(ローブ)の袖で少し拭った。

 顔を上げて、笑みを浮かべる。


「ほんとうに立派になられましたね」


 再会した時と同じ気持ちが去来する。


 こんなことがあっていいのだろうか、と。


 シェイラは信じられない奇跡に遭遇している気がする。



(だから、師匠は……)


 自分に叙任をさせる機会をくれたのだ。



 イディオンの隣で、祖母のようにほほ笑むガザンに、胸の衝かれるほどありがたさを感じた。


「それじゃあ、はじめましょうか」


 ガザンは言うと指揮を取った。


「ほら、王子も立ったままでいないで、中央に進んで」


 ガザンは、容赦なくガルバディアの王子の背中をばんばん叩いて、ぼうっと足を止めていたイディオンを水紋石の床中央に導く。


 魔法円のような模様が描かれた鉄紺の水紋石は、その実ほんとうに発動する魔法陣に他ならなかったが、叙任の陣は異なる。今は飾りでしかない。

 シェイラもまた中央に向かい合うように足を運ぶ。


「え」


 今度は、イディオンが驚く番だった。ガザン老師の最後の種明かしだ。

 シェイラは満面の笑みを浮かべる。


「──では、イディオン殿下の魔導師叙任を、わたくし、準師シェイラータが執り行います」


「……準師?」

「そうです」

「昇格したの?」

「はい、割と最近」

「そう、なんだ……」


 さっきとは逆の、事実をたしかめるやり取りに、イディオンはそのことをはじめて知ったように、なぜだか落ち込んだように肩を落とす。

 ぼそっと、なにかをつぶやく。


「はじめていいですか?」


 シェイラが呑気に小首をかしげれば、イディオンはげんなりした顔を一瞬で切り替えた。


「お願いする」


 縹色にしっかりと肯かれれば、シェイラもまた瑠璃の色に輝きを浮かべる。


 そうして、祝詞を詠唱しはじめた。



「──元素のはじまりより……」


  〈法〉は礎、

  〈術〉は守株を破りて、

  離れし先に、〈導〉とならん。



 シェイラの詠ずる呪文が鍵となったようだった。巨大な魔法陣が風を起こしながら、銀ブナの放つ光のように輝く。

 古代帝国文字が躍るように浮かぶ。



「──汝は此れより、真理を求める者。

 汝は此れより、力を振るう者なり」


  星々の理を()り、

  大地の脈動を受け継ぎ、

  知を剣とし、術を盾とせよ。


  学びを怠らず、虚偽を退け、

  知の炎を絶やすことなく燃やしつづけよ。


  汝は戦場にあっては勇を示し、

  学府にあっては智を深める者であれ。


  学びし者は常に真理を抱くと心せよ。


  知と武は二にして一、

  叡智なき力は暴であり、力なき叡智は虚なり。



 シェイラは、すうっと息を吸う。


 はためく長外套(ローブ)、ひしめく陣、銀鈴の煌めきに、{浮遊}なくして、宙を浮揚する。

 対するイディオンも、浮いていた。瞠目し、巻き起きる風に呑まれるままになる。


 シェイラは、そんなイディオンに手を伸ばす。



「ここに、準師シェイラータの名において──」



 自分の〈命脈〉から銀の魔力が、霞文様を描くように、指先から流れるのがわかる。



「──位を授け、汝を魔導師の列に迎え入れる」



 銀の流れがシェイラからイディオンへ。

 叢雲(むらくも)のように、まとわりつく。


 イディオンは、シェイラから受け取るようにして、手甲のはまった手を伸ばした。



「──闇よりはじまりし大地と星辰、古き叡智にかけて誓う。

 我、イディオン。祖には、元素の魔導師ガルバーン」




 流浪の詩人が奏でる柳弦(リュート)の音のようであった。

 低めの中低音が、楽譜を奏でるように、詩を詠嘆と寿ぐように、紡いでいく。



  我は真理を求める徒として、

  学びを怠らず、知を歪めぬことを。


  我は戦場において、

  この学を剣となし、術を盾とし護ることを。

 

  我は学府において、

  智を深め、学びし者を導くことを。



 イディオンの指先からもまた、青銀の輝きが支流をくだるように流れ出た。シェイラの銀色と混ざり合い、渦紋を描き、輝きを増す。



「この叡智、この力、この命を、世界の秩序と安寧のために捧げる──」



 指先が、魔力とともに、ふれあった。

 銀光が増す。



「──準師シェイラータ、あなたに」



 ぱんっ、と弾けるようだった。


 弾けるようにして、星霜の間全体に、雪原が投影される。


 シェイラは、息を呑んだ。


 いつか見た光景。入り込んだ風景。広大な雪原と針葉樹林。澄んだ空気の香りが満ちる。

 イディオンの心象世界が現実に映し出されたようになって、またたくうちに消えていく。


 もう一度、ぱんっ、と弾けた。


 青銀(せいぎん)が、たっぷりと銀を吸い込んで、白縹(しろはなだ)となって天井から細かく降り落ちる。

 消え失せた風景から、雪片だけが残って舞っているようだった。


 イディオンの魔導師叙任は、そうして美しい光景のうちに幕を下ろした。

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