158話:ヴィクトルの三年
ヴィクトルからも断じられて、シェイラは、重たい吐息がこぼれそうになった。なんとかこらえて、尋ねる。
「……理由をうかがってもよろしいでしょうか」
「厄禍の訪れが一年半後と言われている以上、どうしても時間や人などはそちらのための設備防衛に当てられることが優先される。防衛手段を強固にすることで、必ず守れる命があるためだ」
「はい」
「だが、準師が不安視するものについては、あくまで可能性によるものであって、守れる命があるのか判然としない。それゆえ、期日と資源が限られるなかで、そのための人員を割くことは難しい」
どこの国にも言われたことだ。まず、確実に、助けられる命を優先する。
ヴィクトルもそう言っていた。
シェイラは、石卓の下で長外套の裾を強く握る。
「……ただ、たしかに気になることではある。星辰下の詞にも含まれることだしな」
言い切ったものの、ヴィクトルは前のめりに腕を組みながら肘を突いた。紅い眼光がこの場ではじめてゆるめられ、少しのおだやかさを垣間見る。
黙考があった。
しばらくして顔が上がると、父ロゼイユ公をちらっと見てから、シェイラに視線を戻す。
「人を割くことはできないが、こちらで集めた情報のなかに、シェイラータ師に有益そうなものを渡そう。情報のみでよければ、定期的にこちらで集まった情報を渡してもいい」
ぱっと、シェイラは瑠璃の目をまたたいた。
他の国からはよい反応をもらえていなかったので、欣然と笑みがこぼれる。
「ほんとうでございますか……!」
「……ああ。今後、ロゼイユ公からそなたに連絡を取らせよう」
ヴィクトルが、はじめてやわらかに目笑する。
シェイラの知っているヴィクトルだった。顔が紅くなりそうになって、どういった場だったかを思い出し、鼓動から離れるように頭を下げる。
「ありがとうございます、ヴィクトル王太子殿下」
「問題ない。シェイラータ準師の役に立つことを願う」
その言葉で、オルリア聖王国との会談は終了だった。
シェイラたちは部屋をあとにする。
「よかったわね」
通廊をしばらく進むと、ガザンが小声でシェイラに言う。
「……はい」
シェイラは、胸元の石を包むように両手を当てる。
(トール)
会えるだけでなく、言葉をかけてもらった。たとえ、もう腕環をしていなくても、充足できる時間だった。
(どうか……)
──彼の疲れが取れますように。体から緊張が取れますように。
シェイラはそれだけを祈り、願う。
ヴィクトルは、シェイラの後ろ姿を見送ると、忘れていたこめかみの痛みが戻ってきた。
ぴくっと右のまぶたが動く。
「殿下、大丈夫でございますか?」
言って、ひとりの侍従が下がって、間もなくのうちに薬水瓶を持ってくる。
「……すまない」
硝子がこすれるすずやかな音とともに蓋を取ると、ヴィクトルは最近飲み慣れてきた薬の味を喉の奥に嚥下する。
二年ほど前からだろうか。ヴィクトルは、頭痛に悩まされてきた。この一年ほどは、痛みを緩和する薬水瓶がないと、執務や戦闘に支障が出るようになっている。
医術師によれば、過緊張から来るものであろうと言われている。特にこの一年は、父である聖王が体調を崩しているためか、ヴィクトルにのしかかるものが多かった。業務量に加えて、まともな睡眠を取れていない。
(ラータ……)
三年ぶりだ。また、きれいになったと思う。薄い紅と華やかな髪型が、よく似合っていた。
ガルバディアで会って以来。彼女の、寿命と〈命脈〉についてガザンから聞かされて以来。
(あと二年……)
彼女の命が尽きるまで。さらに短くなったのだと、ヴィクトルは聞いていた。
ずっと、ずっと、ヴィクトルはあの日から、シェイラを助ける方法を探している。模索している。調べつづけている。
そのために集めてきた情報が、どうやら今回シェイラの役に立ちそうだというのは偶然でしかなかったが、笑顔が見られたから、少しだけ報われたように思う。
だが、責務というものは放り出そうとしても、どうでもよいと思っていても、付いて回ってくる。これが{導線}を走らされていることだと否が応でも理解できる。
溜息も頭痛も増えるしかない。
ヴィクトルは、胸元にそっと手を入れる。それから、だれからも見られないように、エシア砂金の腕環を手の平で転がす。
──願かけであった。
三年前に、ガザンから聞かされ、自らに誓ったことを翻さないように、目の前の{導線}と囲うものに惑わされないように、ヴィクトルは己自身の誓いを秘めるために、シェイラからもらった腕環を外した。以来そっと、胸元にしまってある。
誠意のために、距離を置くようにしたヒバリから、「じゃあ、代わりにこれしたら許してあげる」と揃いの組紐をするようになったのは、一年くらい前のできごとだ。未だに慣れないが、謝罪を込めて結んである。
(必ず、見つける)
──だからどうか、それまで、健やかに過ごしていてほしい。
ヴィクトルは、ひそかに手の平のなかの腕環に、そう願う。




