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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第8章:長じた王子

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157話:喜びと痛み

 シェイラは、ぽかんと口を開けた。見上げて、その姿を凝視する。


「……イディさん?」


 たっぷり十秒くらい経ってから、やっとたしかめた。


「……うん」


 イディオンは、少し照れたように目を細めてほほ笑む。

 シェイラの知る仕草ではなかった。昔はもっとわかりやすく、顔や耳を今時分の夕陽のように染めていた。かわいらしく、愛らしかったのだ。


 絶句する。



「──イディオン王子、お久しぶりね」



 飴玉を転がすようにころころと楽しそうに言ったのは、静観していたガザン師だった。

 笑顔で、イディオンに対する。


「お久しぶりでございます、ガザン老師」


 優雅な所作でイディオンは応じた。

 柳弦(リュート)の音。それは変わらない。けれど、高さがちがう。低音よりの中低音。王配エヴェリヤンの音より少し高く、親子の血を感じる。

 だが、それもシェイラの知るイディオンの音ではない。


 シェイラの絶句はつづく。


「随分と成長されたわね。修行をきちんと積んだのだと、〈導脈〉の流れと輝きを見ればわかる。立派になったわ」


「おかげさまで。シェイラから習ったことを、この三年忘れたことはありません」


「そのようね。成長痛、ひどかったでしょう?」


「それはもう。特に二年目は、見る見るうちに体が伸びるというか、みしみし言うというか、とにかく痛くてたまらなかったです」


 イディオンが苦笑する。


 シェイラは、もらった手紙を思い出した。{通信}を使って話す余暇はどちらにもなかったから、手紙でやり取りするしかなかったのだ。痛々しい手紙は、少しだけ心配だった。

 思い起こすと、シェイラは止まっていた思考と口が、やっと動き出す。この驚きと、それから動揺が、なにから来ているのか、わかった気がする。



「……大きくなりすぎでは」



 ぼそっと、つぶやく。大きな溜息が出る。下を向く。


 胸元の、青銀石が目に入った。

 そうすると、自分のなかの、感情をまともに理解できるようになった。

 胸の内に大事にしまっていた、あの時のことが思い出される。秋の陽の、つむじ風に舞った時の気持ちを。



「……お久しぶりです、イディさん」



 じんわりと、胸に広がっていく。つかえの取れた気持ちが、やっと素直に出てくる。


「ほんとうに、大きくなりましたね」


 シェイラは顔を上げる。

 そうすると、虚を突かれた縹色が目に入る。



「また会えて……うれしいです」



 やっと、笑う。笑ったまなじりに、うっすらと浮かぶものがあった。

 広がったものが、あたたかく、自分の〈命脈〉を通って体全体に伝わっていくようだった。


「……ああ」


 イディオンがまたやさしく笑んだ。その変わらない笑みに、シェイラは、ほっと力が抜けるのを感じた。


 また会えると思っていなかった。

 もう会うことはないだろう。手紙だけで終わってしまうだろう。そう、思っていた。



「ぼくもだよ」



 こんな僥倖、あってもいいのだろうか。

 体全体に広がったものは、シェイラが所在なく抱えていた、置いていかれるような感覚をも満たすようだった。



〜*〜



 シェイラは、その日はすぐにイディオンたちと別れた。ガルバディア側には、夜の会食の予定があったからだ。


 星都大陸会議は数年に一回開かれる。一週間という期間で、サージェシア大陸中の国々が一同に介するのは数回。あとは他国との会談や協議を行うことが多い。ガルバディア側も例に漏れていなかった。


 シェイラたちヴェッセンダリア側は、主としてオモノン老師の〈魔導霧〉に類する会談に臨む。初日は予定されていなかったので、夕餉をすませれば、あとは翌日となった。


 そうして陽が昇ると、各国との会談がはじまった。


 主で話すのはオモノンとガザンで、シェイラは付き人のような形で控える。厄災に対する各国の対策をオモノンとガザンが学術的な観点から提案し、各国大使や代表が質問しながら、現実的なものを練り上げていった。

 シェイラの出番は最後の三十分で、それまでの議論によっては二十分ももらえないことがあった。その少ない時間でシェイラは起きているできごとと、各国からの協力者を募ったが、芳しい回答や反応は見られなかった。


 唯一、よい反応をしてくれたのは、オルリア聖王国の王太子——つまり、ヴィクトルのみであった。



「──なるほど」



 聞き終えたヴィクトルは、険しい顔でまずそう言った。


 やはり、疲れを溜め込んでいる。

 シェイラは対面してみて確信する。


 三年前に会った時よりも、やつれた、と言ってもいいかもしれない。かつてあった、おだやかでやわらかな気配は微塵もなかった。

 そこには、聖剣使いの{導線}を歩む、ヴィクトル・オルリア聖王太子の姿しかない。


 シェイラの胸は痛む。


「シェイラータ準師の話したことは十分理解できた。たしかに、気になるできごとではある」


 おだやかに呼ばう、ラータ、ではなかった。それもまた、シェイラの痛みの縁をなぞる。


「……はい」


「事件の全容がわからない。だから、調べてみなければいけない。その調査のための協力者を募っている。そういうことで、まちがいないか?」


「はい、おっしゃるとおりです」


 紅い眼光に尋ねられて、シェイラは首肯する。目は逸らさなかった。


「……わかった。だが、」


 ヴィクトルは、シェイラから視線を外して、会談を行っている室内全体を眺めて、オルリア側の何人かの重鎮と目配せをする。


 そのなかに、聖女ヒバリの姿はない。もとより参加の予定はないようだった。

 シェイラの父ロゼイユ公の姿はある。けれど、ヴィクトル同様に他人となって久しい。シェイラはそちらを見なかった。



「正直を言えば、その調査のための協力に、時間や人を割くことはできない」

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