156話:星詠みの詞
「星辰下の言葉を受け、儂からは〈魔導霧〉についてこの場で申し伝える」
中央円台に立ったオモノン老師は、厳粛に口を開いた。寡黙な空気は王配である父に似ているが、この老師から漂う粛然とした空気は父の比ではない。
戸の隙間から噴き出すような気配。齢七百を越える魔導師。それが〈魔導霧〉を長年研究するオモノン老師であった。
この場で唯一、前回──六百年前の〈霧の厄禍〉を経験している。
「──以前と同様」
オモノンは、そう口火を切った。
「〈魔導霧〉は、上空で年々凝集し、渦を作っている。〝月の輪十八巡る刻〟というのはわかりやすく、十八ヶ月後を示しているが、大気中の〈魔導霧〉もまた十八ヶ月で、強大な渦のかたまりができると予測される。星詠みとの差は、ない」
オモノンは一度、言葉を区切る。
「ゆえに、一年半後の、厄禍の訪れを断言する」
厳然とした声音が、石積の講堂に反響する。
「以前と異なり、我らはこうした大陸会議をはじめとした各国とのつながりが多くある。それゆえ、六百年前と同じような犠牲は出ないと予想するが、此度の星詠みでは、〈気高き魔女の騎士団〉に関する言及にはじまり、ここにおわする聖剣使い並びに聖女、そして、朧の竜についてふれられているのが、いささか不吉さを助長させている」
〈朧竜〉、とだれかがつぶやいた。
子どもだましだ、とささやく声も聞こえた。
(〈朧竜〉、か……)
イディオンはその言葉を反芻する。
伝説上の──〈蟲〉だった。〈蒼鷹〉を越える凶悪かつ強大で最強種の〈蟲〉であるという。
かつて、大魔導師サージェストが相対し、その怒りを沈め、封印したと言われていた。完全な封印とまではいかず、一説によれば、封印からこぼれ落ちる竜の吐息から〈魔導霧〉が発生していると言われている。
「見たものはおらぬが……否定はできぬ。証明したければ、精霊女王のみが存在を知ろう」
オモノン老師はこの場を見渡すように睥睨するが、女王国のものはいなかった。
アベルの山嶺より厳しいアールヴ大山脈に隔てられし精霊女王国は、おおよその国交を行っていない。ほとんどものが女王国の人間を知らない。
「私たちにできることは、十全に備えるということか」
イディオンは顔を上げる。
聖剣使い──ヴィクトル・オルリアの発言であった。数年前に会った時より、険しさが増したような印象を受ける。
「左様であるが、備えるに当たっては、呪術への警戒も必要になってくるであろう」
されど忘るるな──
魔女の集いを
子らの声を
賤しめらるる者の声を
聞かずば光は滅び
抑止の力は失われん
「光や、抑止の力とは、私と聖女のことか?」
ヴィクトルの問いに、オモノン老師は答える。
「おそらくは。厄災を抑える力としての、聖女と聖剣使いの力であろうと思われる」
血に沈む師と子
十二の力
竜を呼ぶ
「──師と子というのは、各学園や学院に所属する者たちを言うのであろう。十二の力と、竜……魔導霧との関係については現在解釈を重ねている」
オモノンは誤魔化すでもなく、事実を伝える。
「それゆえ、各大学府管轄の学園や学院の警備、呪術の取り締まり、また、各国の連携と協力は不可欠だ」
くれぐれも、と寿命の長い老師は言う。
「争うな。でなければ、六百年前と同じような被害が出る」
そう、オモノンは締めくくって、初日の会議は閉会となった。
イディオンとムディアンが講堂を出れば、沈鬱な空気が苔むした石材に溜まるようであった。厄禍の訪れを予告する宣言に、だれしもが暗然としたものを抱えていた。
そのなかで、際立つ影をふたつ見つけた。
暗鬱とする空気をものともしない、薄紫の輝き。
春の夕闇が訪れる頃合いであった。沈む西陽に、茜の空が黄昏の色調を極光のように描き、薄色の髪が溶けるように揺れている。
横からオルリア聖王国一行が、過ぎ去っていった。聖剣使いの姿を見つける。束の間、視線が交わり、紅い眼を眇められた。それから興味をなくしたように外される。
かつて狩猟祭で親しくし、メイベ・ガザンから話を聞いたのは、互いに過去のこととなった。
イディオンもまた、視線を戻す。
彼女は——シェイラは、変わらなかった。通りすぎたその姿を追うようにして、それから顔が俯く。
イディオンは、立ち止まって、己の胸中の動きを観察するようにする。
「シェイラータ導師!」
ムディアンが突然名前を呼んだ。
イディオンは驚く。待て、と弟を止める手甲がくうを掴む。まだ、心の準備ができていない。
振り返ったシェイラは笑顔をたたえて、ムディアンを見る。まだ、イディオンを捉えていない。
「それはなんと喜ばしい。偶然にしてはできすぎているくらいですよ!
──ですよね? 兄上」
ムディアンがそう言えば、ひょっこりシェイラの顔が現れた。
覗く。瑠璃の瞳が、イディオンを捉える。
なんて言おう。
顔を見ると、つい今しがたまでの焦りは消え失せた。すうっ、と自分のなかの軸を思い出す。意図しない時宜だっただけで、なんら焦る必要はなかった。
もうイディオンは、なにもできなかった三年前とはちがう。堂々と言える。
「久しぶり、シェイラ」
──約束を、果たしに来た、と。




