155話:典医長との遭遇
星都アベルの城下街に転移魔法陣で飛んだのち、イディオンたちはさらに{転移}を用いて頂上の星ノ館に辿り着いた。
館全体に{転移}防止の障壁が施されていて、城門付近に着地する。迎えの星詠みに案内され、会議の開かれる大講堂へと移った。
開催間際だからか、講堂はざわざわとひしめき合っていた。そこらで、国家間の非公式のやり取りが行われている。
「兄上、私はヴィクトル殿下のもとへ行って参ります」
ムディアンは、イディオンに断って去っていく。イディオンも誘われたが、遠慮した。
昔は、聖剣使いヴィクトルに憧れのようなものを抱いていたが、今ではその気持ちは一切ない。話さずにすむに越したことはなかった。
「イディオン殿下でいらっしゃいますか」
唐突に後ろから声をかけられて、イディオンは訝った。
秀眉を寄せて振り返る。
──マイスリー医術国の典医長……藍王だ。
イディオンは認めて、すかさず立式の最高礼を行う。
今回の大陸会議では、ガルバディアのように王の代理を立てる国も多かったが、マイスリー医術国のように首長が参じているものもいる。
思惑があるのであろう。イディオンのなかで冷静さが俯瞰をはじめる。
この典医長とは面識があった。十年ほど前に、イディオンを〈導脈欠損症〉と診断したのはこの医療魔術師であった。
今思えば、イディオンは、マイスリー医術国内の政争に巻き込まれたのだろう。医術師と医療魔術師。同じ医術を志すものであるはずなのに、国内でふたつの派閥争いがあることを聞き及んでいる。
イディオンの治療は、おそらくどちらの派閥においても、重要な成果につながるはずであった。
だが、身体的に問題ないことを判断した医術師は早々にイディオンの治療を断念し、しめたと思った医療魔術師であるこの男は、原因を突き止めることができなかった。その焦りから、イディオンを〈導脈欠損症〉と決めつけ、早々と典医長争いの傷にならないよう手を引いたのだ。
──くだらない。
知った時、イディオンは吐き捨てた。
そんなもので、自分の人生は狂わされたのか、と。
同時に、イディオンが魔導師となることを聞けば、この男がどういう表情をするのか気になった。
「久しいですね、陛下」
そらぞらしいものを感じながら、イディオンは薄ら笑う。
「陛下なぞとは。小医は、殿下にそのように呼ばれるゆえはございません」
「そうか? めでたいではないか。民意があるということだろう?」
「民草に還元せねば、藍王は名乗れませぬ。小医にはもったいないことで」
「では、期待だな。私と同じような境遇のものを出さぬよう、精いっぱい励んでくれ」
「はて。なんのことやら」
イディオンの嫌味に、典医長はとぼけてみせた。
自分のなかに埋もれていた火が、ゆらりと揺れるのがわかる。
「……私はまもなく魔導師に叙される。陛下の診断のおかげでな」
「それはそれはおめでとうございます。して、診断とは?」
「自らが口にしただろう。〈導脈欠損症〉だと。ところが面白いことに、まともな修練と治療を受ければ、どうやら私は母をも凌ぐ魔力を持つらしい。興味深いと思わないか?」
イディオンのなじる台詞に、典医長はまたもや、はて、と首をかしげて見せた。
「小医は当時の師長の助手でしかなく。あくまで、師長の意向でしかなかった。権力の前に額づいてしまったことを、この度殿下に詫びねばならぬと思ってお声がけした次第」
「…………」
「誠に昔は申しわけないことをいたしました。当時の師長はすでに処されておりますが、医術国を代表する典医長として謝罪を申し上げます」
そう言って、立式の謝罪礼を取る。
上げた顔も、わざとらしいほど眉尻を下げていて、イディオンは揺れる火が炎へと変じるのをかろうじて抑えつけた。
「女王陛下の抗議文もたしかに受け取り、返礼を申し上げておりますが、此度は殿下がいらっしゃることを聞き及びまして、こうして直接謝罪を申し上げようと声をかけました」
「……そうか」
イディオンは、胸骨の内側で感じるものを息を吐き出す。冷静さを思い出す。
「そして、まもなく魔導師になられるとのこと、お慶び申し上げます。また帰国したのち、祝いの品を献上いたしましょう」
典医長は国の長という立場でありながら、最後までへりくだった姿勢を崩さず、そう言ってイディオンの元を去った。
霧砂を口に含んだような不快感だけが、イディオンには残る。
悪態をつきそうになったが、この場がどこだか思い出すと呑み込むしかなかった。まもなく会議のはじまる時間になる。
イディオンは戻ってきたムディアンとともに、ガルバディアに用意された個室席に移動する。
(不愉快だ)
──とても。
押し殺すのではなく、言葉にするのだと教わった。そうして、その不快感も見つめる。観察するようにする。だが、上手くいかない。あまりにも自分の根に近すぎることに、イディオンは消化することができなかった。
呼吸を思い出す。何度も。教わったことを思い出す。思い描く。不快さとあえて同居することを選ぶ。隣にいることを許す。……許せるわけがない。
しばらくすると、大占卜師の御詞が告げられる。その詞の意味に思考を移していると、不快感と火は灰のなかに沈殿していった。
(まだまだだな)
まだ、同居できるほど自分は、できていない。
イディオンは自嘲を覚えながら、話題に上がったオモノン老師の座する席に視線を向けた。
隣にメイベ・ガザンを認める。オモノン老師の{転移}の残光を目にしていると、ガザン師と目が合った。悪戯げな笑みを浮かべられ、左側に目配せを受ける。
なんだ、と左に視線をやって、そして──……
イディオンは、縹色を、瞠る。
その姿を認識して、つぶやく。
「……シェイラ」
積もっていたものが、舞うようであった。三年前の感情が体中を巡るようにして、俯瞰する自分を忘れる。
慕しくなるにつれて、福音ノ日が待ち遠しかった。いつからか、朝になると階段でうろうろして待っていた。そんな頃を、小さな体の時を、引かれるように思い起こす。
つぶやくイディオンに反応して、ムディアンが同じように見やる。
「兄上……! シェイラータ導師ですね」
「……ああ」
小声で囁かれた名に、イディオンは感慨深く肯いた。
母の含んだ笑み、それからガザン老師の悪戯げな笑みの理由がわかって、あたたかい気流が昇ってくる。
(会えるとは……)
思って、いなかった。ガザン師に会って、それから、会いに行こうと思っていたのだ。
彼女は、変わらない姿であった。
三年前よりも、大人びただろうか。薄闇で、よくわからなかった。自分と同じように、髪を半量結わえている。髪型を変えたところを、はじめて見た気がする。
けれど、横顔はほんとうに変わらない。その視線が向く先も。
イディオンは思い浮かんだものをすべらせて、そうしてシェイラの首に輝く石を見つける。蛍モミのうえで、背を抱きしめられた時の心地と、葵葉草と甘橙のにおいを思い出すようであった。
(あれは……)
なんと言えばいいのか、わからなかった。
『一生、大事にします』
そう言って、はじめて魔法で作った石を、祈るように手に包んでくれた姿を思い出す。
イディオンは後方を見るのをやめて前を向く。典医長と交わしたあとの不快感は、もう残っていなかった。
胸のなかには、三年前の紙吹雪のように、紫苑ザクラの花片が舞っている。
その心地を味わいながら、イディオンはオモノン老師の話に耳を傾けた。




