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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第8章:長じた王子

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153話:昔日の桜

 思考が、移ろっている。

 そういう自分を、眺めている。


 イディオンは気づきながらも、そのままにした。


 移ろう自分をじっくりと観察する。


(ああ、これは……)


 あの頃だ。

 魔法が使えず、どうしようもない悔しさと惨めさを持て余していた、あの頃。人に、物に、当たり散らして、最悪だったあの頃。


 見られている自分が、苦渋を覚える。


 あの頃、自分はどうしようもなかった。年を経ると、そういう自分に嫌気が差した。魔法が使えない、人を大切にできない、やたらと知識だけ蓄えた、できそこない。


 ──だれも傷つけたくない。


 けれど、魔法と向き合う気力は尽きていた。


 ぼくは空っぽだ。期待された{導線}を歩むことができない。魔力を蓄えることができない器。王の器ではない存在。


 祖の魔導師ガルバーンが築いた美しい都を守ることは、なにひとつできない。

 それなのに体は成長することをやめて、いたずらに時間だけが止まり、されど過ぎていく。



「──なんだお前、家出? 俺と同じか?」



 真緑の髪をした男スヴェリヤス──スヴェリは頭の後ろで腕を組んで、街なかをふらふらするイディオンにそう声をかけた。


「……べつに」


 イディオンは感情を失った目でそう答えた気がする。

 スヴェリはしつこい男で、なにも反応しなくてもひたすら話しかけてくるような男だった。

 こんな自分に話すことなどあるものか、と思っていたが、スヴェリの語りのなかに、この男の生まれた時からのしがらみを感じられて、不快ではなかった。


「行くぞ、イディ」


 スヴェリに誘われるまま、夜な夜な周回するのは気分が紛れた。少しだけ息ができる気がした。

 輝く王都には影が差す。気をつけたほうがいい、と歩き方を教えられた。


「工房街の裏路地は、あやしいやつらがいる。魔女騎士に通じてるって話だ」

「……ばかな」


 十四か、十五になるかそれくらいの頃だった。

 イディオンの夜歩きは毎夜のことになっていたが、そのような場所がこの王都にあるとは思えなかった。


「女王が許さない」


 あの母と、そしてなにより摂政とも呼べる働きをする清廉潔白な父が、そのような澱みを王都に許すわけがなかった。


「灯台下暗しってよく言うだろう? あのあたりでは呪具が売り買いされているらしい」


「そんなもの、なにに使うんだ」


「まあいろいろあるだろうよ。俺だって気持ちはわからなくもない」


 親父を殺してやりたい、とスヴェリはよく言っていた。それほど憎んでいるという。


「そういう恨みつらみを持っていると、闇の魔術では使役できない影が入り込む。魔女騎士は巧みに人の心の隙間に入って呪具を売りつける。そうやって儲けた金で、でかいことをしようとしてるって話さ」


「……日陰者にできることなんてたかが知れている」


 イディオンがまさにそうだ。日陰者は、この魔法が絶対とされる大陸では生き残れない。魔法にも、蟲にも、人にも、殺される。それが、できそこないの末路だ。

 イディオンは今、終わらないように藻掻いているだけしかない。


「集まればなんとやら、さ」

「…………」

「だから、イディ、気をつけろよ」


 スヴェリは欄干で林檎を齧りながら言う。


「人に、お前の心の隙間を見せるなよ」


 年上からの忠告だ、と四つ上の男はそう言った。


(心の隙間なんか……)


 見せる相手も、見せる機会も、ない。


 ──ぼくは、だれにも顧みられない、できそこないなのだから。





 ふう、とイディオンは息を吐き出し、まぶたを開いた。


 そうして、ゆるやかに弛緩していた体を感じる。皮膚の下の〈導脈〉が活性化して、体の細部まで魔力が満ちていた。

 数年前は一切感じていなかった感覚が、今のイディオンには驚くほど細密に感じることができる。


「思考に、のめり込んでいたな」


 イディオンは苦笑する。

 自分を客観していたはずなのに、気がつけば入り込んでいた。


 そういうこともある、と彼女は言っていた。それが人間なのだと。移ろうことが人間で、だからこそ尊いのだと、静かな笑みを浮かべて、話していた。


 移ろいが好きなのだと言った、あの笑みの意味を知った時、イディオンは自分自身の無力と愚かさを責めた。魔法が使えなかった頃の悔しさと惨めさに加えて、ただもらってばかりだけの己の不甲斐なさに心底怒りを覚えた。

 けれど、今はもう、埋み火となって、深く灰に沈んでいる。


 ──彼女が、あたたかく癒して、去っていったからだった。


 イディオンは窓際から立ち上がると、椅子にかけておいた長外套(ローブ)を取った。白い長外套は光沢があって裾に銀の刺繍がある。裏地は縹色。体が年齢に追いつき、背が伸びたイディオンに、母女王が誂えてくれたものだった。

 羽織って、宮を出る。


 そうすると、満開になった紫苑ザクラが花びらを散らしていた。肩まである、半量結わえた銀の髪に、花片が落ちた。


 イディオンは眩しく、目を(すが)める。



『ほら、うまくいったでしょう?』



 桜吹雪が、同じ色の彼女を思い出させた。あの時の喜びと、彼女のうれしそうな笑顔を。


 イディオンは記憶のなかでもそうしたように笑みを浮かべる。それから、拳を握る。馴染みきった漆黒の手甲(てっこう)と〈導脈〉の感覚を得られると、王宮の居館のほうに足を進めた。


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