149話:あの日、あの問い
──あの日のことを、あなたは、覚えているだろうか。
季節が移ろうたびに、ぼくは、あの日の喜びを思い出す。
覚えていない赤子の頃。はじめて、立ち上がった時。自分の足で地面を踏みしめ、見ている世界が今までと異なった。視界が開け、世界が変わった日。
きっと、同じであった。
自分の手で魔法を起こし、はじめて成功した日。これまでのすべてが、紙吹雪に舞った。
魔法が使えないとわかった時の、胸骨を這い上がるようにして伝ってくる、歯噛みするほどの悔しさと、喘ぎたくなるほどの惨めさ。
それが火打ち石となったように、断線した{導線}を辿って、焼き尽くすような怒りとなっても、その怒りは肌の下から出ようとしなかった。
掻きむしっても掻きむしっても、怒りは途絶えることも放出されることもなく、ただ喚くばかりの哀れな存在と成り果てて、これまで積み重ねてきた矜持が焼け落ちてしまうようだった。
夜な夜なさまよう亡霊のようであった。
その積もったものが、──舞った。
それから、
「ほら、うまくいったでしょう?」
あの喜びと感動を、ともにしてくれたあなたを思い出す。
ぼくはいつも、あなたの話していた季節の移ろいとともに思い出す。
何度、季節が巡っただろうか。
幾度、季節は移ろいを見せたであろうか。
巡るたびに、移ろうたびに、あなたの横顔が脳裏をかすめる。
「なぜ……、魔法が使えないということが起こるんでしょうね」
問いは、深く、刺さっていた。
ぼくの心に、答えのないまま深く刺さっている。
──魔法が使えないことは、なぜ起きるのだろうか。
「そんなことが起きなければ、イディさんも、わたしも、困らなかったのに……」
空っぽだと言っていた横顔に浮かぶものを見つけてしまうと、答えを持っていない自分が腹立たしく、疎ましかった。
ずっと、その問いは深く刺さったままだ。
なぜ、この魔法のあふれる霧の大陸で、魔法が使えないということが起きるのだろう。
なぜ、魔法が使えずに困り、苦しむものがいるのだろう。
ぼくはこの数年、それをずっと考えている。
迷いの心を持ちながら、瞑想し、感じられるようになった〈導脈〉を辿りながら、その光の行き着く先や辿るべき先を求めている。
虹の眼を持ち精霊を扱う、精霊魔術。
手間をかけるユベーヌのまじないと、代償を払うノザリアンナ呪術。
〈導脈〉の魔力を行使する、元素魔術や生活魔術、フィシェーユの魔法や、モルベンドの使役魔術など、数多の魔法や魔術。
これらの魔法や魔術はいったいなんだろう。
なぜ、生まれてきたのだろう。
どうして、使えないということが起きてしまうのだろう。
〈蟲〉の発生するこの大陸で、魔法が使えず攻撃と防衛の手段も持てないことは死に直結する。力が弱くとも、生活に必要な魔術を使うことや、芸術魔術のような才があれば、生きていける。
けれど、それさえも難しければ、生き残ることも難しく、生活するうえでも憂き目を見る。
ぼくが、かつてただ街を見て過ごす亡霊でいられたのは、王族だったからだった。今ではわかる。
守られる立場や環境がなければ、まともな職は得られず、〈穢民〉と蔑まれて日陰に追いやられることは想像にかたくない。実際に、そういうものたちが少なからずいることも、この数年でわかった。
──ぼくは恵まれていたのだ。
魔法が使えないのは、努力が足りないからだ。
罪を犯したユベーヌの末裔やノザリアンナの民だからだ。
その人間が、いけないのだ。
この世界に適応できない、できそこないなのだ、と。
さまざまな理由が言われていることも、知っている。
だが、果たしてそうなのだろうか。
努力だけではどうにもならないことを知っている。血反吐を吐くほど努力を積み上げても、どうにもならないことを知っている。そうして、どうにもならないことを知ってしまうと、倦むのだ。倦んで、腐る。
なにをやっても意味はない。どう足掻いてもしようがない、と。
それでも、ぼくは恵まれていた。なにより、あなたに出会うことができた。
そういう周りや、出会いに恵まれなかったものは、どうなってしまうのだろう。行き着く先はどこになるのであろう。
その疑問に、あなたの顔が重なる。
「わたしみたいにならなくて、よかったって……」
泣き笑いのような、その顔。
もらってばかりだった。
子ども扱いしながらも、あなたは絶対にぼくをばかにしなかった。ぼくのすべてを受け容れ、寄り添ってくだらない話をし、ただ当たり前にそこにいた。ぼくの全部を受け止めてくれた。
どれだけ、ありがたかっただろう。
どれだけ、甘やかしてもらっただろう。
それなのに、ぼくはあなたに、なにも返すことができていなかった。
──おまえは、なにをした?
自問するたびに、ぼくは返す。
──ああ、わかっている。
無駄にしない。彼女にもらったものを無駄にしない。
絶対に、彼女に……
「気持ちが、呼吸から移ろっていますね」
やわらかいけれど、凛とした声が、記憶の底から浮かび上がって耳の奥に聞こえる。
──ああ、移ろっている。
移ろっている自分をも俯瞰し、見つめ、おだやかに今に戻ってくる。
そうして、目を開けば、ぼくは現実を知る。
あなたは、いない。
もう三年も前に、去った。
手を握る。きゅっ、と漆黒の手甲が絹の音を立てて{伸縮}した。
「どうして、わたくしがあなたにこんな秘密を喋ったのか、わかる?」
老師の問いを思い返す。
そして、ぼくが記した答えも。
その答えを──その願いを叶えるための、三年だった。
魔法を使うためには理由が必要だ、とあなたは言っていた。
なんのためにやっているのか、人は時に迷ってしまうから必要だ、と。
一緒に探そうと言った。一緒に見つけよう、と提案した。
だが、その約束は守れない。
自分から破った。
──ぼくはもう、それを持っている。
だから、もうひとつの約束を果たしにいく。
この胸に深く刺さる、問いとともに。
(Prologue to Part2|第二部へのプロローグ)




