148話:花冷えの別れ
出立の朝は、花冷えの肌寒い日であった。
王都の目抜き通りを歩けば、千朶万朶の花々が、花台窓に咲き誇り、馥郁な風がまだ残る霧除けの香炉を揺らしていた。
都の入口では、シェイラの薄色の髪に、斑紋を描くように紫苑ザクラの桜影が落ちている。
つめたい風のなかにある、たしかな芳香に、ヴェッセンダリアとは異なる、ガルバディアの春を感じられるようだった。
「——移ろいを感じているのか?」
シェイラが咲ききっていない桜を見上げていると、柳弦の音が花びらのあいだに響いた。
イディオンが同じ桜を見上げている。
「そんな話を覚えているんですか?」
初秋の頃だ。もう半年も前の会話だった。
驚いて目を丸くすれば、縹色がまだ少ない花びらを見ながらやわらかな弧を描いた。
「ああ。あなたと過ごした日々は、よく覚えている」
「……そうですか」
シェイラも、よく覚えている。
一日、一日、積み重ねてきた一年は、四季の彩りと移ろいを描いて、一頁、一頁、丁寧に写本をした魔導書のように、記憶に残っていた。特にイディオンとのあいだのできごとは印象深く残っている。
同じ思いを共有しているようで、自然顔がほころんだ。
「……行くのか?」
イディオンが問うた。
シェイラは革鞄を握り直しながら応じる。
「はい。駅馬車を乗り継ぎながら、帰りたいと思います」
「陣は使わないのか?」
「……ガザン師に帰ってくる時も陣は使うなと言われているので」
シェイラが苦笑いをすると、イディオンは戸惑ったように瞳を揺らした。
「だが……シェイラにとって、一ヶ月は……」
言葉が濁される。
おそらく、シェイラが一年前、師から命じられた時に思ったことと一緒だった。けれど、首を振る。
「たしかに、わたしの一ヶ月は、他の方や……ふつうの魔導師と同じような意味を持ちません。一ヶ月一ヶ月がとても貴重で、過ぎていくほどに、わたしの寿命はまた一歩近づいていく」
「……うん」
「一年前、ガザン師から一年限定のこの仕事の話を聞いた時に、わたしは、わたしの一年の意味をわかっているのか師匠に訊きました。その時、師匠は、とても有意義になると答えたのです」
あの時のガザンの笑みが思い浮かぶ。有無を言わせない、企んでいる時の笑みだった。そう思った。
だが、一年を過ごしてみてよくわかった。
「師匠の言っていることはほんとうでした。とても、有意義な一年で……きっとこれからも忘れることはありません」
ですから、とシェイラはつづける。
「帰りも、焦ることなく、季節や国や人の移ろいを感じながら、道のりを歩めば、たとえ残り少ない命であっても、一ヶ月という旅路は意味のあるものになると思います」
イディオンは黙ってシェイラの言葉に耳を傾ける。
「そういうふうに思えるようになった一年でした。
この一年で出会った方々の代表として、イディさんにお礼を伝えさせてください。——ありがとうございました」
シェイラがゆっくりと頭を下げれば、イディオンは一瞬虚を突かれながらも、鷹揚な笑みを浮かべる。
「ああ、受け取った」
シェイラも笑みを返す。そして、もう一度鞄を握り直した。荷物の重さを確かめる。
「では、そろそろ行きますね」
忘れ物はなかった。
淡紫の花影から出る。
「——待って」
シェイラが歩みはじめようとすると、イディオンが長外套の衣嚢に左手を入れた。なにかを取って、それから封蝋の施した書簡をシェイラに差し出す。
見れば両手には、シェイラがあげた手甲をつけていた。左手の菱形雪華を見ると、胸からあたたかいものが滲み出た。
手紙を受け取る。
「なんですか?」
「メイベ・ガザン老師に」
「師匠に?」
なにゆえ、とシェイラは首をかしげる。
「老師に、答えだ、と言って渡してほしい」
「答え?」
「ああ。イディオン・ガルバディアからの、問われた答えだ、と」
シェイラは疑問でいっぱいだったが、とりあえず受け取った。中身が気になる。
ガザンはイディオンになにを問い、イディオンはなにを答えたのだろう。
「見ないでね」
あまりにもまじまじと見ていたからだろう。
イディオンの言葉に、シェイラはむっとする。
「見ませんよ」
「そう。なら、よかった」
イディオンはそう言って笑った。少年の、きれいな絵になる笑みを浮かべた。
「——それから……これ」
もうひとつ、差し出されるものがあった。
シェイラはイディオンの目と左手を交互に見てから、手紙をしまって、両手で受け取る。
そっと置かれたのは、見たことのない小石だった。
蛋白石のような紫の遊色を描く青が、全面に切嵌細工のように施されている。隙間から銀が輝いて、陽に翳すと、なんとも言えない美しさがあった。
シェイラは陶然と、尋ねる。
「これは……?」
「はじめて、成功した」
イディオンが、にっと少年の笑みを浮かべた。自信のある笑みだった。
「はじめて成功した?」
「ぼくが思い浮かべた石だ。目の前にあるものではなく、ぼくが想像した石を、魔法で作った」
その返答にシェイラはびっくりして、手の平の石をまじまじと見た。じっと、じっくりと、穴が空くほど見つめて、それから声を上げる。
「ほんとうに?」
「ああ、ほんとうだ。ラムル師と確認した」
「ほんとうに、ほんとう?」
「ああ。実は練習していたんだが、シェイラからもらった手甲を付けたら、あっさり成功してびっくりした。触媒って大事だって思ったよ」
応えを聞くと、笑ってほしいとあれだけイディオンに願っていたのに、シェイラのほうが泣きそうだった。
まぶたを一度強くぎゅっとつむって、それから、その石を両手で包み込む。
「すごいです……イディさん」
「シェイラのおかげだ。だから、はじめて成功したこの石は、あなたに持っていてほしい」
「いいんですか?」
もらっていいのだろうか。記念すべきものなのに。
「そのつもりで作った。……その、」
イディオンは、途端に口ごもる。少し俯いて、耳元をほんのり染める。
「……あなたを思い描いた石だから」
シェイラは、恥じらう美少年に、悲鳴をあげて抱きしめそうになった。かろうじてこらえる。
(この恥じらいが見れなくなってしまうのも寂しいです)
礼を言いながら、今更ながらそんなことを思う。
もう一度手のなかの石を見ると、胸の底に春のあたたかさが広がっていくようだった。無意識に笑みが浮かぶ。
「一生、大事にします」
どんな貴石よりも価値のある尊いもので、祈るように胸に寄せた。
シェイラのその様子を、イディオンが照れたように見やる。それから思い出したように口を開いた。
「約束、覚えている?」
イディオンは、シェイラを覗くようにして見上げる。どことなく、少年が悪戯を考えている表情だった。
問われた内容にシェイラは一瞬、疑問符を浮かべたが、すぐに思い出した。
「ずっと一緒にいたいというあれですか?」
「そう」
「覚えていますよ」
無茶な約束だ。
「魔導師になったら、いいんだよね?」
「ええ、そういう話でした」
「わかった。必ず行くから」
待っていて、とイディオンは言う。
シェイラはそれには曖昧に肯く。
(寿命はもう、六年を切りました)
イディオンには豊富な知識と理論がある。努力の天才だ。けれど、間に合わないだろう。どんな修行を積んでも、六年は間に合わない。その約束が果たされることはない。
少しだけ嘘をついた気分になる。
(大きくなったところ、見たかったです)
シェイラはわずかな哀感を覚える。
振り払うように、鞄をもう一度持ち直した。受け取った石は、腰袋に丁寧にしまう。
「——今度こそ、行きますね」
「ああ」
イディオンは笑った。シェイラも笑う。
遠くに朝の鐘が響いた。馬車の車輪の音が近づく音が聞こえる。
——きっともう、二度と会うことはない。
それでも、別れはかけがえのない思い出となって、残り少ないシェイラの道を照らす。
冬のなかの春陽の美しさを感じながら、シェイラは帰路に爪先を向けた。
(第一部:できそこないの王子——完——)
第一部の完結までお読みくださった皆さま、ほんとうにありがとうございます。
この物語は、前作完結後に、note創作大賞2025のために書きはじめた物語で、おかげさまで入選受賞しました。
現在も物語投稿サイトTALESにて最新話を投稿中となっています(2026/02/20現在250話が最新)。
ここからは、なろうでの更新はしばらくお休みさせていただき、TALESのほうの更新や、完結までの執筆(3月中に手元で完結予定)に専念させていただきたいと思っています。
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なろうの更新は、先立って第二部Prologueを3/1に、第二部開始は、3/7を予定しております。
どうぞ、よろしくお願いいたします。




