147話:手間に込めた祈り
シェイラは、悩みに悩んだ。
あと一週間すれば、シェイラは帰国の途につかければいけなかった。次第に元気をなくしていくイディオンに、ほんとうは惜別の品にしようとしたものを、一週はやく、渡す決意をする。
最後の福音ノ日、練習を終えると、シェイラは夜、イディオンを城下に誘った。訪れる春の気配に、少しずつ都も活気と七色の輝きを取り戻していた。
「こちらにしましょう」
渡す場所は、あの高台の蛍モミのうえにした。そこが一番、笑顔になってもらえそうだったからだった。
「はい、どうぞ」
「なにこれ」
紙袋に包んだものをシェイラが渡せば、イディオンから怪訝に秀眉をひそめられてしまった。
シェイラは得意げに、にこにこと笑う。太枝のうえで足を揺ら揺らさせながら言う。
「開けてみてください」
イディオンは怪しみながらも、がさごそと包装を解いていった。慎重に包装紙を破かないようにする手つきが、イディオンらしかった。
「これは……」
出てきたものに、イディオンは言葉を失ったようにした。
「手甲です」
シェイラは説明する。
「イディさんの魔法のための触媒です。わたしが作りました。だいぶ遅くなりましたが、十六の誕生日のお祝いです」
黒い手甲だった。左手の甲部分には、旅芸人たちに伝わるユベーヌ刺繍を施してある。菱形雪華の透かし模様を縫ってあった。
「実はこっそり、この二ヶ月で作っていたんですよ? 騙されてくれましたか?」
イディオンがはっとした。
縹色の瞳が、シェイラの青金の瞳に向けられる。
シェイラは笑みを向ける。それから、いつものように滔々と喋った。
「〈蚕蛾〉の幼虫を仕留めまして、なんと絹を作るところからはじめたんですよ。さすがにはじめてやりました」
夜な夜な出歩いて、〈蚕蛾〉のいそうな森をさまよった。幼虫を死なせないように繭から糸を紡いだ。
「黒は後染めにしました。いろいろな魔術をこめたくて、それには後染めがよいだろうと思いまして。まずは布を織りました。黒に染めるのがけっこう大変で媒染で調整して……」
イディオンはずっと、シェイラを見ていた。見ながらずっと、その話を聞いていた。
「あと大変だったのは、刺繍ですね。ユベーヌ刺繍、ご存知ですか? ふつうは糸を刺して模様を作るんですが、ユベーヌ刺繍はわざと穴を空けて蜘蛛の巣状にして、糸を渡したりしながら編むようにするんです。それで透かし模様のような刺繍ができます」
シェイラは菱形雪華を指さす。
「雪にしたのはイディさんの心象風景から。これからも使っていける落ち着いた意匠にしました。{伸縮}が施してあるので、手が大きくなっても使えますよ」
力作です、とシェイラはもう一度笑った。
イディオンは無言で、シェイラから視線を外す。受け取った手甲を見て、見つめて、それから震えるように手に取った。そっと両手でやわらかく包む。
「……手間を」
ぽつりとイディオンが言う。
「手間を……、かけてくれたのか」
つぶやくような問いだった。
「はい」
シェイラは、微笑する。
「たぶん、今までで一番手間をかけて作りました。力作と伝えたとおりです」
イディオンは、ぎゅっと包んだものを握った。
「魔除けと安全を、まじないとして込めました。それから……」
シェイラは言葉を区切る。
「笑顔でいられますように」
イディオンが、シェイラを見る。
「もう二度と、イディさんが自信を失ってしまいませんように。自分を責めてしまいませんように。これから、幸福な人生を歩めますように。そう、祈りをこめました」
シェイラはイディオンに視線を合わせた。それから、やわらかくほほ笑む。
「笑って……くださいますか?」
尋ねれば、突然だった。
「シェイラ」
たえきれなくなったように、イディオンがぎゅっとシェイラに抱きついた。それから、何度もシェイラの名を呼んだ。何度も何度も。
あきらかに涙声で、シェイラの胸元に抱きついてきた姿は、顔をあげなかった。
シェイラの願いを聞き入れて、今この瞬間から見せないようにしているのだと思った。
そういうイディオンの振る舞いに、どうしようもなく込み上げてくるものがあった。目の奥がぎゅっとする。抱きついてきたイディオンにシェイラも抱擁を返す。
「——ずっと」
シェイラは言う。
「気にしていたんですよね。わたしの寿命のことを」
すぐに話しておけばよかった、と後悔する。きっと抱えこんでしまっていたのだ。出会った時から、そういう子であった。
「自分が命じたから、わたしがさらに命を短くしたのではないかと、気にされていたのですよね」
ごめんなさい。シェイラはそう言う。
「わたしはむしろ、ありがとうございます、と思っていましたよ。空っぽなわたしに、王都を守りたいというあなたの願いを預けてくださって」
「シェイラ……」
イディオンの顔が上がる。泣いているのにがんばって笑おうとしている顔だった。
「なんで、あなたはいつも……」
「——イディさんが、わたしと似ているから」
かぶせるように伝える。
「あなたの苦しみが、わたしの昔の苦しみに似ていて……、だから、どうしても導師としてではなく、ただのシェイラとして、あなたの手を引っ張りたかった」
導師失格です、とシェイラは笑う。
「ほんとうはもっときちんと距離をわきまえたかったのに……イディさんの魔法が成功した時、うれしくてうれしくて」
「……ぼくもだ」
「わたしみたいにならなくて、よかったって……」
イディオンのシェイラをつかむ力が強くなった。
「ですから、どうか笑ってください。あなたは立派になります。笑って、関わってよかったと……わたしの自尊心を満たしてください」
シェイラが胸元を覗き込むと、イディオンは涙をこぼしながら強く肯いた。
「ああ」
イディオンが笑む。
「笑う。泣くのは、今日で最後にする」
「はい。お別れの日も笑って、見送ってください」
ああ、とイディオンが手甲を強く握る。
きつく抱きしめ合うふたりの背後では、ガルバーンの都が七色に輝いていた。




