145話:シェイラの問い
「それで、あなたはどうかしら、イディオン王子」
イディオンは、ヴィクトルの背を見送ってから、ガザン師に再度問われる。
「どうして、わたくしがあなたにこんな秘密を喋ったのか、わかる?」
「ぼくは……」
今聞いたばかりの話を反芻する。
シェイラの秘密。自分の命を代償にして、〈命脈〉という力を得て、魔導を使えるようになった。残りの寿命。
イディオンのなかに、それは不思議なほど馴染む話だった。
(シェイラであれば……)
そういうこともありうる、と。
答えがわかってしまうと、自分の非力さが露呈するようであった。
イディオンはガザンの問いの答えを持たない。黙り込む。
そんなイディオンの心境も、この老師はお見通しなのだろう。ふっ、と息を漏らして笑われた。
「まあ、まだ急な話だものね。でも、考えておいてちょうだい」
「……はい」
膝のうえに置かれた手を見る。
その手は、どうしようもなく、子どもの手でしかなかった。十六であるからといって、なにかをするにも、得るにも、小さかった。
(ぼくは無力だ)
まだ魔法もはじめたばかりでまともなものは使えない。シェイラになにかを返すこともできない。ましてや、彼女の削られたものをどうのこうのするのも。
(六年……)
短い。
魔導師の寿命は長いはずなのに、代償を払ったシェイラの寿命は、あまりにも短すぎる。
(今日ぼくが、シェイラに〈蒼鷹〉を倒すように言わなければ……)
少なくとも、もう少し残っていたのではないか。
そんな思いが去来する。
これまで自分を囚えてきた何本もの手が、できそこないのお前を待っていたぞ、と後ろからぬるりと這い戻ってくる。
そんな心地が、した。
〜*〜
シェイラはそれから一週間以上、目を覚まさなかった。
無理が祟ったことで、体内の{修復}に時間がかかっているのだという。
「物理的にも、〈命脈〉自体にも負担がかかったから、仕方ねえ」
サルオン老師はそう言って、メイベ・ガザンとともに、ガルバーンをあとにした。
客室を与えたままだったので、イディオンはシェイラを毎日見舞った。眠っているあいだ、シェイラの体には、ユベーヌの古代線上文字が銀色に浮き上がっていて、そのまま彼女が呪法の供物として捧げられてしまうのではないかと思えて、イディオンは離れるのがこわくてたまらなかった。ましてや、自分の願いでこうなっているのだから、その願いの代償になってしまったのではないかと、恐怖した。
「お前は王子として、私の代理として、できるかぎりのことをやったよ」
そう言って、イディオンを慰めたのは、母女王であった。
「立派だった。よくやった」
「母上……」
「シェイラータだって、きっとそう言うだろう」
「はい……」
「心配なのはわかるが、死にはしないとメイベが言っていた。お前は、シェイラータがいつ目覚めてもいいように、きちんと今できることをやりなさい」
「……はい」
「目覚めたらすぐに、王子宮に連絡しよう」
母に言われて、イディオンは肯くしかなかった。
シェイラは十日後、目が覚めた。イディオンはすぐに駆けつけたがとても話せるような状況ではなく、結局シェイラがまともに話せるようになるのは、それからさらに数日を要した。
「——ご心配をおかけしてすみません」
たまたま、いつもの福音ノ日だった。その曜日はシェイラがイディオンに指導をする日だったから、イディオンの時間はたっぷりある。
シェイラは、入室してきたイディオンに開口一番、すぐに謝った。
イディオンは真顔で、シェイラを見返すだけだった。
「まさか、〈蒼鷹〉が二体も出るとは思わず」
「…………」
「少しだけ、無理しすぎちゃいました」
「…………」
「三体目とか、反則ですよね? 師匠たちが来てくれなかったらまずかったです。さすがにわたしもあの時は絶望を覚えました。なんであんな危機的状況に都合よく来てくれたのかわからないんですが、とにかく師匠たちが来てくれてよかったです」
イディオンが喋らなくても、シェイラは最初の頃のようにぺらぺら喋りつづけた。
「サルオン老師の魔導見ましたか? あれ、ものすごく気持ち悪いですよね。あの手術刀、ただの金属じゃなくて蟲の形を残せる魔術がかけられているやつらしく、倒すところも気持ち悪いのなんの」
「……シェイラ、」
イディオンが口を開いたので、シェイラは喋るのをぴたっとやめた。
「聞いたんだ」
「ん? なにをです?」
なにせ二週間も眠りこけていたから、いろいろ聞いていることはあるだろうと推測する。
「……ガザン老師から」
なにをだろう、と考えていると、イディオンからその人物の名が上がって、シェイラは頭がすうっとした。
あー、と声が出る。
「聞いちゃいましたか」
「……うん」
「わたしの〈脈〉のこと?」
「……うん」
シェイラは墓穴を掘らないように慎重に確認する。
「わたしが払った代償のことですよね?」
「……うん」
答えを聞いて、もう一度、あー、と声が出る。
「……すみません」
「シェイラ……」
「話していなくてすみません」
「なぜ謝る」
「わざと話していなかったので」
シェイラは溜息をつく。
「すみませんでした」
ぺこっと頭を下げた。薄色の髪が、垂れ下がる。
「——謝ることじゃない」
イディオンの明確な否定があった。
顔を上げる。縹色の目と合った。
「もしぼくがシェイラと同じ立場だったら、ぼくも言わなかった」
その目は静かに哀しみをたたえるように移ろう。
「だから、謝ることじゃない」
断言される。いつもならへらりと笑えるはずなのに、笑うことができなかった。
シェイラのなかで、名状しがたい気持ちが、浮かび上がってくるようであった。
自分の寿命が短くなったと知った時、特にうろたえることなく、そっか、と受け入れていた。リマスという師の命も犠牲にしたのだから、しっぺ返しがあって当然だ、とさえ思った。
おそらく、リマスに殺されそうになった時、死にたくない、と願ったからこそ、自分の寿命が削られたのだろうということも、わかっていた。
これまで、ガザンとサルオン以外は、シェイラの体のことも寿命のことも、だれも知らなかった。知られずに過ごしてきて、知らせずに過ごしてきて、これまでなにも問題なかった。わざわざ話すことでもなかったし、話したところで支払った代償が戻ってくるわけでもなかった。
淡々と、受け入れていたのだ。
(それなのに……)
イディオンから断言されてしまうと、急に自分が、それらすべてのことを、無意識のうちに受け容れられずにいて、だれかに話せるほどの力を、ただ持ち合わせていなかっただけなのではないかと、そう気づいてしまった。
無性に感じられてしまって、なにも返せなかった。
ゆっくりと、俯く。
ただ、ゆっくりと、たっぷりある時間が過ぎていく。
視線を動かせば、窓が、曇っていた。温突と筒が張り巡らされている貴賓室は、あたたかい。室内と室外の気温差で、結露しているのかもしれなかった。
シェイラが眠っている二週間のあいだに、季節が秋から冬へと変化していたのだろう。それは同時に、自分の残された命脈も、少しずつ少しずつ短くなっていることを示す、移ろいだった。
「——なぜ」
ふいに、シェイラはその疑問が浮かんだ。
イディオンがこちらを見る気配がした。
「なぜ……、魔法が使えないということが起こるんでしょうね」
シェイラは、窓を見ながらつぶやく。
「そんなことが起きなければ、イディさんも、わたしも、困らなかったのに……」
イディオンがシェイラを見つめる。
「……こんな体にもなりませんでした」
ぽつりと言う。
水紋石の模様ができるように、静かな室内に広がっていく。
「——わからない」
しばらくして、イディオンがそう言った。
「今のぼくは……その答えを持ち合わせていない」
シェイラの問いとも言えぬ問いに、イディオンはただそう応じた。
(……やさしい方)
シェイラは微笑する。
「そう、ですよね」
シェイラも、ただそう返した。




