144話:ひばりの願い
ひばりは、枕に濡れる自分が、自分ではなくなってしまうのではないかというくらい感情があふれて、とけて、どうすればよいのかわからなかった。
(なんで……)
ガルバディアに来たせいだからだろうか。
(なんでよ……)
ヴィクトルとシェイラの再会を、黙って受け入れてしまったせいだろうか。
ほんとうはいやだった。いやだったけれど、すでに起こってしまったことで、あの場ではどうしようもなかった。それに、すぐにヴィクトルは自分の機嫌を取りに来てくれた。それだけで十分で、それだけで満たされていた。
(それだけでよかったのに)
なぜ、こんなに胸が苦しいのだろう。
告白して、振られたわけでもないのに。胸が苦しくてたまらなくて、息ができないようだった。召喚された当初の、少し距離を空けられていた時よりも、ずっと苦しく、締め付けられるように胸が痛かった。
ぼろぼろと、紅でも蒼でもない、なんの変哲もない茶色の目から涙が落っこちていく。
「ヒバリさま、どうされましたか」
入室してきた侍女だった。侍女と言っても、元はオルリア聖教の修道師だという。今は還俗して、ひばりの世話をしてくれていると聞いた。名は、アマリア。
はじめは、少し堅苦しさもあったが、最近は話しやすい。同年代ということで気心が知れるようになった。かつての親友、名前の似た、陽毬を少しだけ思い出す。
「アマリア……」
ひばりは、顔をあげる。
涙にぐしょ濡れの顔を、アマリアは、おいたわしい、と言う。
「せっかくのおきれいな顔が台なしです」
「べつにきれいじゃないよ。ふつうの、のっぺりとした顔」
「そんなふうに卑下なさっちゃいけませんよ。言霊というのですから。自信を持たなくては」
言いながら、アマリアはひばりの顔を拭ってくれる。
水の魔術で濡れたタオルは、温度がちょうどよくさっぱりする。ひばりも、聖魔法だけでなく、他の魔法も使えればよかったと思う。
「なにかあったのですか?」
「……ちょっとヴィックと喧嘩しただけ」
「まあ、ヴィクトル殿下と? あの方が喧嘩? ほんとうに?」
アマリアは驚いたように目を丸くする。
全然そんなことではなかったが、説明したくなくてアマリアが思うとおりにしておく。
「喧嘩するほど仲がよいと言いますし、お気にされることはございませんよ」
「…………」
「そうだ! そうしましたら、とっておきのものを、ひばりさまに授けますわ」
顔色の悪いひばりに、アマリアはお仕着せのエプロンから、がさごそとなにかを取り出した。
木彫人形、のようだった。小さくて、ひばりの手にちょうど収まる。
「願いの叶う人形です。実は最近、私たち侍女のあいだで流行っているんですよ。よく効くっていうおまじないです」
「そうなの?」
おまじないというのは、女心をくすぐる。
「はい。使われてみます?」
アマリアがいたずらのように尋ねる。
「ちょっと使ってみたいかも」
「では、一個差し上げます」
「ほんとうに?」
「はい、枢機卿には内緒にしてくださいね。この手の俗っぽいものはうるさく言われるんです」
「この人形、ちょっと顔こわいから、なんか言いたくなるのはわかる」
人形というのは、夜に浮かぶ目を思い出す。子どもの頃に、布団の隙間から見えた、ぼんやりと浮かび上がった目を。市松人形ほどではないけれど、この人形も、あの夜を思い出した。
「そういう不気味なもののほうが、効果が高いんですよ」
アマリアは得意げに言って、ひばりの手に人形をひとつ渡した。
「今日はちょうど、ひばりさまに差し上げようと思って一個持ってきていたんです」
「……ありがとう」
気づかいに、ひばりはうれしくなった。悲しくなっていた気持ちが少しほっこりする。
こういう女同士の他愛のないやり取りが、たまらなかった。陽毬とのことを思い出す。
好きな人を打ち明け合う。見つからないようにきゃーきゃー言いながら、放課後、好きな人の靴をこっそり履くような、ちょっとしたおまじない。それを、楽しむ他愛のない日常。
ひばりの愛する日常だった。
「どうやって使えばいいの?」
「呪文を教えて差し上げます。人形を持ちながら、それを三回唱えて、枕の下に入れてください。眠る時に願いを込めてください」
「わかった……!」
楽しみ、とひばりは、アマリアと顔を合わせて笑う。
そして、ひばりは、眠る時にこう願った。
——また、ヴィックと、他愛のない話ができますように。




