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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第7章:できそこないの王子─後編─

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143話:ヴィクトルの意志

 ヴィクトルは、自分のなかを、目に見えないなにかが突き抜けていくのを感じた。



 オルリア聖王国の王太子。

 王族としての無私。

 聖剣使い。

 〈霧の厄禍〉を祓うもの。

 聖女の伴侶となるもの。



 そういう、さまざまな自分自身に貼られていた紙札が、突き抜けていく振動とともに、古びた翡翠スギの樹皮のように落ちていく気がした。

 今まで、ヴィクトルがなしてきたこと、無私を貼り付けてきたことが、意味のない、たいしたこともない、虚構のかたまりであるような感覚を得た。


 敷かれた{導線}という言葉を、ふいに強く、自分に刻まれるように思い出す。



『かわいそうな人です』


 そう言った、幼い頃のシェイラの顔も。



 ——自分はこの、魔法が満ち、霧に覆われる大陸という巨大装置に敷かれた、{導線}だ。おそらくはだれよりも、この装置に適合した{導線}。サージェストが古代帝国を樹立してから千六百年。そのなかで一番適応しきった{導線}なのであった。


 どうしようもないほどに、自分というもののない、生まれるより前からすべて造られてきた{導線}。

 生まれてしまったのだから、どうすることもできないと言いわけを重ね、責務という言葉に甘えてきた、しがない{導線}。


(それなのに)



 ずっと、隣に、いようとしてくれていたのか。



 魔法が使えない苦しみを抱えながら。その苦しみを一人で負い、隣にいようとしてくれた。



 ——命を削ってまで。



『——トールには……わかりません』



 わかっていた。わかっていたつもりだった。言葉だけの人間ではない、と。けれど、ちがった。


 ひとりで静かにエシアの河辺で砂金をさらうように、ひとりで静かに、長外套(ローブ)の汚れを取る。そういう静かな情を、身のうちに宿しているのが、シェイラータだった。


(この感情を……)


 打たれるように、突き抜けていったものを、なんと呼べばいいのだろう。


 なんと呼んで、彼女に応じればよいのか、ヴィクトルはわからなかった。およそ説明のつかぬ情は、わからず、澱となる。虚ろを感じていたところに、溜まり落ちていく。溜まったものが、霧が(こご)るように、固まっていく。


 これまで足を止めてきた、一切合切のしがらみが、すべて剥がれ落ち、なにをなさねばならないのか、ヴィクトルのなかで定まっていく気配がした。結ばれ、僅かな間のうちに、強い意志が、己のなかに収斂するのを、感じた。


「——わたくしが、」


 メイベ・ガザンは、問う。


「なぜ、シェイラの隠したがっていたこのような話を、あなたたちにしたかわかる?」


 ヴィクトルは、顔を上げる。緋色の視線を、紅の双眼で迎え撃つ。



「——わかる」



 短い、一言。


 迷いも、虚ろも、なかった。あるのは、収斂しきった意志のみだった。


「そう。それはよかったわ。《《ヴィクトル王太子》》」


 メイベ・ガザンの眼が、心底楽しいものを見た、そう言っていた。


 ヴィクトルは立ち上がる。外套を翻し、出口へと向かう。


「シェイラに会って行かないの?」


 老師の疑問に、ヴィクトルは瞥見して答える。


「今の私には、彼女に会う資格がない」

「そうかしら? きっと喜ぶわよ」

「……会わせる顔がない」

「…………」


 そう言って、ヴィクトルは扉からすべるように姿を消し、そのまま{転移}で王城をあとにした。


 離宮の、滞在する場所に移る。

 自身の仮宿となった部屋に、体をすべり込ませる。そうしようとしたところ、背に声がかかった。



「——ヴィック!」



 体調は大丈夫であろうか。

 室内着に着替えたヒバリは、いささか顔色が悪そうだった。


「お城のほうは大丈夫だった? あおい……なんだっけ、あおいばさばさが出たんでしょう?」


 そう尋ねるヒバリは、いつもどおりだった。

 いつもどおり、ヴィクトルに他愛のない会話を求める、彼女だった。


 きっと、これまでのヴィクトルであれば、それに応じていた。「あおいばさばさってなんだ」と笑いながら、無私の仮面を貼り付けて、他愛のない返答をしていた。



 けれど、もう、できない。



 異界より、こちらの都合で勝手に招いた彼女に、むごいことをする。それをする罪悪感を、ヴィクトルは真よりはじめて覚えながらも、告げた。



「——ヒバリ、今まですまなかった」


「え?」



 なんのこと? とヒバリはきょとんとする。

 その無邪気さに、心の底から詫びる。



「もう私は……」



 ヒバリの目を見る。

 しっかりと、伝える。



「君と、他愛のない関係は結べない」



 ヴィクトルの言葉に、ヒバリが目を見開く。


「君のことを、ラータと同じように思うことはできない。ずっと……はぐらかしてきて、すまなかった」


 なんで、とヒバリがつぶやくように問う。


 その言葉を噛み砕いだように、感情の乗った声がヴィクトルに訊く。


「なんで……! だって、あたしはそもそも、シェイラさんと同じような立場を望んだわけじゃない! ただ、楽しくて、他愛のない、そういう関係であればよくて——」


「けじめなんだ」


 ヒバリの叫びに、ヴィクトルは言う。



「私なりの、ラータへの、君への、けじめなんだ。すまない。許してくれとは言わない。ただ、今までの謝罪をさせてくれ。……すまなかった」


「ヴィック……!」


「君の……君の、他愛のない関係というのは、結べない。これからはできない。なぜなら、それは君の、心からの望みだろう? 心から願い、求めているものだろう? だったら、私は同じものを、君に返すことができない」



 ヴィクトルはヒバリの栗色の瞳に、そう伝えた。


 ヒバリの目が見開かれる。滲む。滲んで、そうしてぱっと元来た道に消えていった。


 後味の悪さを、ヴィクトルは、己が歩んできた汚濁とともに呑み込む。そして、すべてを呑み込んだうえで、顔を上げた。



 強い意志を、胸に刻む。



 ——もう、ためらわない。



 言いわけをしない。



(必ず、ラータを……)



 ヴィクトルは、紅の双眼にその意志を浮かべた。

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