138話:王子の使命
{拡張}した感覚と反射で動く体がなければ、きっとシェイラは攻撃を直に受けていた。シェイラの横をなにかが通り抜けていった。
煽りを受けて吹き飛ばされるほどのもの。
シェイラの小さな身体を、紙切れのように城壁に突き飛ばす、《《なにか》》。
「……うっ、ぁ」
背中が痛い。咄嗟の反射と受け身。長外套。それで助かった。
シェイラが当たって壁面が崩れた城壁が物語る。
(今、なにが……)
顔を上げる。シェイラの横を突き抜けていったなにか。
「あれは……」
——〈蒼鷹〉だ。
現世に見られる蟲の最凶の一。蒼羽の鮮やかな鷹。
それが一体、飛翔、旋空している。{防護}障壁に守られた城下の獲物を狙うように。
「なぜあんなものが……」
ぶつかった衝撃で、シェイラの頭が動かない。次々と湧いてくる蟲たち。呪了師。{霧喚び}の陣。そういうものをつなぎ合わせて考えなければいけないのに、痛みでうまく思考が働かなかった。
「——シェイラ!」
イディオンだった。
頂上城壁にぶつかり落ちたシェイラのもとに、蒼白な少年がやってくる。
「イディさん……」
大丈夫だと言ったのに、みっともない姿だった。
「シェイラっ、無事か?」
「無事です。すみません。〈雲虹〉は片づけました」
「急ぎ薬水瓶を……」
「シェイラ!」
今度はフェノアだった。シェイラに駆け寄ってくる。後ろにラムルも付いてくる。
「あなたが突き飛ばされるのを見たわ。戦闘に長けたシェイラを突き飛ばすなんて、信じらんない。〈蒼鷹〉よ。——見たことあって?」
「ございません。基本的に戦闘には参加しませので」
フェノアが後ろに尋ねれば、魔導師歴九十年のラムルが首を振る。
「ふつうはありませんよ……」
シェイラは痛みを感じながら、立ち上がる。
「わたしも見るのは、二年ぶりです」
「シェイラ、無理したらだめだ」
よろっとするシェイラにイディオンが駆け寄る。
「あなた、見たことがあるの?」
「ヴェッセンダリアに出たんですよ。二年前に。少し戦ったことがあります。当時は歯が立ちませんでした。群れだったのもありますが……」
シェイラは言いながら、未だ旋回する〈蒼鷹〉を見る。
「あれはまずいです。滑空する前になんとかしなければ……」
滑空すれば、今張られている{防護}障壁は確実に破壊される。そうすると、〈蒼鷹〉だけでなく、まだ駆逐しきれてない他の蟲たちまで都を襲う。止めなければいけない。
「黒檀は……?」
「首都魔法学園のほうに向かった蟲を追ったわ」
ユートやキルシュのいるところだ。
(それは対処してもらわねば)
黒檀の使役する魔鳥がいれば、あるいは、と思ったが、致し方ない。
「では、わたしがやるしかないですね」
他の魔導師たちや討伐隊の面々は、べつの蟲を駆逐している。
シェイラがやらねばならないだろう。
「だめだ、シェイラ!」
イディオンのいつにない切迫した声が響いた。
シェイラがさきほど壁にぶつかったせいだろう。恐怖がありありと表情に出ている。
「大丈夫ですよ、イディさん」
「信じていないのではない! あれは危険だ! だれもが知っている!」
シェイラが安心させるように笑んだが、悲鳴を上げるようだった。篠突く雨に柳弦の音が甲高く鳴る。
「一度、戦ったことがあるので大丈夫です。二年前はだめでしたが、二年前より戦闘経験を積んでいますし、魔導の力も強いです。なんとかなりますよ」
「だが!」
「だれかが、やらねばなりません。あのままにはできません。そして、今王都に残っているもので、まともにあれとやり合えるのはわたししかいないです」
「それでも……」
「イディさんは、むしろ、女王陛下に救援を。おそらくあちらは戦力過多です。わたしが倒せたらいいですが、倒せない場合、足止めにしかなりません。倒せる方を連れて来ていただきませんと」
「もう出したよ……」
イディオンの音はどんどん弱々しくなっていく。
「そうですか。立派ですばやいご判断です。さすがです。すごいです」
「シェイラ……」
なおも抵抗するイディオンに、シェイラは、膝をついて目線を合わせる。雨溜に膝が濡れていく。
「——イディさん、この美しい都を守るのでしょう?」
蛍モミの枝で聞いたイディオンの願い。魔法を得たかった理由。
「今それをできるのが、わたしです。そして、あなたは王子です。今は非常事態。王子であれば、魔導師のわたしに命じられる」
シェイラは問う。ほんとうか。その願いは、真に求めるものか。
なら、どうするべきか。
「どうかお命じに」
雨が刺す。無数の細かな針となって。きっと、やさしい少年の心を痛めている。
時間がなかった。そろそろ、旋回が終わる。
シェイラが雨粒を呑むようにしていると、イディオンの顔が上がった。
「——魔導師シェイラータ」
イディオンの縹色の瞳は、揺らめいていた。
「はい」
「そなたに、女王代理として第一王子イディオン・ガルバディアの名において、〈蒼鷹〉の撃退を命ずる。
——シェイラ……王都を、この美しい街を、守って」
いらえのまにまに、互いの瞳の青が交わるようであった。
行き合って、雨音に沈んでいく。
「——……承知いたしました、イディオン殿下」
シェイラは、最高礼で受けた。
そのまま、フェノアとラムルに視線を向ける。
「すみませんが、わたしの魔導の支援をお願いいたします」
ふたりが肯くのを確認すると、背を向ける。翅を広げる。宙に浮かぶ。
「シェイラ、無事に戻ってくることを約束して!」
イディオンが叫ぶ。シェイラはくるっと後ろを振り向くと肯く。
「はい、約束します」
シェイラは、いつもと同じ笑みを浮かべると、〈蒼鷹〉のいるほうに翅を羽ばたいた。
〜*〜
「——特に大きなことは起きなかったね」
ヒバリの言葉に、ヴィクトルは肯いた。聖剣を使ったあとの残光が消えていく。
「そうだな。いつもどおりどころか、今回は女王陛下がいたから、楽だったくらいだ」
ヴィクトルは、穿たれ、焼き払われた、セゾン丘陵の大地を見た。
信じられない力である。ほとんど一瞬にして、〈蜈蚣〉や〈姑悪〉の群れを屠ってしまった。一切の隙もなく、一匹の取り残しもなかった。
「——なんだ? 余を褒めているのか?」
にやり、と銀髪の女王が美貌に老獪な笑みを浮かべた。酷薄すぎる笑みに、ヴィクトルは背筋に冷たいものを感じる。
「女王がいらっしゃれば、〈霧の厄禍〉も恐るるに及びません」
「よいよい。褒められるのは悪い気持ちにはならないからな」
グシェアネスはそう言うと、得意そうに胸を反らす。そうすると、見た目通りの年齢に見えるものだから、痛快な人であると思えた。
絶対女王はその名に信頼が乗せられるからこそ、呼ばれる。民から慕われる証左にちがいなかった。
「じゃあ、あたし、{浄化}に行ってくるね。きちんと霧払いしないと」
ヴィクトルがグシェアネスと話していると、ヒバリが明るくからっと言った。
ガズール枢機卿に連れられて、丘を下っていく。
ヒバリの背中を見送るとともに、駆け上がってくる者がいた。ガルバディアの伝令兵だ。顔面に焦燥と蒼白を同時に浮かべている。
「——女王陛下、申し上げます!」
「よい、話せ」
跪いた伝令に、グシェアネスが許可を出す。
「イディオン殿下より、〝王都に蟲の襲来あり。霧たち込めて暗中となり、救援求む〟とのこと」
「なにっ?」
伝令の言葉に、女王が血相を変えた。隣で聞いていたヴィクトルもまた顔色を変える。
「どんな状況だ?」
「とにかく次から次へと蟲が。はじめは〈浮塵子〉のみでしたが、だんだんと凶暴なものも出はじめ、私が出る頃には〈雲虹〉まで」
「——〈雲虹〉だと?」
ヴィクトルは声をあげた。王都にはシェイラがいる。〈雲虹〉はシェイラの母を喰った蟲だ。彼女が〈雲虹〉を見れば、どうなるのか知れない。
知らず、足が動いていた。
{転移}を発動させる。
「——殿下!」
消える前に、ロゼイユ公の声が聞こえた。女王が急ぎ他に命じる声も。
ヴィクトルの耳には、残響となるだけだった。




