137話:〈雲虹〉
「シェイラータ、ひとつ気になる気配が」
「え?」
「呪了師が数名集まっているところがある。きな臭い。行けるか?」
「わかりました」
「護符は持っているか?」
「ええ」
シェイラは場所を聞くと、飛ぶ。
(まさかこれも……)
呪了師たちの仕業なのであろうか。
(こんな大規模なことが……)
可能であろうか。シェイラはそら恐ろしい気持ちがして、その場所を目指す。だが、到着するとすでに呪了師たちの姿はなかった。{索敵}に引っかかったことを知り、逃げ失せたようだった。ただ、呪術を行使したあとだけが草地に残っている。
大きな陣だ。けれど、その陣もまもなく消えようとしている。
({霧喚び}の陣……)
〈猿猴〉を喚ぶものと似たものだ。陣自体にさまざまな蟲の血が使われている。
先日の狩猟祭、渓谷から湧いた霧も、これが原因だろうか。陣を消して退散したのかもしれない。あらためて痕跡をさぐる必要を感じる。
(いったいなにを目的に)
私怨であろうか。
だが、それにしては手が込んでいるし、だれかを狙っているような様子ではない。どちらかというと、無差別さを感じるものだ。
わからなさに、不吉なものを感じる。異様な寒さを感じる。
——カーンッカンッ、カカンッカーンッ!
また鐘が鳴った。次の蟲が現れたのだろうか。
呪了師が捉えられないのであれば、シェイラも前線に行かねばならない。翅を開いて、飛び立つ。見た陣を目に焼きつけて記憶に保持する。
そうして、シェイラは雷光が走るのとともに、上空に立ち込める霧から数匹で降り立つ——〈雲虹〉を認めた。
シェイラの母を殺した蟲。仇。
それらが数匹で下降する。〈雲虹〉は一匹でも凶悪だ。数匹で来られては、歴戦のものでもそれなりの力がなければ太刀打ちができない。
下降先は、城だ。王城の山頂部。
——イディオンたちのいるところ。
認識した瞬間、シェイラは{転移}を発動させていた。
〜*〜
イディオンはその時、王城の頂上部、宮城内で妹ティアランを連れていた。
母女王と父王配、王太子である弟は、数日間セゾンを訪れており、イディオンはそのあいだ、宰相とともに留守を預かっていたのだ。
宮城内で特に強靭な結界が張られている、謁見の間を目指していた。一度外に出なければならず、ずぶ濡れになる。
「兄上さま……」
「大丈夫だ、ティア。兄上がいる」
不安をもらす妹は十一で、イディオンより背丈があったが、それでもイディオンは兄で、ティアランは妹だった。
母女王の存在によりこのように王都が蟲の群れに襲われたことはない。ティアランが不安になるのは当たり前で、イディオンも正直言えば不安と恐ろしさがあったが、兄としてしっかりとした顔を見せねばならなかった。
自分より背丈のある妹の手を引く。安心させるようにぎゅっと握り込んでやる。
「——殿下!」
裂帛の声が上がったのは、まもなく謁見の間に入るところだった。
振り向いた瞬間、イディオンは動きを止めた。
上空から数羽だった。
美しい鳥であった。
虹と称されるのがわかる。鮮やかな七色の、ガルバーンの都を映した鳥ではないかと思えた。姿も優美そのもの。
鶴——丹頂だ。
図画で見たことがある。銅版画で描かれるその鳥——蟲は、〈雲虹〉だ。目のない、丹頂。
シェイラの母を殺した蟲。
それらが優雅に舞い降りてきて、雅な姿そのままに細長い嘴で上空を突いた。
割れる音。王城周囲の{防護}を破る音。
それらがゆっくりと聞こえる。下降する。
「——殿下っ!」
一度目を、近衛のゼイドが防いだ。火炎をまとった剣で、一羽を相手取る。剣戟の音。嘴と剣がぶつかる。
だが、下りてきたのは一羽だけではなかった。まだ三羽いた。残りの三羽が鋭い嘴をイディオンたちに向ける。他の近衛が動き、それらに立ち向かう。
「兄上さまっ!」
ティアランが叫んだ。
「急げ! なかへ!」
我に帰って、イディオンは妹に言った。
謁見の間の{防護}は外より強固なものだ。女王の特別術式だという。入ってしまえば、襲われても問題はない。
ティアランを前に行かせる。妹を謁見の間へ放り込み、イディオンは後ろを振り返った。交戦するゼイドたちを見る。
優秀な近衛たちだが、〈雲虹〉は並の蟲ではない。蟲のなかで二三を争う凶暴性と強さ。
押されている。それがわかって、イディオンは足が止まった。不安と心配がもたげる。ゼイドたちの姿を振り切れない。
「——大丈夫ですよ」
隣に、ふわっと香りがたった。あまい香りだ。摘んだばかりの葵葉草と甘橙を調合したようなにおいなのだと、最近わかった。いつもなんの香りかわからなかった。わからなくて、一番はじめに選び取った言葉は、どうにかして彼女の記憶に残りたかったのだと、今では振り返る。
「——シェイラ」
イディオンの信頼をすべて預けている人。
不安と心配がとける。もう大丈夫だ、と肩から力が抜ける。
「頼んでいいか」
「はい、もちろんです」
シェイラの笑顔に、イディオンはティアランのもとへ向かう。
もう、なんの心配もいらなかった。
シェイラは、イディオンの背が謁見の間に消えるのを認めると、すぐに動いた。
矢を描く。無数の矢。
元素の力から、火、水、風、大地の力を呼び寄せる。
ゼイドをはじめとした近衛の頭上に、雪華の{防護}陣を描く。
そうして、元素魔術による尽きぬ矢を降らせた。降りしきる雨よりも強く、すべてを射抜くように。
キィィィと金属音ような声があがる。極細色の羽を、降り注ぐ矢の盾にしようとする。〈雲虹〉の羽は堅い。滅多な攻撃では体を裂けない。
だが、
「ここは、どうでしょうか」
つぶやくと、矢の雨は収斂した。石に孕む鉄の力を持ち、炎と氷と風の力をまとって、〈雲虹〉の目のない瞼を射抜く。
三羽は、かばう隙がなかった。シェイラの描いた矢に、金属音を鳴らして、喚きもがく。それでも、霧に帰ることはなかった。もがいたところに、近衛の剣が突き立てられると、やっと、一羽、二羽、三羽と消えていく。
残り一羽が、飛び立った。致命傷を負わせていない一羽。
シェイラも追って、飛び立つ。待っていたかのように向きを変えて、シェイラに急速に接近する。
細剣のような刺突だった。雪華を描く。鋭く、はやい。{防護}の合間を縫うようにして、刺突が繰り返される。
「っ……」
いくつか、シェイラをかすった。痛みもまた鋭い。
{防護}の展開を広げる。強靭な嘴に、陣がたわむ。防戦一方ではいられなかった。
シェイラは左手で陣を展開しつづけながら、右手でもうひとつ描く。
「弱点はわかってます」
なら、そこを打ち狙えばいい。
——庇いきれないほどに。
すっと上空に向けて、短く呪文を放る。
沛然とした雨より突き抜ける稲妻。
赤雷が、〈雲虹〉の頭部を穿った。
キィィィィと断末魔の声があがる。
〈雲虹〉の体が落下する。落ちながら、村雨のなかに煙っていく。
「…………」
シェイラはそれを傲然と見下ろした。
見下ろしながら、腕が、手が、指が、震えていた。全身がうち震えている。
(母さん……)
——あの時の、〈雲虹〉ではない。ちがう。異なる。
けれど、
(やりました。ちゃんとやりました)
倒せた。倒すことができた。今度は恐怖に支配されることなく、倒すことができた。
イディオンも、ゼイドたちも守ることができた。
ほっと、シェイラは胸を撫で下ろす。
自分の恐怖体験に打ち克つことは、冷たい雨が気にならないくらい、誇らしいことだった。肩の力が抜け、弛緩する。体中が満たされているようだった。
だから、油断した。




