136話:秋霞
(なんだ……?)
セレリウスは、精霊たちがいつになくざわめくのを聞いた。
首から吊るした振り子を握り込む。ずっと手で握っているのは、億劫なので、紐をこさえてかけられるようにした。衣服の下に滑り込ませれば、肌に直にふれる。精霊たちも見やすく聞こえやすい。
普段はまるで飛蚊症のように精霊たちが見える。
そういう状態をターニャ師に説明すると、
「精霊を飛蚊症なんて……」
と絶句されてしまった。
(一番適切な表現だ)
ちらつくけど、さわれない。邪魔ではないが、視界のなかをたゆたう。まちがいなく飛蚊症だ。
普段はそれでいいが、こういうなにかを報せてくる時などは、明確にその姿を見て声を聞かないと、意味を解すことができない。
そういう場合は、振り先を握り込むとよく聞こえた。
《ばさばさが来るよ》
《だれがまもる?》
《なかま、しんぱい》
精霊たちが口々に言う。
セレリウスにはさっぱりわからない。わからないが、わからないままにしてこちらが歩み寄るのを忘れてしまわないことだけは、気をつけていた。それだけで変わる関係性があるということを、セレリウスはこの数ヶ月で学んだ。
「ばさばさってなんだ? 蟲か? 今頃、女王と聖剣使いが倒してる。心配するな」
今年の秋霞の訪れは、霧詠みによってセゾン県に出ることが詠まれていた。数日前より女王と聖剣使いが、わざわざ祓いにやって来ている。県下の学園や学院も、休校となって、セレリウスは屋敷の自室で暇を持て余していた。
《ちがうよ》
《ちがうちがう》
《セル、察しわるい》
「うるさい」
話すのやめるぞ。
《あっちだよ》
《あっちあっち》
《みやこだよ、みやこ》
「みやこ? 王都か……? 王都に蟲か?」
王都に霧の予測はされていただろうか。
《なかま、しんぱい》
《虹だけど、虹じゃないばさばさがくる》
《あおいばさばさも》
なにを言っているのか、もうよくわからなかった。
セレリウスは努力した。がんばった。歩み寄った。今日はもう終了だ。
「とりあえず、心配なことはわかった」
《また、あいつらのしわざ》
《ひっかけひっかけ》
《みやこのほうがいっぱい》
「わかったわかった。連絡でもしておく」
王都には、シェなんとかという導師がいる。名前が長すぎていつまで経っても覚えられない。
セレリウスはとりあえず、急ぎの書簡をしたためて、精霊に力を借りて、導師の顔を思い浮かべながら手紙を手渡すように送ってやる。ヨハルで試しているから問題ない。ちゃんと届くことは証明済みだ。
それから、振り子を握るのをやめて、うるさい、と精霊たちを追い払った。
〜*〜
(なんですか、これは……)
シェイラは、自分の手元に唐突に現れた手紙を見た。
大地ノ日だった。通常であれば、セゾンの高等学院に顔を出す日だったが、秋霞の影響で休校だった。
「その字、見覚えがあるわ」
シェイラが不審な手紙の蝋を解いていると、フェノアが覗き込んで言う。
「セレリウスくんだと思うわよ。試験用紙の筆跡と同じ。かくかくしているから覚えやすくて」
「たしかに、セレリウスさんっぽいですね」
内容からシェイラは理解した。
〝——精霊たちがざわついています。
ばさばさが来るそうです。
よくわかりませんが、あとはよろしくお願いします。〟
簡潔だけど、よくわからなかった。
とりあえず、精霊たちが危険を知らせているらしいということだけは伝わった。
「ばさばさってなんでしょうか……」
もう少し、情報はないのだろうか。あったとしても、セレリウスが拾えていない可能性もある。この情報から推測するしかない。
「フェノア、この手紙を黒檀へ。わたしは少し外に行きます」
「わかったわ」
——詳細は、自分で探知する他ない。
シェイラは近場の窓を開くと、足をかける。腰に翅を描くと、研究塔からひらりと飛んだ。感覚を{拡張}させる。
(なんでしょう、むわっとしますね)
今朝もそうだっただろうか。
日中だからなのか、夏に降った雨のような湿気を肌で感じる。
空が靉靆として、天霧らう。
シェイラは、自分を中心に感覚を上のほうに拡げていく。そうすると、逸るように飛んでいく雁の群れを感じた。
渦を巻く雲がある。雲からひとつ、またひとつ、だんだん、だんだんと、雨が落ちていく。
冷たい秋雨のようで、けれど、シェイラの{拡張}された肌や目、耳は、なにかがちがうと言っていた。ぞわぞわとする、いやななにか。
瞬間、ほとんど無意識に、その雨が落ちた先で湧くものを一匹仕留めていた。
——〈浮塵子〉だ。
セミに似て紫を棚引く害の少ない蟲だが、大量に湧くと厄介だ。〈浮塵子〉の棚引く紫は霧を発生させる。他の蟲を呼ぶ。
悲鳴が聞こえた。シェイラの聴覚が城下の混乱を捉える。
雨が降り落ちる。雨粒がひとつ、またひとつ〈浮塵子〉を呼ぶ。
——カーンッカンッ、カカンッカーンッ!
蟲の襲来を知らせる特殊な調子の鐘の音。
王城に近い鐘楼から、激しい鐘の音が響き渡る。
シェイラは、下降した。城下へ。
束の間に起きたできごとに混乱しながらも、体は、途中現れた〈浮塵子〉をできるだけ屠っていく。
(これは、いったい……)
——カーンッカンッ、カカンッカーンッ!
再度の鐘の音。シェイラの感覚が捉える。
——〈蜈蚣〉だ。
(これは、いったい、なに……?)
城下は騒擾となっていた。
すみやかに展開された、街を覆う{防護}結界によって、謎の雨による〈浮塵子〉の増殖は抑えられたが、すでに降った量だけでも比ではない。
シェイラは上空を旋回しながら、危険な目に遭うものがいれば助け、霧をなるべく晴らすように、風の魔術を放っていた。幾分かすれば落ち着いていく。
(ここはなんとかなりそうです)
迅速な結界が功を奏した。王城にいる、おそらく女王の代理を預かっているイディオンの采配だろう。
なにが起きているのか把握につとめながら、再度上昇して、結界を抜ける。〈蜈蚣〉のほうへ向かおうとすると、今度は王城からエクゥスに騎乗した者たちが出てきた。——飛翔師たちだ。空の蟲を駆除することに長けている。
「わたしは要りませんね」
飛翔師がいれば、問題ない。
シェイラは飛んで、大学塔へ戻る。
旋回して下降すれば、雨に濡れた広場にはすでに魔鳥を連れた黒檀と、フェノアやラムル合わせて十名の魔導師たちが揃っていた。〈浮塵子〉は駆除されていた。〈浮塵子〉の湧く雨は、はじめのみで、今はただ、雨が降り落ちる。
「——イディオン殿下より命令だ。女王陛下と主力騎士団はセゾンに行かれているため、魔導師たちもこの事態に協力せよとのこと」
厭世的な魔導師らからは不満の声が上がるが、非常事態の場合は、国の意向が魔導師の行動を決定する。だれも逆らうことはできない。
「しっかし、すでに落ち着いていないか? 〈浮塵子〉が湧いたからびびったが、あとは〈蜈蚣〉だけだしよ」
だれかがそう言う。
「——いいえ、まだです」
否定したのは、闇の魔導師だった。{索敵}を得意とする魔導師で、シェイラの感覚{拡張}よりも鋭く、敵性のみを広範囲に感知し、引いては予見する。
「まだ来ます」
その言葉どおり、間もなくして雷雨とともに、〈蜻蛉〉や〈姑悪〉が数十匹と姿を表す。視界が白煙をあげていた。
「秋霞って、実は王都に出るものだったんじゃないの?」
フェノアが悪態をつくように言う。
元素魔術などを得意とするものが飛び立ち、フェノアやラムルなどの後方支援をする魔導師たちは塔の屋根部分に移動をする。
シェイラは無論、前線だった。再度翅を広げて飛ぼうとすると、{索敵}の魔導師から呼び止められた。




