132話:秋冷えの朝
テッペントの月に移り変わっても、秋霞は観測されることのない、福音ノ日の朝だった。
秋冷えは、いよいよ深まって、シェイラは少しだけ掛布から足を出すのをためらった。朝の日課を終えて、王子宮への道のりを歩む頃には、朝陽が空気をあたためていたけれど、まもなく冬を感じる季節の移ろいを感じた。
ブナやカエデ、イチョウなどの色づいた葉が、王城の長い階段や坂にしきりに落ちていた。下働きのものがせっせと箒で集めている。毎朝、大変だろう。魔法でぱっとやってしまえるほどの力を持っていれば、そもそも下働きになどなっていない。手作業でやらなければいけないような者たちが、下働きになるのだ。
この長い斜面を登っていると、シェイラの頭はいろいろなことが思い浮かんでは通りすぎていく。
結局、一昨日の霧の原因はよくわからなかった。
渓谷の下、削られた谷河まで下りて調べてみたけれど、なにもわからなかった。突然現出した霧は、払われてしまうと、どこから湧いてきたのかもわからず、大規模な魔術が執り行われた形跡も見つけられなかった。一緒に調査に当たったものと途方に暮れるしか、なかったのであった。
(あの陣のおおもともまだわかりません)
黒檀と査問官たちから、依頼された調査だ。
少しずつ空いている時間で探ってはいるが、今のところなにもつかめない。
(まるで……)
雲をつかんでいるようだ。雲を追いかけ、気づけば霧に覆われているような不快感と、薄気味悪さを覚える。
シェイラは〈気高き魔女の騎士団〉という組織に詳しいわけではない。
団長と呼ばれるものが組織を束ね、堅い誓いと符牒により互いの素性を把握する。騎士と見習いである従士などの位があるのは知っているが、それくらいだ。ノザリアンナ呪術とユベーヌの呪いのなかでも呪いに寄ったものが扱われる。
大昔に組織されてから基本的に裏でしか動いていないが、何度か歴史の表舞台にも出てきている。一度大規模な粛清によって壊滅したと思われていたが、今でもこうして長外套の裾を見せ、実際シェイラも交戦している。
ノザリアンナ呪了国の再興を願っているというが、実際のところなにを目的とした組織なのか知れないのが、〈気高き魔女の騎士団〉と呼ばれる結社だった。
シェイラにできることも限界はある。
(ヴェッセンダリアに戻れば、もう少しいろいろ調べられそうですが)
一旦は期日が決まっている。今できる最善を尽くすしかない。
シェイラが、勾配を登り終えると第一王子宮が見えてきた。その末広がりの階段に、ちょこんと座る影が見える。
「イディさん……?」
シェイラが口を開けば、イディオンが立ち上がった。ぱっとこちらへ駆けてくる。外で待っていたからか、少し厚着だった。
冷えて赤くなった頬をほころばせる。結っていない髪が風に吹かれていた。
「おはよう、シェイラ。待っていたよ」
「寒くはありませんでしたか? 今朝は少し、冷えましたから」
「全然。むしろ気が急いて、さっきまでそわそわ歩き回っていたからあたたかいくらいだ」
「そうでしたか」
シェイラはなんだか拍子抜けだった。
少し、ほんの少しだけ、シェイラは身構えていたのだ。一昨日あんなことがあって、夜にはシェイラの過去を話してしまった。おどろおどろしい話もあったであろうから、いささか引かれることもあるだろうと思っていた。
けれど、イディオンは驚くほどいつもどおりだった。むしろ、外で待っているなんて、当初を考えると信じられない変化であった。
なんとも感慨深い気持ちになる。
「テニアにあたたかい茶を淹れてもらうように頼むよ」
おまけに気づかいの精神のかたまりだ。シェイラは、ありがたくその気づかいに浸からせてもらってから、象牙の扉をくぐる。
この部屋のにおいにも慣れてきて、きゅっと腹の奥が縮まるようだった。
(あと五ヶ月もない)
ひとつひとつやっていかなければ、と背筋が伸びる。
「今日も、魔法の……練習をするの?」
イディオンは髪を無造作に結って現れると、尋ねた。
「そうですね。一旦、表象魔法と呼びましょう。元素魔術とはまた異なるので」
「うん」
「その練習もしたいですし、しなければいけないのですが、ひとつ棚上げしている問題があります」
「〈導脈〉?」
「そうです」
シェイラのなかで手筈は整っていた。
イディオンもまた、理解はしているだろう。
「今の状態だと、魔力が心象風景に食い潰されている状態は変わりません。暴発の危険性もあります」
「そうだね」
「なにより、その状態だと魔法が使えない状態は変わらないですし、このあいだのようにファル石に頼ってばかりもいられません。わたしが制御するわけにもいきません」
「うん」
「なので、今日は〈導脈〉制御の方法をお伝えします。同時に表象の練習も少しずつ行っていきましょう」
シェイラは部屋を見渡す。それから、イディオンの許可を取って、{浮遊}{操作}を用いて、いくつかの調度や書籍などの位置を動かした。周囲になにもぶつからない程度の距離を、ふたり分確保する。それぞれの場所に椅子を置く。背もたれのない椅子を用意した。




