13話:落ち着かない理由(2)
「……そう、だったんですね」
キルシュが衝撃を受け止めていた。そんな感覚を持て余しているという観点がなかったからだろう。
あれもそうだったのかしら。ユート以外の子にも思いを馳せるように、つぶやいている。
キルシュが咀嚼しているのを見つつ、シェイラはふたつ目の感覚の説明をする。
「次に、前庭覚と呼ばれるものです。これは、耳とも関係しているんですが……、体の平衡感覚や、加速度を感じるような感覚です」
たとえば、とシェイラは例を付加する。
「箒に乗って空を飛ぶ、というあれがあるじゃないですか」
「ああ……あれですね」
キルシュが苦笑する。生活魔術を多く習うようになる中等部で流行るのだ。
なぜか皆、箒なんかに乗って空を飛びたがる。
大陸外の魔法使いの印象を真似したくなるなるのかもしれない。
「あれですごく速度を出して楽しむ子と、こわいこわいと言って泣いて絶対にやらない子っていませんか?」
「いますね」
キルシュが微笑ましく笑う。昔担当した子どもたちを思い出しているようだった。
「まさに、それなんです。こわいこわいと言って、泣く子が敏感な子。速度を出しすぎて壁にぶつかって怪我をするような子が鈍感な子。——ユートさんはこの感覚も鈍感で、求めやすい傾向にあります」
箒で空を飛ぶ遊びは中等部で流行るが、教師が見てないところでは全面的に禁止されているところが多い。怪我が絶えないからだ。
キルシュにも思い当たるできごとがあるのだろう。理解し、納得したような表情になった。
そこに、シェイラはユートの具体例を話す。
「先週のことですが……、教室を一緒に出た時に、わたしの前でなんの抵抗もなく、三階からひらりと飛び降りました」
「この階からですか?!」
キルシュは度肝を突かれたような、ひっくり返った声を出す。
シェイラは首肯する。
「はい。基礎魔法を使って着地をやわらげていましたが、たいした魔法も身につけていない初等部の子が飛び降りるにしては、肝がすわりすぎている高さです。全然気にした様子もなく、そのあとは生き物を探していました」
「…………」
キルシュが絶句している。
「あの感じですと、教室を抜け出ている時はいつもそうやって降りているのでしょう。危険極まりない行動です」
「……そうですね。他の教師たちにも言っておかねばなりません」
外に出るのが必要なのだろうと、キルシュはきっとこれまでも見逃していたにちがいない。よもやそんな行動を取っていたとは思わなかったのだろう。顔色が悪くなった。
シェイラとしては、キルシュが本人の動きたいようにさせていたことは悪くない対応だったと思っている。それが必要な子であるからだ。
ただ、安全管理についてはおそらく学園として考えなければいけない点だ。シェイラもキルシュの要望によっては代替案を提示する必要がある。その代替案も、案として浮かんでいた。
「——とまあ、ひとつ目ふたつ目についてお話させていただきましたが、細かい感覚の名前はどうでもいいです。大事なのは、ユートさんは体を動かしたいという状態に常にあって、なおかつそれの程度が大きいので、どこかで満たしてあげたり、調整する必要があるということです」
シェイラのまとめに、キルシュがひとつ肯く。
それから、はあ、と大きな溜息がつづいた。腹の底から出てきたような溜息だった。
「……つまり、私が大事にしている教育観の反対をいくのがユートということですね。道理で相性が悪いわけです」
「反対、ではないと思いますよ!」
どんよりした空気を醸し出したキルシュに、シェイラはあえて明るい声で言った。
「反対という軸で判断するものではないです! そのために、さきほど、わたしは先生になにを大事にしているのか聞いたのですから」
「……どういうことですか?」
キルシュが訝しんで眉をひそめる。
シェイラは、笑顔で言う。
「ここからは、今まで話したことを踏まえて、規律を大事にしながらユートさんとどう関われば良いのかお話をしましょう」
シェイラは語る。語りながら、人差し指を杖のようにふるって、宙で曲線を描く。描いた先から靄が出て、小さな人形が形作られていく。
「キルシュ先生は規律を守りたい、ユートさんは動きたい、なら、先生の許可のもとに動ける時間を作りましょう」
キルシュと思しき靄の人形、ユート、それから学環の子どもたち、小さな箱庭のようなものが描かれていく。
「たとえば、先生からおつかいを頼む。授業で使う紙を取りに行ってきてほしい、とかですね」
「おつかい……」
キルシュが目を向けた先には、小さな箱庭のなかで、小さなキルシュが小さなユートにお使いを頼んでいた。
「もしくは、休憩したいです、と言ってから、十分程度動く時間を外で設けてもいいかもしれません。他の先生の都合がつくようであれば、教導館に寄って休憩するようにすれば、安全面も考慮できます」
シェイラが、ぱちん、と一度手を叩くと靄は消えた。手を開くと、また小さな箱庭が作り出されて、休憩するユートと許可を出すキルシュの像が再現される。
「でもそれは……」
キルシュの躊躇が見て取れた。
箱庭のなかで外に出ていくユートから視線が外れて、残された子どもたちに視線が残る。
シェイラはキルシュのためらいをあえて口にした。
「他の子への影響が気になりますか?」
シェイラに笑って問われると、キルシュはおずおずと肯く。内心を見破られたようなはっとした様子ではなかった。自身の教育観との葛藤、と見て取れる肯き方だった。
「……ユートだけずるい、となりませんか?」
なんであいつだけ授業中に休憩していいんだよ。
おれたちだって動きたい。
わたしも休憩したい。
そんな声がキルシュの頭のなかには聞こえるのだろう。
「他の子にも許してあげればいいんです」
シェイラはそれを靄で描いた。
休憩したいという子どもたち。許可を出すキルシュ。
「ですが、それは」
きっ、とキルシュの強い視線がシェイラに向けられた。敵意のようないらだちのような、シェイラに対する反発心のようなものだ。
(いけないです。説明の仕方を誤りました)
シェイラは補足する。靄で条件を出すキルシュを描く。
「ただし、休憩してもいいけれど、授業は進むこと。わからないことは残っている友だちに聞くこと。ユートにもそれは伝えていて、彼はそれでも体を動かさないとつらいから休憩していること、それを学環全体に規律として話したうえで、他の子にも許可する。はじめは面白半分でみんな出たがるかもしれませんが、数を重ねると授業に出たほうがよいと思って、おさまります」
「もし、ユート以外にも出るようになったらどうするんですか?」
「それは、休憩の仕方をあらかじめ決めておくことで回避できるかと思います。外に出てユートとその子やその子たちが遊んでもよい状態になってしまったら、教室に戻ることができません。どういう休憩ならよいのか、あらかじめ話しておけば防げるでしょう」
シェイラの返答に、キルシュの瞳が揺れた。苦悶している表情だった。
そう簡単に言ってくれるな。戻ってこれなかったらどうするのだと思っているようだった。
(ちょっと突っ込みすぎちゃいましたかね)
シェイラには孤児院でこういった関わりをした経験がある。だが、キルシュにはおそらくないだろう。想像がつかず、煩悶しているのだと思えた。その煩悶は、当然だった。
「……とまあ言いましたが、あくまで案です。大事なのは、学環の規律を守りながら、彼が体を動かせる時間をどこで作るのか、です。これはあくまで例だと思ってください」
シェイラはキルシュの苦悩を下げるために、やんわりと付け加えた。
キルシュの表情は曇ったままだった。
ひとつ言い残してしまったけれど、これ以上なにかを言うべきではないと判断して、シェイラはあえて呑み込んだ。




