128話:魔法が使えない魔導師
ヴィクトルは春宵の聖宴に、ヒバリとともに参加していた。シェイラは呼ばれていなかった。
その日は宵闇ノ日の新月で、魔を呼び寄せる呪術が最も力を発揮する日であった。
「では、シェイラ、はじめようか。皆は酒宴に夢中だからね。呪術の気配を感じても、酒に酔って気づきにくい。今のうちに試してしまおう」
「ですが、先生、代償となるものはどういたしましょうか。今までは、怪我をした生き物を使っていましたが、今日は用意がありません。これでは成功しないのでは……?」
実験で扱う代償は、シェイラにとって胸が痛いものだった。
詮ないことだとリマス師は言っていたが、生き物を代償にすることは、心が削られるようでいやだった。
〈ユベーヌのまじない〉と、〈ノザリアンナ呪術〉のちがいは、そういうところが大きくちがった。
やたらと手間をかけて効果を出すのが、〈ユベーヌのまじない〉。
少しの手間と、そして省く分の代償を払って願いを叶えるのが〈ノザリアンナ呪術〉。特に代償を払えば払うほど力は強くなり、叶えられる願いもまた増大した。欲深い人間が呪術にはまっていくと、たいがい〈ノザリアンナ呪術〉の力の強さに魅了され、そして最後は身を落としていく。
かつての魔導師……そして魔女と呼ばれるようになったノザリアンナの呪術というのは、そういう代物であった。
「代償は、なんだと思う?」
背後にいるリマスが問う。
「なんでしょうか。不要……とまではいきませんよね。今回の実験は、〈ユベーヌのまじない〉と〈ノザリアンナ呪術〉を混ぜ込んだものです。手間も信じられないくらいかけてきましたし、必要となるものも用意して、〈線上文字〉と〈完成された文字〉も刻みました。ですが、生命の力を導脈と同様の魔力に変換するためには、変換元が必要です。やはり代償がないとそもそもこの魔術式は完成しません。必要です」
「では、なんだと思う?」
「そうですね……」
シェイラは頭を悩ます。
今から見つけにいくということもできなくもない。
「いるではないか」
「え?」
がんっ、と背後から音がした。
なにが起きたのかわからなかった。衝撃と痛みで頭が朦朧とした。気を失うことはなかったけれど、倒れる。そうしてずるずると両足を掴んで引っ張られ、陣の中央へと自分の体が引っ張られるのだけはわかった。
ヴィクトルからもらった長外套は、その日、羽織っていなかった。こっそり彼に黙って行う実験が後ろめたく、彼のあたたかな守りの気持ちのある長外套を羽織ってはいけない気がしていた。
代わりに羽織っていた実験用の長外套が、引きずられるにまかせて、頭の後ろに布が固まっていく。痛む箇所をこすって、さいなんだ。
「かわいそうな、シェイラ」
霞む視界に、ぼうっとする頭、そこに心底憐れんだリマス師の声が、シェイラの心の虚に忍び込むように聞こえた。
「かわいそうに。怪我をしている」
なにを言っているのだ。シェイラを怪我させたのは、リマスだ。
「僕が救ってあげよう」
「……な、に」
頭が痛い。血が出ている。
その血をリマス師は小刀ですくった。用意しておいた祭壇に置く。本来であれば、そこに代償となる生き物を置いた。
「かわいそうな君を代償に、術をもって、君は僕の力になる」
どういうことだろう。
「大丈夫だ。君の生命は魔力となって、僕の欠損した〈導脈〉を補い、新たな〈脈〉となるよ。君の願いは、僕のなかで実現する。殿下の隣は僕が守ろう。だから、安心してお逝き」
ぼたぼたっ、と音がした。もう一本用意されていた小刀で、リマス師は自らの左腕を切っていた。こぼれた血が、石床に落ち、鏨で削った陣に染みていく。
「……トー、ル」
起き上がれない。
(助け、て……)
呪文が聞こえる。〈ノザリアンナの呪術〉。これまで実験していたものとは異なる詠唱。犠牲と代償を奉る呪い詩。
ぶつぶつと長い、それだけ時間のかかる呪術の言霊。
(いやだ……)
もういい。隣にいられなくていい。どこか遠くで、彼の安全を祈れればいい。だって、死んで〈霧の峡谷〉を渡ってしまったら、もう彼の話をだれかから聞くこともできない。
ラータ、と呼ぶ声が聞こえなくてもいい。
無事な姿や話が聞ければそれでいい。母のように死ぬのではなく、無事であれば。だから……
(死にたくない……!)
強く、そう願った。同時に、リマス師は呪文を終え、小刀をシェイラの心ノ臓目がけて振り下ろす。陣が、発動する。紫と黒の渦を描いた光が、室内に満ちる。
「さようなら、かわいそうなシェイラ」
〜*〜
「——そのあとは、すでにお伝えしたとおりです」
「…………」
「おそらくきっと、わたしは力を振り絞って抵抗し、ほんとうは自分が代償となるはずだった呪術で、師の生命を代償に〈脈〉を得ました。……わたしが師を殺したようなものです」
シェイラは袖をまくって、腕を出す。
イディオンには見えないだろうが、白銀の魔力がほんとうはなかったはずの場所に満ちている。
「血の海に沈んでいたわたしをトールが見つけ、父が見つけ、枢機卿たちにも見つかり、そうして聖堂教会の裁判が開かれ、わたしは破門を言い渡されました。状況的に、事故であると判断されたため、破門で済んだと言えるかもしれません」
イディオンは凍りついたように、けれど食い入るように、シェイラの話を聞いていた。
「オルリア聖教から破門された父がわたしを許すことはなく、わたしはロゼイユ家からも廃され、同時に罪を重ね、貴族の令嬢でなくなったわたしは、トールからも婚約破棄を申し渡されました」
シェイラは語っているうちに、当時の感情を思い出すようだった。
「……それが愚かな女の末路です。〈導脈〉を持たず、通常の魔法や魔術を扱えないわたしは、師の生命を代償とした〈魔導呪法〉を得た。ですから、ヴェッセンダスの智と書架の{登録}を最高峰の〈魔導〉の種別で受けたわたしのことを、一部の人間はこう呼びます。
——魔法が使えない魔導師、と」
表情を変えないイディオンに、シェイラはうっすらと笑う。
月光を影に、薄気味悪く見えたにちがいない。
「ぼろぼろになったわたしは、たまたまオルリアを訪れていたメイベ・ガザン老師に拾われました。そうして、現在に至るわけです」




